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 王都警視庁の地下深く、冷たい石造りの廊下の突き当たりにある特命資料室。


 近衛騎士団の大講堂で、サイコパスヒロインたるマリアの化けの皮を剥がし、カイルの洗脳を解除するという大仕事を終えた三人は、無事に自分たちの城へと帰還していた。


「あー……ダメだ。限界です。俺の脳細胞がストライキを起こし始めました」


 部屋に入るなり、レオンは黒いコートを脱ぎ捨てることもせず、いつものソファーに顔からダイブした。


「本当に、あなたという人は……。あの大舞台で堂々と大立ち回りを演じた直後だというのに、緊張感というものが全くありませんのね」


 セシリアが呆れたように溜息をつきながら、レオンが脱ぎ捨てようとしたコートを素早くキャッチし、ハンガーにかける。


「緊張感とカロリー消費は比例するんです。あの狂ったヒロインの心理をトレースし、カイルの自律神経の回復速度を計算しながらの交渉。俺の脳内ブドウ糖は、現在完全に枯渇しています」


 ソファーに沈んだまま、レオンが虫の息でうわ言のように呟く。


「ルナ……。俺の血中糖度を、至急致死量ギリギリまで引き上げてください……」


「致死量まで上げたら死ぬニャ! 全く、世話の焼ける変態公務員だニャ」


 ルナが文句を言いながらも、手際よくキッチン(という名目の給湯スペース)へ向かい、あらかじめ作っておいた特製のスイーツを用意し始めた。


 数分後、レオンの目の前のローテーブルに、暴力的なまでの甘さを誇る一品がドンッと置かれた。


「はい、お嬢様特製レシピの、超高密度キャラメルと蜂蜜のパフェニャ。底にはシロップ漬けのスポンジが敷き詰めてあるニャ」


「……素晴らしい。この輝き、まさに命の源だ」


 レオンはゾンビのように身を起こすと、無言でパフェを口に運び始めた。

 一口食べるごとに、死んだ魚のようだった彼の瞳に、みるみると理知的な光が戻ってくる。


「……完璧です。セシリア、君の考案する糖分補給メソッドは、王都のどの名医の処方箋よりも俺の脳にダイレクトに効く。やはり、君という存在はこの特命資料室に必要不可欠なインフラ設備だ。法律で縛り付けてでも、一生俺の専属パティシエ兼助手として手元に置いておきたい」


「ゴホッ、ゲホッ……!?」


 向かいの席で優雅に紅茶を飲んでいたセシリアが、盛大にむせた。


「い、いっ、一生って……あなた、自分がどれだけ恥知らずな発言をしているか、自覚はありますの!?」


「恥知らず? 業務効率の最大化と、優秀な人材の確保という極めて合理的な提案ですが」


 レオンはスプーンを口にくわえたまま、不思議そうに首を傾げた。


「そういうところがデリカシーゼロの朴念仁だと言っているんですの! もう、あなたの顔なんて見たくありませんわ!」


 セシリアは顔から火が出るほど赤くなり、バンッとティーカップを置いて顔を背けた。


「お嬢様を口説くなら、まずはそのだらしない私生活を直してからにするニャ!」


 ルナが威嚇するように尻尾を膨らませるが、レオンは「口説く? 俺は労働契約の話をしているんですが」と全く的外れな反応を返している。


 だが、セシリアが顔を背けた本当の理由は、照れ隠しだけではなかった。


(……マリア。あの女の、最後の笑み……)


 セシリアの脳裏に、大講堂から逃げ去る直前の、マリアの狂気を孕んだ笑顔がフラッシュバックしていた。


『この世界は、私が愛されるために存在しているの。あなたたちのようなエラーは、いずれ強制的に排除されるわ』


 その言葉が、氷のように冷たくセシリアの心臓に張り付いていた。

 彼女はかつて、ゲームの強制力によって『悪役令嬢』として断罪される運命にあった。

 その理不尽なシナリオの恐怖を、誰よりも知っているのは彼女自身なのだ。


 不意に、セシリアの華奢な肩が、ブルリと微かに震えた。


「……セシリア」


 いつの間にか、レオンがテーブルを回り込み、彼女のすぐ目の前に立っていた。


「な、なんですの。まだパフェの量が足りないなら、ルナに……」


 セシリアが強がって顔を上げようとした瞬間、レオンの大きな手が、彼女の細い手首をふわりと掴んだ。


「ひゃっ……!?」


「動かないで。……脈拍百二十。平常時より三十パーセント以上も増加しています。それに、皮膚温度が低下し、微弱な震え(振戦)が起きている」


 レオンはセシリアの手首の脈を指先で測りながら、彼女の顔を至近距離からじっと覗き込んだ。

 彼の整った顔立ちが、鼻先が触れそうなほどの距離に迫る。


「レ、レオン……近いですわ……っ。離して……」


「交感神経が極度に過敏になっていますね。ストレスホルモンであるコルチゾールの分泌過多は、脳の海馬を萎縮させ、君の最大の武器である記憶力に悪影響を及ぼす。俺の優秀な『外部記憶装置』が壊れては困るんですよ」


