28
王立魔法学園の大講堂は、絶対的なファクトによって教頭の罪が暴かれた興奮と混乱の余韻の中にあった。
ルナの強烈な物理カウンターによって脳震盪を起こし、完全に意識を刈り取られた教頭は、通報を受けて駆けつけた王都警視庁の制服警官たちによって、無様に引きずられていく。
「……あれが、教頭先生だなんて」
「セシリア様の方が、ずっと正しかったんだ……」
騒然とする生徒たちの中から、そんな囁き声が聞こえてくる。
かつてセシリアを嘲笑っていた者たちは皆、罰の悪そうな顔で俯くか、あるいは畏怖の念を抱いて彼女の美しく気高い横顔を見つめていた。
「どうやら、君の『悪役』としての汚名は、これで完全に返上されたようですね」
レオンが気怠げに伊達眼鏡の位置を直しながら呟く。
「……別に、彼らに理解されたくてやったわけではありませんわ。私はただ、あの男の偽善に満ちた嘘を、物理的に叩き潰したかっただけですもの」
セシリアは真紅のドレスの裾を翻し、フッと誇り高く笑った。
その表情には、過去の因縁を自らの手で断ち切ったという、晴れやかな達成感が満ちていた。
「さあ、ルナ。私たちは帰りますわよ。ここからは本庁の仕事です」
「了解ニャ! 悪い奴をぶっ飛ばして、スッキリしたニャ!」
三人は学園の教師たちからの質問攻めを適当に躱し、大講堂を後にした。
彼らの足取りは軽かったが、レオンの懐の奥底には、教頭が落とした『黒い魔石』が、冷たい重みを持って収まっていた。
事件は解決したかに見えた。だが、レオンのプロファイリングの直感は、これが単なる序章に過ぎないと告げていた。
王都警視庁の地下、特命資料室。
学園からの帰還後、レオンはスリーピーススーツのジャケットを脱ぎ捨て、黒いシャツの袖を捲り上げて、すぐに作業机に向かっていた。
机の上には、押収した『黒い魔石』が置かれている。
レオンは目に特殊な拡大レンズを装着し、様々な波長の光を放つ小さな魔石のランタンを切り替えながら、黒い魔石の表面と内部構造を嘗め回すように観察していた。
「……レオン。そんな危険な爆発物を、この狭い地下室で弄り回すのはやめてくださいませ。万が一暴発でもしたら……」
セシリアがキッチンから淹れたての紅茶を運びながら、眉をひそめる。
「危険? いえ、この石自体に単独で爆発するほどのエネルギーは内包されていませんよ」
レオンはピンセットで魔石を摘み上げ、青白い光に透かした。
「ですが、教頭はあの石を使って、講堂ごと私たちを吹き飛ばそうとしていましたわよ?」
「ええ。彼自身は、本気でこれが『自爆スイッチ』だと信じ込んでいたんでしょう。権力欲にまみれたサイコパスは、自分がすべてをコントロールしていると錯覚しやすいですからね」
レオンは魔石を置き、黒板に向かってチョークを走らせた。
「通常の爆発用魔石というのは、内部に極度に圧縮された魔力を封じ込め、外からの衝撃や詠唱をトリガーにして、一気に解放させる構造になっています。いわば、火薬を詰めた密閉容器です」
レオンは爆弾の図解を描いた後、その隣に、波のような曲線とループする矢印を描き足した。
「だが、特命資料室のスペクトル分析にかけた結果、この黒い魔石の内部構造は全く異なっていました。魔力が内部に留まらず、特定の方向にループして流れる『回路』が形成されている。これは、外部からの特定の周波数(魔力波)と『共鳴』するための構造です」
「共鳴、ですの?」
「前世の科学技術で言えば『ラジオのアンテナ』と同じ仕組みです」
レオンはチョークを置き、振り返った。
「この魔石は、それ単体で爆発する爆弾ではない。王都のどこか別の場所にある『親機』から発信された莫大な魔力波を受信し、それを周囲に放射するための『レシーバー(遠隔起爆装置)』に過ぎないんです」
その言葉に、セシリアとルナは息を呑んだ。
「つまり……教頭がスイッチを押したから爆発するのではなく、どこか遠くにいる何者かが『合図』を送らなければ、起動しなかったと?」
「その通りです。そして、これが意味する事実は極めて残酷です」
レオンの黒い瞳が、冷徹な光を帯びる。
「教頭が講堂でこの石を掲げた瞬間、もし『親機』から魔力波が送られていれば、彼は間違いなく講堂ごと吹き飛んでいたでしょう。……自分が、遠隔操作で切り捨てられる『トカゲの尻尾』だとも気づかずにね」
「……っ! なんて恐ろしい……」
セシリアが口元を手で覆う。
教頭は自分こそが選ばれた人間だと喚いていたが、闇の組織から見れば、ただの便利な使い捨ての駒に過ぎなかったのだ。
「問題は、その『親機』の存在です」
レオンは再び机に戻り、黒い魔石を指先で弾いた。
「この学園の強固な結界を外からすり抜け、しかも地下や分厚い石壁といった物理的な障害物を透過して、この小さな魔石に正確に魔力波を届ける。それには、都市一つをまるごとカバーできるほどの、規格外の出力を持った『動力源』が必要です」
「規格外の出力を持った動力源……」
セシリアの脳裏に、一つの事実がフラッシュバックした。
「まさか……! 盗まれた国宝『星の涙』ですの!?」
「ええ。ビンゴです」
レオンは深く頷いた。
「教頭の裏帳簿にあった『大いなる浄化への供物』という文言。組織は、あの超高密度の魔力結晶体である国宝を、巨大なアンテナ……あるいは送信機の『心臓部』として組み込むために盗み出したんです」
