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王立魔法学園の巨大な大講堂は、数千人の生徒と教職員で埋め尽くされ、異様な緊張感に包まれていた。
月に一度の全校集会。
しかし、本日の議題は通常の学園行事ではなく、前代未聞の『国宝盗難事件』と『テロリストの侵入』に関する緊急報告だった。
教壇の中央に立っているのは、学園のナンバー2である教頭だ。
彼は厳粛な面持ちで、マイクの代わりとなる拡声の魔導具に向かって重々しく語りかけていた。
「生徒の諸君。非常に遺憾なことだが、昨夜、我が学園の神聖な地下旧水路に、卑劣なテロリストが侵入した。彼らは毒ガスを用いて私を暗殺しようとし、国宝『星の涙』を奪って逃走したのだ」
教頭の言葉に、講堂の生徒たちがざわめく。
「そのテロリストの正体は……昨日、新任の特別講師として赴任してきた平民の男レオンと、かつてこの学園を追放された悪逆非道な令嬢、セシリア・フォン・ローゼンバーグだ!」
教頭が悲痛な声を張り上げると、講堂のあちこちから「やはりあの女か!」「没落した恨みで学園にテロを……!」と、セシリアへの憎悪と怒りの声が沸き起こった。
教頭は内心でほくそ笑んでいた。
地下倉庫での毒ガス攻撃は失敗し、暗殺者たちも倒されたが、彼らを『テロリスト』として指名手配してしまえばこちらの勝ちだ。
証拠の裏帳簿はすでに自分が燃やして処分した。権力を持たない平民の捜査官と勘当された令嬢の言葉など、誰も信じはしない。
「彼らを見つけ次第、即刻騎士団に引き渡すように。我が学園の誇りにかけて、彼らに法の裁きを……!」
「――残念ですが、法の裁きを受けるのはあなたの方ですよ、教頭先生」
バンッ!!
教頭の演説を遮るように、大講堂の重厚な両開き扉が乱暴に蹴り開けられた。
「なっ……!?」
数千人の視線が一斉に後方へと注がれる。
そこには、漆黒のスリーピーススーツを完璧に着こなしたレオンと、誇り高き『悪役令嬢』の冷ややかな笑みを浮かべたセシリア、そしてキャスケット帽を被ったルナが堂々と立っていた。
「テ、テロリストだ! なぜここに現れた!」
教頭が慌てて叫び、周囲の教師たちが魔法の杖を構える。
だが、レオンは微塵も臆することなく、カツ、カツと革靴の音を響かせて講堂の中央通路を歩み出た。
セシリアもまた、周囲の敵意に満ちた視線を一切無視し、レオンの隣を悠然と歩く。
「三文芝居は終わりです、教頭。マリア嬢と同じく、サイコパスは皆、自分の罪を他人に擦り付ける時だけは饒舌になりますね」
レオンは教壇のすぐ下まで歩み寄ると、懐から警察手帳を取り出し、全校生徒に向けてペラリと見せつけた。
「王都警視庁・特命資料室のレオンです。こちらは私の優秀な助手たち。現在、国宝『星の涙』の窃盗、ならびに違法薬物の密輸、および殺人未遂の容疑で、そこの教頭に逮捕状が出ています」
「ば、馬鹿なことを! 私が国宝を盗んだだと!? 笑わせるな! 何の証拠があってそんな妄言を吐く!」
教頭が顔を真っ赤にして怒鳴る。
「証拠なら、山ほどありますよ。科学捜査の基本原則の一つに『ロカールの交換原理』というものがあります」
レオンは伊達眼鏡のブリッジを中指で押し上げ、冷徹な犯罪心理学者の目を教頭に向けた。
「二つの物体が接触した時、そこには必ず『微細な物質の交換』が起こる。犯人が現場に痕跡を残し、現場の痕跡を犯人が持ち帰るという、絶対的な物理法則です」
「な……何を訳の分からないことを……!」
「セシリア。第一のファクトを」
レオンの合図で、セシリアが革のトランクを開き、小さなガラス管を取り出した。
「昨日、私たちが国宝が盗まれた禁書庫の『密室』を調べた際、壁に物理的な穴が開けられているのを発見しましたわね」
セシリアの美しくよく通る声が、静まり返った講堂に響き渡る。
「その時、壁の石を外すために削り取られた『漆喰の粉』が、私の髪に落ちてきました。これがその粉ですわ」
セシリアがガラス管を掲げると、教頭の顔がピクリと引きつった。
