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 王立魔法学園の地下深く、闇組織の隠し倉庫。


 レオンたちが国宝の密輸記録(裏帳簿)を発見した直後、開け放たれていた鉄格子の扉が、目に見えない力に引っ張られるように激しい音を立てて閉ざされた。


 ガシャンッ!!


 鈍い金属音が響き、鉄格子の錠前が青白い魔力光に包まれて『完全封鎖』される。


「……私の可愛い生徒が、こんな夜更けに地下で泥棒ごっことは感心しないね、セシリア君」


 鉄格子の向こう側。松明の灯りに照らされた教頭が、陰湿な笑みを浮かべて杖を構えていた。

 彼の背後には、顔を隠した黒装束の暗殺者たちが無言で立ち並んでいる。


「教頭……っ! 生徒に立派な訓示を垂れていた教育者が、裏では犯罪組織と結託し、国宝を売り捌いていたというのですの!?」


 セシリアが鉄格子越しに、怒りに満ちた声で糾弾する。


「人聞きの悪いことを言わないでくれたまえ。私はこの国を『より正しく、美しく』するための偉大な計画に協力しているだけだ。……もっとも、君のように頭が回りすぎる上に、権力闘争に敗れた哀れな令嬢には理解できないだろうがね」


 教頭は冷酷に鼻で笑い、杖の先端を倉庫の中に向けた。


「あの『星の涙』は、すでに我々の同志の元へ運ばれた。君たちがここを嗅ぎ回ることも想定済みでね。……この地下室は、君たちの素晴らしい墓標になるだろう」


 教頭が呪文を短く詠唱すると、彼の杖の先から不気味な緑色の煙がシューシューと音を立てて噴き出し、鉄格子の隙間から倉庫内へと流れ込み始めたのだ。


「……ッ、息を止めてください、二人とも!!」


 レオンが鋭く叫ぶ。


「この『深緑のヴェノム・グリーン』は、私の特製でね! 肺から吸い込めば数十秒で神経を破壊し、全身から血を噴き出して死に至る! 高位の解毒魔法がなければ絶対に助からない、魔法学の粋を集めた毒ガスだ!」


 教頭の狂気に満ちた高笑いが、地下水路に響き渡る。


 緑色の煙は、意思を持っているかのように床を這い、瞬く間に倉庫の空気を汚染していく。


「ウッ……ニャァァッ……!」


 真っ先に影響を受けたのは、人間よりも遥かに嗅覚と呼吸器官が敏感な獣人のルナだった。

 彼女は鼻と口を両手で塞いでいたが、粘膜を焼くような刺激臭に耐えきれず、その場に膝をついて苦しげに咳き込んだ。


「ルナ!!」


 セシリアが駆け寄ろうとするが、彼女自身も息苦しさと目の痛みに襲われ、足元がよろける。

 毒ガスはすでに、彼らの膝の高さまで充満していた。


「……セシリア、こちらへ!」


 レオンが片手でセシリアの腕を引き寄せ、自身の胸元に強く抱き込んだ。

 そして、無事な右手で自分のスリーピーススーツの内ポケットから清潔なハンカチを取り出し、持っていた水筒の水で濡らして、セシリアと自分の口元を同時に覆うように押し当てた。


「レ、レオン……っ。ルナが……!」


 ハンカチ越しに、セシリアがくぐもった声で叫ぶ。

 レオンの顔が至近距離にあり、彼が左肩の怪我の痛みに耐えながら自分を庇ってくれているのがわかる。


「落ち着いてください。水に濡らした布で水溶性の有毒ガスを一時的に防いでいるだけです。長くは持ちません。息を浅く、俺の心拍のリズムに合わせてください」


 レオンの心臓の音が、セシリアの胸にドクンドクンと力強く伝わってくる。

 その冷静な鼓動が、パニックになりかけていたセシリアの理性をどうにか繋ぎ止めていた。


「ハハハ! 無駄な抵抗だ! 魔法の毒から、そんな布切れ一枚で逃れられるものか!」


 鉄格子の向こうで教頭が嘲笑う中、レオンは冷徹な目で緑色のガスを観察していた。


(……特製の魔法毒? 馬鹿馬鹿しい。塩素系のツンとした刺激臭に、湿気に反応して広がる比重の重い気体。壁の鉄製の燭台が急速に酸化して黒ずんでいる。間違いない、ただの強酸性の有毒ガスに魔力を乗せて拡散力を上げているだけだ)


