20
王都を揺るがした建国記念祭のテロ未遂事件から、ちょうど一週間。
王都警視庁・特命資料室の「平和で甘い日常」は、唐突に終わりを告げた。
「……現在時刻、午前八時。レオン、いい加減に起きなさい。今日からまた通常業務ですわよ」
エプロン姿のセシリアが、万年床で毛布にくるまっているレオンの背中を、持っていた羽ペンでツンツンと突いた。
「……んん。拒否します。俺の脳はまだ、先週の調書作成による深刻なダメージから回復していません。あと三日は有給を消化する権利がある」
毛布の塊から、ひどく気怠げなうめき声が返ってくる。
「有給などという甘ったれた制度、この特命資料室には存在しませんわ! いいから起きて、この山積みの未処理ファイルを……」
セシリアが毛布を力ずくで引き剥がそうとした、その時だった。
コンコンコンッ!
特命資料室の分厚い鉄扉が、ひどく切羽詰まった様子で乱暴に叩かれた。
「……朝からうるさいですね。借金の取り立てですか」
レオンがのっそりと身を起こし、ボサボサの髪を掻き乱す。
「こんな地下室に取り立て屋なんて来るわけないニャ。私が開けるニャ」
ルナが警戒しながら扉の鍵を開けると、そこには息を切らした一人の青年が立っていた。
王立魔法学園の制服である、深い青色のローブを身に纏った、銀縁眼鏡の知的な青年だ。
「はぁ、はぁ……っ! こ、ここが王都警視庁の特命資料室で間違いないでしょうか! 優秀な捜査官がいると、本庁舎の受付で聞いて……っ」
青年は肩で息をしながら、室内を見回した。
そして、エプロン姿のセシリアと目が合った瞬間、ハッと息を呑んで硬直した。
「せ、セシリア様……!? なぜ、公爵家を勘当されたあなたが、警察の地下室に……!」
「あら。あなたは確か、魔法学園で私の隣の席だった……ユリウス・フォン・クライン男爵令息ですわね」
セシリアは羽ペンを置き、優雅に微笑んだ。
ユリウスは魔法学園において、実技よりも座学と魔法陣の研究に秀でた優秀な特待生だったと記憶している。
「お知り合いですか、助手さん」
レオンが毛布を被ったまま、死んだ魚のような目で問いかける。
「ええ。私が学園に通っていた頃の、優秀なクラスメイトですわ。……それで、ユリウス様。魔法学園の生徒が、警察に何の用ですの? 学園内のトラブルは、基本的に自治会と魔法省が処理するはずですが」
セシリアの的確な指摘に、ユリウスは青ざめた顔で唇を噛み締めた。
「そ、それが……魔法省には内密にしなければならない事態が起きたんです。昨夜、学園の地下深くにある『禁書庫』から、国宝級の魔導具が盗まれました……!」
「国宝級の魔導具の盗難ですって?」
セシリアの眉がピクリと動く。
「はい。王宮の結界をも凌駕する、学園長特製の『絶対封鎖結界』が張られた密室から、跡形もなく消え去ったんです。魔法省の連中は『内部犯の仕業だ』と疑心暗鬼になり、学園は現在パニック状態で……」
ユリウスが悲痛な声で訴える中、レオンはふぁぁと盛大な欠伸をした。
「……絶対封鎖結界の密室ね。つまり、誰も出入りできない部屋から物が消えたと。典型的な『不可能犯罪(密室トリック)』ですね」
レオンは毛布を脱ぎ捨て、気怠げに立ち上がった。
「悪いですが、他を当たってください。俺は魔法という非論理的なオカルトの調査には興味がありません。それに、今日はセシリアが新作のクッキーを焼く日なんです」
「なっ……! クッキーと国宝、どちらが大事だと思っているんですの!」
セシリアが顔を真っ赤にして怒鳴るが、レオンは全く意に介さない。
「クッキーです。俺の血糖値の維持は、王国の平和より優先順位が高い」
「……あ、あの!」
断られそうになったユリウスが、慌てて一歩前に出た。
「学園長が、もしこの事件を内密に解決してくださるなら、報酬として学園の特別書庫へのアクセス権と……学園内の『王室御用達の高級購買部』での、一生涯無料パスポートを差し上げると仰っています!」