「その漆喰の成分を特命資料室でスペクトル分析した結果、旧棟の地下特有の、数百年前に使われていた『貝殻灰』を混ぜた特殊な漆喰であることが判明しました」
レオンが言葉を引き継ぎ、懐から青白い光を放つ特殊な魔石のランタンを取り出した。
「教頭先生。あなたが国宝を盗み出すために壁の石を外した際、あなたの服にも必ずその粉が降りかかっているはずだ。このランタンの光は、その貝殻灰の成分だけに反応して蛍光色に光る波長に調整してあります」
レオンが教壇の上の教頭に向かって、ランタンの光をサッと照射した。
「ヒッ……!」
教頭が咄嗟に腕で顔を隠すが、遅い。
ランタンの青白い光に照らされた教頭の黒いローブの『右袖の裏側』と『靴底の縁』が、不自然な緑色にボヤァッと発光したのだ。
「なっ……光ったぞ!?」
「教頭の服に、密室の壁の粉が……!」
生徒たちがどよめき始める。
「で、でたらめだ! こんなものは、私が旧棟の視察に行った時についた埃に決まっている!」
教頭が必死に取り繕うが、レオンは冷ややかに鼻で笑った。
「そう言うと思いましたよ。では、第二のファクトです。あなたはどうやって、結界が張られた部屋の中から国宝を盗み出したのか」
レオンは教壇に歩み寄り、教頭が手に握っていた立派な『魔法の杖』を、有無を言わさぬ速度でひったくった。
「ああっ! 返せ、それは私の……!」
「魔法使いは杖を手放さない。だからこそ、最高の隠し場所になる」
レオンは杖の持ち手の部分にある、装飾に見せかけた小さなボタンを強く押し込んだ。
カシャコンッ!!
という機械的な音と共に、木製の杖の先端がパカッと十字に開き、中からワイヤーで繋がれた『金属製の四本爪』が勢いよく飛び出したのだ。
「「なっ……!?」」
魔法の杖から飛び出した、あまりにも物理的で原始的なギミックに、講堂中の人間が目を剥いて驚愕した。
「魔法の警報を鳴らさずに中身を奪うため、壁の穴からこのマジックハンドを伸ばして国宝を釣り上げた。前世のUFOキャッチャーも顔負けのアーム操作ですね」
レオンは飛び出した金属の爪の先端をルーペで観察し、ピンセットで何かを摘み上げた。
「そして案の定、爪の先端のヒンジ部分に、国宝が置かれていた台座の『高級な赤いベルベット繊維』が挟まったままになっていますよ。ロカールの交換原理、その二です」
「あ……あ……っ」
教頭の顔から完全に血の気が引き、その場にへたり込みそうになる。
「微細な漆喰の粉塵。そして犯行道具である杖のギミックと、そこに残された繊維。これであなたが国宝を釣り上げた犯人であるという物理的証拠は完璧です」
文書や筆跡などという生ぬるいものではない。
犯人が現場に触れたという、言い逃れのしようがない『科学的・物理的な痕跡』の連続コンボだった。
「まだ終わっていませんわよ、教頭」
セシリアが、トドメを刺すように一歩前へ出た。
彼女の手には、昨夜の地下倉庫でレオンが中和した『毒ガス』の残骸――白い塩の結晶が入ったシャーレが握られていた。
「昨夜、あなたが私たちを殺すために使った魔法の毒ガス『深緑の死』。あれは強酸性の化学物質をベースにしたものでした」
セシリアは悪役令嬢としての氷のような微笑を浮かべ、教頭を見下ろした。
「レオンがその毒ガスを強アルカリで中和した際に発生した、この塩の結晶。これを成分分析した結果、学園の『特別劇薬保管庫』にしかない特殊な触媒が使われていることがわかりました」
セシリアの言葉に、周囲の教師たちがハッと息を呑む。
「特別劇薬保管庫の鍵を持っているのは、学園長と……管理責任者である教頭、あなただけですわ」
「……っ!!」
「国宝の窃盗。そして学園の薬品を横領しての殺人未遂。すべての物理証拠が、あなた一人の犯行を指し示しています。これでもまだ、私たちがテロリストだと喚くおつもり?」
セシリアの凛とした、しかし絶対的な威圧感を放つ声が、数千人の生徒と教師たちを完全に沈黙させた。
かつてこの男によって不当に学園を追放された令嬢が、今度は絶対的なファクトを武器に、彼を社会的に抹殺しに帰ってきたのだ。
