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 建国記念祭の熱狂に包まれていた王宮の大広間は、今や冷ややかな静寂に支配されていた。


 レオンが放った『ノイズキャンセラー』の高周波によって、空間に満ちていた集団催眠の魔力波長は完全に相殺された。

 狂気じみた怒りに駆られていた貴族たちや近衛兵は、まるで長い悪夢から目を覚ましたように、困惑した表情で顔を見合わせている。


「私、は……。一体、なぜあんなに激昂して……」


 王太子アルベルトもまた、自身のこめかみを押さえ、よろめくように数歩後ずさった。

 先ほどまでセシリアを八つ裂きにしろと叫んでいた彼の瞳から、濁った光が消え去り、困惑と混乱の色が浮かんでいる。


「で、殿下……? どうされたんですか、殿下! 私です、可哀想なマリアです! まだあのテロリストどもがそこにいますよ!」


 マリアがアルベルトの腕にしがみつき、再び嘘の涙を浮かべて甲高い声を上げた。


 だが、洗脳のフィルターが外れたアルベルトの耳には、その声は以前のような心地よい響きを持たず、ただ耳障りな不協和音のように聞こえた。


「マリア……。君は、暴漢に襲われたと……いや、待て。警備の厳重な王宮の庭園で、どうやってテロリストが爆薬を……?」


 アルベルトの理性が、彼女の言葉の不自然さにようやく気づき始めていた。


「脳の霧が晴れたようで何よりです、殿下」


 漆黒の燕尾服に身を包んだレオンが、革靴の音を響かせて大広間の中央へと進み出た。


「集団催眠の魔法は、人間の論理的思考を麻痺させ、感情を極端に増幅させます。あなたが彼女の三文芝居を盲信していたのは、あなたの愛が深かったからではない。単なる脳内物質の分泌異常ですよ」


「なっ……き、貴様、王太子に向かって……!」


「事実を述べているだけです。さて、マリア嬢。あなたの描いた稚拙なシナリオの矛盾を、一つずつ論破していきましょうか」


 レオンはアルベルトの怒りを冷徹に受け流し、マリアへと鋭い視線を向けた。


「あなたは先ほど、庭園を散歩していたら突然覆面の暴漢に襲われ、服を引き裂かれたと証言しましたね」


「え、ええ! そうよ! セシリア様が差し向けた暴漢が……!」


「おかしいですね。暴漢に襲われたのなら、なぜあなたのドレスの切れ端が、星見の塔の『地下室』に落ちていたんですか?」


 レオンは懐から、先ほど地下室で回収したピンク色のドレスの切れ端を取り出し、群衆の前に高く掲げた。


「星見の塔の地下室……!? あそこは、数年前から立ち入り禁止になっているはずだぞ!」


 周囲の貴族たちがざわめき始める。


「そ、それは……私が逃げ込んだからよ! 暴漢に追われて、必死に地下室に隠れたの!」


 マリアが咄嗟に言い訳を口にするが、レオンは嘲笑うように鼻を鳴らした。


「なるほど、逃げ込んだと。では、なぜこの切れ端の断面には、強酸性の溶解液の飛沫と、地下の泥が付着しているんですか? そして、その飛沫の跡は、あなたの今のドレスの破れ目と、パズルのピースのように完全に一致している」


 レオンが切れ端をマリアのドレスの破れ目に近づけると、不自然な焦げ跡と泥の汚れが、見事に一本の線として繋がった。


「フラクチャーマッチング。物理的な断面の照合です。あなたが地下室の泥水の中で、自分でドレスを引き裂いたという動かぬ証拠です」


「……っ!」


 マリアの顔から血の気が引く。


「暴漢など最初から存在しない。あなたは地下室で巨大な転移陣を描き、祭典の会場に魔物を送り込もうとしていた。だが、俺にそれを阻止され、苦し紛れに逃走用の魔石を使ってこの大広間に転移し、『襲われた』という嘘をついたんです」


