12―TSOの任務
――三十六階 ブリーフィング室
窓にはブラインドで完全に目隠しされ、防音施工がされたその部屋は、外部の喧騒を一切遮断していた。小さな机のついた簡易的な椅子が等間隔に並び、その向かいには移動式モニター。ここで交わされるすべての情報は、機密事項である。外部の人間は絶対に立ち入ることはゆるされない場所。透也はタブレットを片手に、静かな声で告げた。
「三日後の土曜日十六時半。上層階の特設レセプションホールにて、VIP招待の立食パーティーを行う。参加人数は約七十名。ドレスコードはタキシードとドレスだ。我々の任務は、招待客の安全確保に徹すること」
「了解です」
洸樹の短い返事が室内に響く。
「招待客のリストは配布した通りだ。当日の現場指揮は梶に一任する。私は招待客の対応で動けない。」
梶が深く頷き、無言で責任を背負う。
透也は一度だけ視線を走らせ、付け加えた。
「それから、当日……紗奈は私とともに参列することになっている。紗奈、この後チーフ室に来るように。後は、任せる」
その言葉の重みに、紗奈は、びくりと肩を震わせた。
梶と洸樹の視線が突き刺さるような錯覚を覚え、彼女は深くうつむくしかなかった。
オフィスに入ると秘書の深見がデスクで淡々と書類を捌いている。紗奈は軽く会釈をし、重厚な扉の向こう「総括チーフ室」に足を踏み入れた。
透也はデスクに腰掛け、タブレット端末を操作しながら紗奈を待っていた。彼が視線を上げたその眼差しには、僅かな私情さえも混じっていない。
「土曜日の件だが、社長が君を招待客に紹介したいそうだ。必要なドレスや装飾品はこちらで全て用意するから、君は身一つで来ればいい」
紗奈は、心臓の底から冷たい水が流れ込むような感覚に襲われた。
透也に一緒に来いと言うということは、つまり「城瀬家の娘」として、あの醜悪な社交界の晒し台に立てということだ。
それは、父親による「次期婚約者探し」の始まりに他ならない。
透也の父にとって、紗奈は自分から引き離すべき不要な異物だ。このパーティーは、彼女を他の男の隣へ座らせ、一秒でも早く城瀬の家名から叩き出すための舞台。
そして透也もまた、それを承知で彼女を連れ出すのだ。
(……結局、あなたも同じ穴の狢なのね)
「……私は、当日あなたの護衛にはつかなくて良いということですね」
紗奈は感情を殺し、努めて事務的に尋ねた。
「そうだ。君は君の客の相手をしろ」
タブレットを持つ透也の指先に力が入るのを紗奈は見逃さない。部屋に落ちた柱の黒い陰が、二人の間を断絶する境界線に見えた。
(……あぁ、吐き気がする)
心の中でどれほど叫んでも、現実の彼女は従うしかない。城瀬の犬として、城瀬の名を汚さぬ人形として。
「……わかりました」
紗奈は小さく頷き、静かに部屋を出た。
三日後、紗奈は三十八階の一室に設けられた控室にいた。
床には絨毯。テーブルの上の造花は、偽物であることを隠そうともせず、ただそこに置かれていた。
部屋の主役のようにかけられていたのは、デコルテが大きく開いたライトベージュのレースドレス。その傍らの机には、首元と耳元を飾るために用意された、冷たく光るダイヤのアクセサリーが並んでいた。
部屋の扉が控えめにノックされる。
「城瀬様、失礼いたします。本日、お支度をお手伝いさせていただきます、佐々木です」
入室してきたドレスフィッターの女性は、恭しい所作で壁のドレスを手に取り、紗奈の方へ差し出した。
試着室のカーテンの中で、紗奈はドレスのサイドジッパーを引き上げる。
それは完璧な縫製だった。ビスチェ型の防弾チョッキの縁を絶妙なラインで隠しつつ、肌を美しく見せる上品なミディアム丈。誰がこれを選び、誰がこの布面積を計算したのか。考えるまでもない。
(……透也)
彼の選んだドレスを纏い、彼が選んだ宝石を身に付ける。今夜のパーティーで、私は「城瀬の娘」として衆目に晒されるのだ。その背徳と、彼に所有されているという事実が、紗奈の背筋をぞくりと震わせた。
プロの手によるヘアセットが終わり、鏡の前に立つ紗奈は、どこからどう見ても清楚な令嬢そのものだった。フィッターの女性は、完成した『作品』を見つめ、思わず感嘆の息をもらす。
「お兄様が選ばれたドレスも装飾品も、本当に……よくお似合いです。ため息が出るほど綺麗ですわ」
その言葉は、紗奈にとっては何よりの呪文のように響いた。
「……ありがとうございます」
紗奈は自分自身を嘲笑うように、ダイヤの輝きを瞳に映した。
ノックと共にドレスアップした同僚の澪が控室に入ってきた。
「あら、素敵じゃない。上品で機能的ね」
その声音には、「チーフがあなたのために選んだのでしょう」という、半ば確信めいた含みがあった。
だが、褒め言葉を向けられても、紗奈の表情はほとんど動かない。
そんな彼女を見て、澪は呆れたように肩をすくめた。
「そんなに嫌ならお姉さんが乗り切る方法を伝授してあげる」
そう言って澪は、鏡越しに紗奈を見る。
「三段活用よ。首を傾げて・頷いて・微笑む。ね?」
要人警護という仕事は、ただ危険からクライアントを守ればいいわけではない。
相手に不快感を与えず、場の空気を壊さず、人間関係の軋轢を渡り歩くこともまた、護衛の技術だった。
「……私はだれの目にも触れたくないんです」
ぽつりと零れた本音に、澪の目がわずかに細められる。
透也の“影”として、彼の背後に立っていられれば、それでよかった。
だが今夜は違う。
近づくことも、隣に立つことも許されないまま、城瀬の名を背負った“商品”として、この社交界に晒される。
「そう……」
澪は静かに紗奈を見つめ、それから小さく笑った。
「でも、それは無理よ。あなたは人の目を惹くもの」
その言葉に、紗奈はゆっくりと視線を伏せた。
まるで、自分という存在そのものが、誰かに見つかるたびに少しずつ削れていくようだった。