その美しくも恐ろしい復讐劇に、生徒たちは誰も口を挟むことができなかった。
「あ……あぁ……っ」
教頭は床に這いつくばり、ガクガクと全身を震わせた。
自分が完璧に隠蔽したはずの犯罪が、見たこともない『科学』という手法によって、たった一夜で丸裸にされてしまったのだ。
「はい、公開処刑終了。これにて論破完了です」
レオンが気怠げにパンパンと手を払い、懐から手錠を取り出した。
「さあ、大人しく両手を出してください。そして、盗んだ国宝を組織の誰に渡したのか、洗いざらい吐いてもらいますよ」
レオンが手錠をかけようと近づいた、その時だった。
「……ふざけるな」
教頭の震えがピタリと止まり、彼の口から低く、不気味な声が漏れた。
「ふざけるなァァァッ!! 私は選ばれた人間だ! 『あのお方』の偉大なる浄化計画のために、この薄汚れた学園を犠牲にして国宝を捧げた、栄えある使徒なのだぞォォッ!!」
教頭が発狂したように叫び、自身の懐から、禍々しい黒い光を放つ巨大な魔石を取り出した。
「お前たちのような平民と没落令嬢の理屈で、私の大義が裁かれてたまるか! ここにいる無能な生徒たちごと、全員吹き飛んでしまえ!!」
教頭が魔石を頭上に掲げ、致死量の魔力を暴走させようとした。
講堂中に悲鳴が上がり、生徒たちがパニックに陥って逃げ惑う。
「チッ……! サイコパスは最後に必ず自爆テロに走る。ワンパターンなアルゴリズムですね」
レオンが舌打ちをし、懐から発火用の薬品を取り出そうとした、その瞬間。
「お嬢様の前で、二度もデカい声を出すなニャァァッ!!」
セシリアの影から、銀色の流星が飛び出した。
ルナである。
彼女は教壇を蹴り上げ、重力を無視したような神速の跳躍で教頭の頭上へと舞い上がった。
「浄化されるのはお前の腐った脳みそニャ!」
ルナの細くしなやかな脚が、空中で鋭い弧を描き、教頭の顔面に容赦のないかかと落としを叩き込んだ。
ゴォォォォォンッ!!
「ゲブァッ……!?」
教頭の体がくの字に折れ曲がり、教壇の床に頭から激突する。
振り上げられていた黒い魔石は手からこぼれ落ち、コロコロとレオンの足元へと転がった。
「……はい、証拠品回収。ルナ、ナイス物理カウンターです」
レオンが魔石を拾い上げ、気怠げに懐にしまう。
教頭は白目を剥いて泡を吹き、完全にピクピクと痙攣していた。
「制圧完了ニャ! お嬢様、私、また悪い奴をぶっ飛ばしたニャ!」
ルナが教頭の背中の上に着地し、尻尾をピンと立てて得意げに胸を張る。
「ええ、素晴らしい働きですわ、ルナ。怪我がなくて何よりです」
セシリアが微笑んでルナを労うと、パニックに陥りかけていた大講堂に、再び静寂が戻った。
そして、誰からともなく拍手が沸き起こり、やがてそれは割れんばかりの大歓声となって、特命資料室の三人を包み込んだ。
王宮に続き、今度は王立魔法学園の危機を救った、平民の捜査官と悪役令嬢のバディ。
「……終わりましたね、セシリア」
レオンが乱れたスリーピーススーツの襟を直し、セシリアの隣に並んで立つ。
「ええ。最高の気分ですわ。私の脳裏に刻まれた因縁の顔を、あなたの科学と論理で完全に消去することができましたもの」
セシリアは琥珀色の瞳を輝かせ、誇り高く微笑んだ。
しかし、レオンの表情は、事件を解決したというのにどこか険しかった。
「教頭の口走った『あのお方の偉大なる浄化計画』。……国宝の魔力を利用して、王都全域を巻き込む巨大なテロが、すぐそこまで迫っているようですね」
レオンの言葉に、セシリアの笑みも引き締まる。
「ええ。ですが、相手が誰であろうと、どんな魔法を使おうと関係ありませんわ」
セシリアはレオンの横顔を見つめ、力強く言い切った。
「私たち特命資料室のファクトの前には、すべての悪意が論破される運命にあるのですから」
学園の闇を暴き、次なる巨大な陰謀の影を掴んだ三人。
科学と魔法の最終決戦の足音が、王都の地下から静かに、確実に響き始めていた。
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次回お楽しみに。