ピタッ、と。
レオンの動きが、時が止まったように静止した。
「……一生涯、王室御用達の菓子が食べ放題、だと?」
「は、はい! 最高級のマカロンも、砂糖漬けのフルーツも、すべて学園の経費で落とします!」
次の瞬間、レオンはすでに漆黒のコートを羽織り、革のトランクを手に持って扉の前に立っていた。
その瞳からは先ほどの気怠さが完全に消え失せ、凄まじい眼光を放っている。
「セシリア、ルナ。五秒で準備をなさい。魔法学園の密室など、俺の論理と科学の力で一分以内に論破してやります。一生分のマカロンが俺を呼んでいる」
「……本当に、この男の行動原理は単純すぎて頭が痛いですわ」
セシリアは深々と溜息をつきながらも、すぐに外出用のローブを羽織った。
「でも、お嬢様の学園ニャ。久しぶりに行けるのはちょっと楽しみニャ」
ルナも帽子で猫耳を隠し、準備を整える。
こうして、特命資料室の三人は、新たな事件の舞台である『王立魔法学園』へと足を踏み入れることになった。
王立魔法学園。
王都の北部に位置するその広大な敷地は、高い尖塔と緑豊かな庭園に囲まれ、国中の優秀な魔法使いの卵たちが集うエリート機関である。
ユリウスの案内で学園の裏口から潜入した三人は、生徒たちの目を避けながら、地下にある『禁書庫』へと向かった。
「……懐かしいですわね。私がここを歩くのは、半年ぶりになりますわ」
セシリアが石造りの冷たい廊下を歩きながら、少しだけ感慨深げに呟く。
彼女はかつて、この学園でトップの成績を誇る令嬢だった。マリアの罠にはめられ、公爵家を追われるまでは。
「感傷に浸っている暇はありませんよ。ほら、現場に着きました」
レオンの言葉に前を向くと、廊下の突き当たりに、重厚な鋼鉄の扉が現れた。
扉の表面には複雑な魔法陣が幾重にも刻まれ、淡い光を放っている。
その扉の前には、長い白髭を生やした初老の男――魔法学園の学園長が、深刻な顔で腕を組んでいた。
「おお、ユリウス君! 優秀な捜査官を連れてきてくれたか!」
学園長がレオンたちを見てパッと顔を輝かせるが、セシリアの顔を見た瞬間にギョッと目を剥いた。
「せ、セシリア嬢!? なぜ君がここに……!」
「ご無沙汰しております、学園長。今は特命資料室の助手として、真実を探求する身ですわ」
セシリアが優雅にカーテシー(挨拶)をすると、学園長は困惑しながらもレオンに向き直った。
「と、ともかく……事態は一刻を争うのだ。盗まれたのは『星の涙』と呼ばれる、超高密度の魔力結晶体。もし悪用されれば、王都の半分が吹き飛ぶほどの爆弾にもなり得る」
「物騒なものを学校の地下に置かないでくださいよ。で、これがその『絶対に破れない密室』の扉ですか」
レオンは学園長の話を半分聞き流し、鋼鉄の扉に顔を近づけた。
「その通りだ。この扉には、登録された私の魔力波長でしか開かない『絶対封鎖結界』が張られている。無理にこじ開けようとすれば、警報が鳴り響く仕組みだ。昨夜も警報は一切鳴らず、今朝私が扉を開けた時には、中身だけが消えていたのだよ」
学園長が悔しそうに拳を握る。
「なるほど。魔法の警報は鳴らず、鍵も壊されていない。見事な魔法の密室というわけですね」
レオンは懐からルーペを取り出し、扉の表面や鍵穴を嘗め回すように観察し始めた。
「レオン。やはり、高度な空間転移魔法で中身だけを転移させたのでしょうか? 先日のマリアのように」
セシリアが推測を述べるが、レオンは首を横に振った。
「マリアの時は、地下室に巨大な転移陣を描くという『物理的な準備』がありました。しかし、この扉の周囲には、空間歪曲鉱石の残骸も、転移陣を描いた痕跡もありません」
レオンは扉の蝶番の部分をルーペで覗き込み、フッと冷ややかに笑った。
「セシリア。少しこちらへ来てください」
「な、なんですの?」
セシリアが怪訝な顔で近づくと、レオンは不意に彼女の腕を引き寄せ、自分の胸元にピタリと密着させた。