「で、でたらめよ! 私が魔物を送り込むなんて、そんなことできるわけないじゃない! 私にはそんな強い魔力はないわ!」


 マリアがヒステリックに叫び、周囲の貴族たちに同情を求めるように視線を彷徨わせた。


「殿下、信じてください! この男は、私を陥れるために嘘の証拠を作っているんです!」


 アルベルトはマリアとレオンを交互に見比べ、混乱の極みに達していた。

 魔力が弱いマリアに、王宮の結界を破る巨大な転移陣など描けるはずがない。その常識が、彼の判断を鈍らせていた。


「ええ、あなたの魔力では不可能ですわね。だからこそ、あなたは『空間歪曲鉱石』という違法な触媒に頼ったのでしょう?」


 凛とした声が、大広間に響き渡った。


 燃えるような真紅のドレスを身に纏ったセシリアが、レオンの横に優雅な足取りで並び立った。

 彼女の手には、王都の闇市から持ち帰った革のトランクが握られている。


「セ、セシリア……!」


「お久しぶりですわね、皆様。私は今、王都警視庁の特命資料室において、この優秀な捜査官の助手を務めておりますの。本日は、この女の卑劣なテロ計画の全貌を暴くために参りました」


 セシリアは堂々たる態度でトランクを机の上に置き、パチンと留め具を外した。


 その威風堂々とした悪役令嬢としての佇まいは、数千の観衆を圧倒するほどの美しさと気迫に満ちていた。


「マリア。あなたは転移陣を描くため、王都の闇市で大量の『空間歪曲鉱石』と、他者を洗脳するための『マンドラゴラ抽出液』を買い集めていましたわね。これが、あなたが闇市の商人に直接手渡した注文書ですわ」


 セシリアはトランクから羊皮紙の注文書を取り出し、広間の照明にかざした。


「ば、馬鹿なことを! そんな紙切れ、誰が書いたものかわからないじゃない!」


 マリアが嘲笑するように叫ぶが、セシリアの口角が不敵に吊り上がった。


「ええ、筆跡だけならいくらでも言い逃れができるでしょう。ですが、これはどうかしら?」


 セシリアは注文書の端、微細なアルミニウム粉末によって浮かび上がった『指紋』の部分を指差した。


「これは『指紋』と言って、人間の指先にある隆起の跡ですの。世界中の誰一人として、同じ模様を持つ人間は存在しない。あなたがこの注文書に触れた時に残した、絶対的な個人の識別情報ですわ」


 指紋という未知の科学技術の概念に、貴族たちは息を呑んで静まり返った。


「私が闇市で採取したこの指紋と、あなたの私室に残された指紋を照合すれば、あなたが違法鉱石と薬物を密輸していた協力者であることは、完全に証明されます」


「嘘よ……! そんな黒い粉で作った模様なんて、魔法の呪いでいくらでも捏造できるわ! 証拠になんてならない!」


 マリアが顔を真っ赤にして地団駄を踏み、セシリアを指差して喚き散らす。


「証拠なら、私室から十分すぎるほど見つかったぞ」


 大広間の入り口から、低くよく通る男の声が響いた。


 群衆が道を開けると、そこには白銀の鎧を着た近衛騎士団が整然と並び、その先頭には、次期騎士団長候補のカイルが立っていた。


「カ、カイル様……!」


 マリアの顔に、希望の光が差す。

 数日前の査問会議で洗脳を解かれたはずのカイルだが、マリアはまだ彼が自分の手駒だと信じ込もうとしていた。


「カイル様、助けてください! あのテロリストたちが、私を罪人に仕立て上げようと……!」


 マリアが助けを求めて駆け寄ろうとするが、カイルは冷酷なまでに鋭い視線で彼女を射抜き、その歩みをピタリと止めた。


「近寄るな、マリア嬢」


 カイルの声には、かつての熱を帯びた盲目的な愛情は微塵もなかった。

 あるのは、誇り高き騎士としての絶対的な正義と、自分を薬物で操った女への底知れぬ嫌悪だけだった。


「先ほど、殿下の許可を得て君の私室を捜索させてもらった。結果、セシリア嬢の言う通り、その注文書と同じインク瓶、そして大量の『マンドラゴラ抽出液』と『空間歪曲鉱石の残骸』が発見された」


「……っ!!」


 マリアの足がガクンと崩れ、その場にへたり込んだ。


 カイルはさらに言葉を続ける。


「おまけに、君の部屋からは、私や殿下の行動パターン、そして好感度を上げるための『シナリオ』がびっしりと書き込まれたノートまで見つかっている。……もはや、言い逃れは不可能だ」