 レオンの脳内で、前世の化学知識とプロファイリングが高速で結びついていく。


「魔法由来だろうがなんだろうが、現実の物理空間に干渉し、肺胞の粘膜を破壊するという『物理的現象』を引き起こす以上、こいつは化学式を持った単なる『物質』に過ぎない」


 レオンはハンカチを口に当てたまま、足元に置いた革のトランクを足先で器用に開いた。


「セシリア。俺の左腕はさっきのトラップでうまく動きません。俺の指示通りに、トランクの中の薬品を混ぜ合わせてください。君の完璧な記憶力と手先の器用さが必要です」


「……っ! わ、わかりましたわ! 私の脳を信じなさい!」


 セシリアは恐怖を押し殺し、悪役令嬢としての度胸と、助手としての誇りを胸に、レオンの腕の中からトランクへと手を伸ばした。


「左から二番目の青い瓶。アンモニアベースの強アルカリ溶液です。それと、右端の赤い瓶のアルコール。二つをこのガラスのビーカーに、五対三の割合で注いでください。一滴でも間違えれば暴発します」


「五対三……! 任せなさい!」


 暗闇と毒ガスが迫る中、セシリアは極限の集中力で、レオンの指定した劇薬を震えることなく正確にビーカーへと注ぎ込んだ。

 彼女の指先は、王都の闇市で指紋採取の粉を扱った時と同じように、極めて精密で無駄がなかった。


「完璧です。次に、そこの木箱から落ちている『空間歪曲鉱石』の粗悪な破片を一つ拾って、ビーカーの中に叩き込んでください。それが触媒になります」


「これで……っ!」


 セシリアが拾い上げた鉱石の破片をビーカーに放り込んだ瞬間、ビーカーの中の液体が激しく沸騰し、ブクブクと泡を立て始めた。


「よし。強酸性の毒ガスには、強アルカリ性の気体をぶつけて強制的に『中和反応』を起こさせる。オカルトの毒など、中学校の理科の実験レベルで相殺可能です」


 レオンはセシリアの手からビーカーを受け取ると、沸騰する液体を、毒ガスが最も濃く滞留している部屋の中央に向かって思い切り放り投げた。


 ガシャンッ!!


 ビーカーが砕け散り、中の強アルカリ溶液が空気に触れた瞬間だった。


 シュゴォォォォォッ!!