「でも、お前、そんな巨大な送信機を使って、組織は何をするつもりニャ?」
ルナが尻尾を不安げに揺らしながら問いかける。
「マリアが学園に持ち込んだ違法薬物『マンドラゴラ抽出液』。人間の認知を歪め、洗脳する幻覚剤です。もし、あれと似たような『精神干渉の魔法』を、国宝のエネルギーを使って王都全域に電波のように送信したとしたら?」
「王都中の人間が、一斉に洗脳される……」
セシリアの顔から、完全に血の気が引いた。
「それが『大いなる浄化』の正体でしょう。教頭のような末端の悪党を捕まえたところで、事態は何も解決していません。我々は今、王都という国家の中枢を乗っ取ろうとする、見えない巨大な敵と対峙しているんです」
レオンは重い溜息をつき、椅子に深く腰掛けた。
時計の針は、すでに深夜の三時を回っている。昨夜の地下迷宮の探索から休むことなく働き続けた彼の顔には、明確な疲労の色が浮かんでいた。
「……まずは、本庁の地下牢に放り込んだ教頭を締め上げ、組織の全貌と『星の涙』の隠し場所を吐かせる必要がありますね。……あー、ダメだ。眼精疲労で視界がぼやけてきました」
レオンは眼鏡を外し、右手の親指と人差し指で眉間を強く揉みほぐした。
その時だった。
「……無理は禁物ですわ、レオン」
不意に、レオンの背後から温かいものが目元に押し当てられた。
セシリアが、お湯で適度に温められた清潔な濡れタオルを、後ろから彼の両目を覆うように優しく当てたのだ。
「……っ」
「少しの間、目を閉じていなさい。あなたのその脳細胞と視力が低下しては、私の平穏な助手生活に支障が出ますからね」
セシリアは、レオンがいつも自分に言う『デリカシーのない言い訳』をそっくりそのまま真似て、わざと少しツンとした声で言った。
だが、その手つきは驚くほど優しく、タオルの心地よい熱が、レオンの凝り固まった眼筋をじんわりと解きほぐしていく。
「……なるほど。これは極めて合理的な疲労回復アプローチですね。君の気遣いというノイズが混ざっている分、プラシーボ効果でさらに効いている気がします」
「ノイズとはなんですの! 素直にありがとうと言えませんの!?」
「ありがとうございます。……ですが、タオルの温度が少し下がるのが早いですね」
レオンは目を閉じたまま、右手をゆっくりと持ち上げ、自分の目元にタオルを当てているセシリアの『両手』を、上からそっと包み込むように握った。
「ひゃっ……!?」
突然自分の手を大きな掌で包み込まれ、セシリアの肩がビクッと跳ねる。
「レ、レ、レオン……っ? 何を……っ」
「君の平熱は俺よりも高い。こうして君の手を物理的に密着させておけば、タオルの熱伝導率が維持され、保温効果が長続きします。湯たんぽの代わりとしては非常に優秀だ」
レオンは相変わらずロマンチックの欠片もない理屈を平然と並べ立てながら、セシリアの細い指先を、逃がさないようにしっかりと握りしめていた。
(〜〜〜っ! この男は、また息をするように無自覚なセクハラを……!)
セシリアの顔は、一瞬にして茹でダコのように真っ赤に沸騰した。
背後からレオンの顔にタオルを当てているという体勢上、レオンの手を振り払おうとすれば彼に寄りかかる形になってしまう。
結果として、彼女は身動きが取れないまま、至近距離で彼の大人の男の体温を感じ続ける羽目になってしまった。
「……脈拍が上がっていますよ、セシリア。俺の疲労回復に付き合わされて、ストレスを感じているんですか?」
「だ、だだだ誰のせいで上がっていると思っているんですの! この絶望的な朴念仁! 不良債権! 変態公務員!」
「本当に、君の怒るポイントは非論理的で解明が難しいですね。ですが、非常に心地いい……」
レオンの言葉は次第に微睡むように小さくなり、やがてスゥ、スゥと規則正しい寝息へと変わっていった。
どうやら、極限の疲労とタオルの温かさ、そしてセシリアの手の感触に安心して、座ったまま数分間の気絶(仮眠)に落ちてしまったようだ。
「……寝てしまいましたわ。本当に、自分勝手な人」
セシリアは抗議の声を止め、小さく息を吐いた。
そして、彼に握られた手を振り払うことはせず、そのままの体勢で、静かに彼の寝顔を見下ろした。
(この人が、いつも私のために無理をしてくれていることくらい、わかっていますわ)
悪役令嬢としてすべてを失った自分に、居場所と誇りを取り戻させてくれた男。
理屈っぽくてデリカシーはないが、その根底にあるのは誰よりも強い信念と、揺るぎない優しさだ。
「……少しだけですよ、貸してあげるのは」
セシリアは誰にも聞こえないような小声で囁き、彼の手に、ほんの少しだけ握り返す力を強めた。
「お嬢様、完全にあの変態公務員に手懐けられてるニャ……」
部屋の隅で、ルナがやれやれと尻尾を振っていたが、今の二人には聞こえていなかった。
束の間の、静かで甘い休息。
しかし、特命資料室のバディを待ち受ける運命は、決して平穏なものではなかった。
数時間後、彼らが教頭を取り調べるために向かう『本庁の地下牢』で、科学と魔法の境界を揺るがす、恐るべき密室殺人が起ころうとしていることを、この時の彼らはまだ知らなかった。
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次回お楽しみに。