「ひゃっ!? な、なな、何を……っ!」
「静かに。君の髪の毛に、微細な粉末が落ちました。貴重な証拠です」
レオンはセシリアの頭上、扉の上の壁からパラパラと落ちてきた白い粉を指で慎重に拭い取った。
その間、セシリアの顔はレオンの胸板に押し付けられ、彼の心音がダイレクトに伝わってくる。
「……っ、証拠を採取するなら、普通に言えばいいでしょう! なぜわざわざ引き寄せるんですの!」
セシリアが顔を真っ赤にして抗議してレオンから離れる。
「君の髪は上質な金糸のように細く、静電気を帯びやすい。微細な粉末をキャッチする『フィルター』として極めて優秀なんです。業務効率化の一環ですよ」
「〜〜〜っ! この、絶望的なデリカシーのなさ! 私は埃取りのモップではありませんわ!」
「お嬢様をモップ扱いするなニャ! 今すぐその目を引っ掻くニャ!」
ルナがシャーッと威嚇するのをスルーし、レオンは指先に付着した白い粉末をルーペで観察した。
「……漆喰の粉ですね。しかも、削り取られたばかりの真新しいものだ」
レオンは視線を上げ、鋼鉄の扉そのものではなく、扉を囲む『石造りの壁』を見上げた。
「学園長。この絶対封鎖結界とやらは、扉そのものにしか張られていないんじゃないですか?」
「なっ……当たり前だろう! 結界は非常に魔力を消費する。扉を封鎖すれば、中には入れないのだから!」
その言葉を聞き、レオンは呆れたように深々と溜息をついた。
「魔法使いというのは、本当に視野が狭い。魔法というオカルトに頼りすぎるあまり、もっと単純で物理的な盲点を見落としている」
レオンは革のトランクから小さなハンマーを取り出し、扉のすぐ横にある石造りの壁をコンコンと叩いた。
「結界が張られているのは扉だけ。ならば、犯人は扉を開ける必要なんてなかったんですよ」
レオンがハンマーで特定の石の継ぎ目を強く叩くと、ゴトッ、という鈍い音と共に、壁の一部を構成していた大きなブロック石が、ポッカリと内側へ外れ落ちたのだ。
「「なっ……!?」」
学園長とユリウスが驚愕に目を見開く。
「……壁の石を、物理的に外したんですの?」
セシリアが信じられないというようにその穴を覗き込む。
「ええ。犯人は事前に壁の石の漆喰を薬品で溶かし、外から押し込めるように細工しておいた。そして昨夜、この石を外してできた壁の穴から、細長いマジックハンドのような道具を使って、中の魔導具を釣り上げたんです」
レオンは穴の縁に付着していた、摩擦による黒い擦れ跡を指差した。
「空間転移などという大層な魔法ではない。結界の隣の壁に物理的な穴を開けるという、前世の銀行強盗が笑って呆れるような古典的な泥棒の手口ですよ」
「ば、馬鹿な……! 我々の絶対封鎖結界が、そんな原始的な方法で破られたというのか……!」
学園長が膝から崩れ落ちる。
「事実は小説より奇なり、です。さて、手口はわかりました。あとはこの壁に細工をした泥棒を見つけるだけですが……」
レオンの目が、不敵な光を帯びて細められた。
「この漆喰を溶かすのに使われた薬品の匂い。マリアが使っていた『マンドラゴラ抽出液』の溶剤と、成分が酷似しています」
その言葉に、セシリアの顔色が変わった。
「つまり……マリアに違法薬物を流していた組織の残党か、あるいは別の協力者が、この学園内に潜んでいるということですの?」
「そういうことになりますね。どうやら俺たちの一生分のマカロンは、少し厄介な連中と繋がっているらしい」
レオンはハンマーをしまい、冷徹な捜査官の顔で廊下の奥を見据えた。
平和な学園を舞台にした、新たな『科学対魔法』の推理劇。
マリアの影に見え隠れする巨大な闇の組織の尻尾を掴むため、特命資料室のバディは、再び危険な捜査へと足を踏み入れようとしていた。
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次回お楽しみに。