 爆発的な化学反応が起こり、ビーカーを中心に真っ白な煙が猛烈な勢いで膨張した。


「な、なんだ!? 魔法の詠唱もなしに、何をした!?」


 教頭が驚愕の声を上げる。


 白と緑。相反する性質を持った二つの気体が空中で激しく衝突し、混ざり合う。

 それは魔法の戦いなどではなく、純粋な化学式同士の苛烈な結合反応だった。


 シューーーッ、という音と共に、緑色の有毒ガスはみるみるうちに色を失い、無害な白い水蒸気へと変質していく。

 そして、中和反応の副産物である『えん』の細かい結晶が、まるで地下室に降る雪のように、サラサラと天井から舞い落ちてきたのだ。


「……息を吸っても大丈夫ですよ。毒は完全に中和されました。ただの少し塩辛い水蒸気です」


 レオンがハンカチを下ろし、静かに告げた。


「ゲホッ、ゴホッ……! 鼻が……痛くなくなったニャ……!」


 うずくまっていたルナが、涙目で顔を上げる。

 倉庫内を満たしていた致命的な刺激臭は嘘のように消え去り、深呼吸しても全く問題のない綺麗な空気へと浄化されていた。


「私の……絶対確実な『深緑の死』が……消えただと!? ば、馬鹿な! 解毒魔法の波動など一切感じなかったぞ! ただの泥水で、魔法の毒を消し去ったというのか!」


 鉄格子の向こうで、教頭が目を見開き、信じられないものを見るように震えていた。


「だから、魔法というオカルトに頼る連中は視野が狭いと言っているんです」


 レオンがスリーピーススーツの襟を正し、鉄格子越しに冷酷な視線を突き刺す。


「酸性の毒にアルカリをぶつけて中和した。ただそれだけのことです。化学の絶対法則の前では、あなたの魔法の毒など、子供のシャボン玉と同じくらい簡単に割れるんですよ」


「ひぃっ……!」


「さて。俺の優秀な助手と生体センサーを呼吸困難に陥らせた罪は重い。……ルナ、もう動けますね?」


 レオンが顎で合図を送ると、ルナの琥珀色の瞳が、獲物を狙う猛獣のようにカッと見開かれた。


「当たり前ニャ。私の自慢の鼻を痛めつけた罪、万死に値するニャ!!」


 ルナが床を蹴り、獣人の圧倒的な瞬発力で鉄格子へと肉薄する。

 教頭が慌てて魔法の錠前を強化しようとするが、遅い。


「お嬢様とレオンに、二度と手出しさせるかニャァァッ!!」


 ルナの細くしなやかな脚が、鋼の鞭のようにしなり、魔力で強化された鉄格子の中心に強烈な回し蹴りを叩き込んだ。


 ドゴォォォォォンッ!!


「なっ……!?」


 物理的な絶対破壊。

 魔法の結界ごと、分厚い鉄格子の扉がひしゃげ、蝶番からへし折れて吹き飛んだ。


 吹き飛んだ鉄格子は、通路に立っていた暗殺者たちをボウリングのピンのように巻き込み、彼らを壁の奥深くまで叩き伏せた。


「ば、化け物め……っ! たかが獣人の小娘が、私の結界を物理で破壊するだと……!」


 教頭は腰を抜かし、這うようにして後ずさる。


「さて、教頭先生。国宝の密輸、裏帳簿の作成、そして俺たちへの殺人未遂。これであなたの罪状は確定です」


 レオンとセシリアが、ひしゃげた鉄格子を踏み越え、ゆっくりと通路へと進み出た。


「ふ、ふざけるな……! 私は学園のナンバー2だ! こんな薄暗い地下の出来事など、誰が信じるものか! 証拠の帳簿など、私が燃やしてしまえば……」


「往生際が悪いですね。俺たちがそんな簡単に証拠を渡すとでも?」


 レオンが冷笑する中、教頭は懐から黒く濁った魔石を取り出し、力任せに床に叩きつけた。


 バンッ! という音と共に、強烈な目眩ましの閃光と煙幕が通路を包み込む。


「目眩ましニャ! 追うニャ!」


「待ちなさい、ルナ! 煙の中に毒が混ざっている可能性がありますわ!」


 セシリアの的確な判断により、ルナは追跡を思いとどまった。

 煙が晴れた後、そこには気を失った暗殺者たちだけが残され、教頭の姿は完全に消え失せていた。


「……逃げられましたか。やはり組織の幹部クラスともなると、逃走用のアイテムは常備しているようですね」


 レオンは舌打ちをしたが、その表情に焦りはなかった。


「レオン、どうしますの? あの男、このまま学園の外へ逃亡するのでは……」


「いいえ。彼は逃げませんよ。彼の異常なまでのプライドと権力欲が、それを許さない。それに、明日は月に一度の『全校集会』だ」


 レオンは革のトランクを持ち直し、不敵な笑みを浮かべた。


「彼は自分が学園を支配していると信じている。必ず明日の集会に現れ、俺たちを『国宝を盗んだテロリスト』として大々的に糾弾し、すべての罪を被せようとするはずです」


「……マリアと全く同じ、サイコパス特有の自己正当化ですわね」


 セシリアもまた、冷ややかな悪役令嬢の笑みを浮かべて同意した。


「ええ。だからこそ、最高の舞台になる。俺たちが手に入れた『裏帳簿』と『教頭の筆跡』、そして『指紋』という絶対的なファクトを、全生徒の前で突きつけてやるんです」


 レオンは左腕の傷を軽く押さえながら、セシリアの琥珀色の瞳を見つめた。


「セシリア。明日の全校集会は、君が主役です。かつて君を理不尽に追放したこの学園と教頭に、特命資料室の助手として、完璧な引導を渡してやってください」


「ええ、望むところですわ。私の脳裏に刻まれたあの男の偽善の顔を、一枚残らず引っぺがして差し上げます」


 毒ガスが中和され、塩の結晶が雪のように降り積もる地下水路で。

 流した血と、共に作り上げた中和剤という名の絆で結ばれた三人は、明日の『公開処刑』に向けて反撃の狼煙を上げた。


 科学と論理を武器とする特命資料室のバディによる、容赦のない法廷劇ショーが、いよいよ学園の大講堂で幕を開けようとしていた。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。


本作を応援してくださる方は、ぜひブックマークや下の評価【☆☆☆☆☆】をいただけますと幸いです。


次回お楽しみに。

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