 カイルの決定的な証言により、大広間の空気は完全に決定づけられた。

 マリアが可憐な被害者などではなく、王宮を裏から支配しようとした恐るべきサイコパスであることが、白日の下に晒されたのだ。


「ま、マリア……。君は、私を騙して……薬で操っていたというのか……?」


 アルベルトが震える声で呟き、信じられないものを見るようにマリアから後ずさった。

 自分の愛が、すべて薬物と計算によって作られた偽物であったという事実に、彼のちっぽけなプライドは完全に打ち砕かれていた。


「あ、ああ……違う、違うの! 殿下、カイル様! 私はただ、あなたたちに愛されたかっただけで……!」


 四面楚歌となったマリアは、床を這いつくばりながら必死に二人にすがりつこうとする。


 だが、もはや誰も彼女に同情の目を向ける者はいなかった。

 貴族たちは軽蔑の目を向け、近衛兵たちは彼女を捕縛するために槍の穂先を向けている。


「……どうして」


 マリアの震える唇から、呪詛のような声が漏れた。


「どうして、こんなことになったのよ……。私は主人公なの。私が一番可愛くて、特別で、すべてを手に入れるはずだったのに……!」


 彼女の瞳から、偽りの涙が消え去った。

 残ったのは、自分の思い通りにならない世界への純粋な怒りと、狂気だけ。


「お前たちが……お前たちのようなモブが、私の邪魔をするから! 私の完璧なシナリオを、めちゃくちゃにしたからァァッ!!」


 マリアが発狂したように叫び、懐から先ほどとは別の、黒く濁った魔石を取り出した。


「死ね! 私を愛さない世界なんて、全部吹き飛んでしまえ!!」


 彼女が自爆用の強力な爆発魔石を発動させようと、魔力を込めたその瞬間。


「お嬢様の前で、野蛮な真似をするなニャ!!」


 セシリアの影から、銀色の弾丸が飛び出した。

 獣人のメイド、ルナである。


 ルナは人間には反応しきれない神速のステップでマリアの懐に潜り込むと、彼女の顎に的確なアッパーカットを叩き込み、同時に魔石を握った手首を強烈に蹴り上げた。


「ガハッ……!?」


 マリアの体が宙に浮き、魔石が手から弾け飛ぶ。

 宙を舞った魔石は、レオンが気怠げに手を伸ばしてパシッとキャッチした。


「……はい、証拠品回収完了。自爆テロの未遂も追加ですね。これで役満です」


 ドサリ、と無様な音を立てて床に転がったマリアは、完全に気を失っていた。


「制圧完了ニャ! お嬢様、あの変態公務員、私よくやったニャ!」


 ルナが尻尾をピンと立てて得意げに胸を張る。


「ええ、完璧ですわ、ルナ。素晴らしい活躍でした」


 セシリアが微笑んでルナの頭を撫でると、大広間は水を打ったような静寂の後、やがて割れんばかりの歓声と拍手に包まれた。


 王宮の危機を救ったのは、勘当された悪役令嬢と、名もなき平民の捜査官、そして獣人のメイドだった。

 誰もがその事実を認め、三人に称賛の眼差しを向けている。


「……終わりましたね」


 レオンが燕尾服のポケットに魔石をしまい、深く息を吐いた。


「ええ。私たちの完全勝利ですわ」


 セシリアは真紅のドレスの裾を軽く持ち上げ、レオンに向かって優雅に微笑んだ。


「君の持ち帰ったファクトが、あの狂人の台本を打ち砕く最大の武器になりました。素人の初仕事としては、百点満点をつけてやってもいい」


「あら、七十点だったのではなくて?」


「俺のノイズキャンセラーで君の脳を保護した分、三十点加点したんです。俺のインフラ設備は最高品質ですからね」


 相変わらずのデリカシーのない理屈に、セシリアは呆れたように小さく吹き出した。


「本当に、あなたという人は……。でも、悪くありませんわ。そのひねくれた論理が、世界を救ったのですから」


 気絶したマリアが近衛兵たちに引きずられていくのを横目に、二人は大広間の輝かしいシャンデリアの下で、静かに言葉を交わした。


 乙女ゲームの稚拙なシナリオは、科学と論理の力によって完全に破綻し、終焉を迎えた。

 世界規模の精神干渉魔法を打ち破った彼らの前には、ファクトという絶対的な真実に裏打ちされた、新たな日常が待っている。


 王都警視庁・特命資料室の最強のバディの伝説は、ここから本当の幕を開けるのだった。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。


本作を応援してくださる方は、ぜひブックマークや下の評価【☆☆☆☆☆】をいただけますと幸いです。


次回お楽しみに。

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