「が、外部記憶装置って何ですの! 人を物みたいに……!」


「マリアの最後の言葉に、恐怖を感じたんでしょう」


 レオンの静かな、しかしすべてを見透かすような声に、セシリアの反抗がピタリと止まった。


「あのサイコパスがどれだけ世界を歪めようと、シナリオという名の見えない強制力が働こうと、恐れる必要はありません」


 レオンはセシリアの手首を離すと、今度は彼女の震える肩に、ポンと軽く手を置いた。


「魔法も、運命も、人間の脳が作り出すただのバグに過ぎない。俺と君が揃っていれば、どんな非論理的な幻想も、必ず客観的なファクトで殴り倒せます。だから、君は俺の隣で、ただ事実だけを見ていればいいんです」


 それは、甘い言葉など一切含まれていない、不器用で理屈っぽい彼なりの最大限の『慰め』だった。


 レオンの掌から伝わる確かな熱と、その絶対的な自信に満ちた言葉に、セシリアの心臓の奥に張り付いていた氷が、じんわりと溶けていくのを感じた。


「……ええ。そうですわね。私が怯えてどうしますの。私たちは、あの女の稚拙なシナリオを、完膚なきまでに叩き潰すバディですものね」


 セシリアは深く息を吐き、いつもの誇り高き令嬢の笑みを取り戻した。


「よろしい。コルチゾールの値が下がったのなら、仕事の続きです」


 レオンは満足げに頷くと、自分のコートのポケットから、小さなシャーレを取り出して机の上に置いた。


「講堂から逃げる際、マリアが使った空間転移魔法の痕跡。その床の焦げ跡から削り取ってきた微細な粉末です」


「……ただの焦げ跡ではありませんの?」


「空間転移という現象は、魔法というオカルトで片付けられがちですが、本質は空間の座標を強制的に書き換える『量子のトンネル効果』に近い」


 レオンはルーペを覗き込みながら、シャーレの中の黒い粉末をピンセットで突いた。


「この粉末には、王都では流通が厳しく制限されている『空間歪曲鉱石』の成分が微量に含まれています。これを触媒にしなければ、あんな一瞬で座標を跳躍することなど不可能です」


「つまり、マリアは裏社会の闇市か、あるいは何らかの密輸ルートを通じて、違法な鉱石を手に入れているということニャ?」


 ルナが耳をピクピクと動かしながら核心を突く。


「その通りです、ルナ。サイコパスは自分の手を汚すことを嫌う。彼女に違法な薬物や鉱石を供給している『協力者』が必ず存在するはずだ。そこを叩けば……」


 レオンが推理の糸を紡ぎかけようとした、その時だった。


 バンッ!!


 特命資料室の重厚な鉄扉が、爆発したかのような乱暴な音を立てて蹴り開けられた。


「……ノックの仕方も知らない野蛮人が、何の用ですか」


 レオンが気怠げに視線を向けると、そこには王室の紋章を刻んだ鎧を着た、数名の近衛兵が立っていた。

 そしてその後ろから、顔を真っ赤にして激昂した見覚えのある男が姿を現す。


 王国の第一王子であり、マリアの最大の信奉者、王太子アルベルトだった。


「貴様だな! この王都警視庁の地下に巣食う、卑劣な平民のネズミというのは!」


 アルベルトの怒鳴り声が、狭い資料室にビリビリと響き渡る。


「卑劣なネズミとは心外ですね。俺はただの、善良で論理的な公務員ですが」


 レオンはソファーから立ち上がることもせず、座ったまま冷ややかに応じた。


「黙れ! マリアからすべて聞いたぞ! 貴様が騎士団の大講堂に乱入し、あろうことかマリアに正体不明の薬品を浴びせ、カイルを毒牙にかけたそうだな!」


 アルベルトの言葉に、セシリアとルナは思わず顔を見合わせた。


「……正体不明の薬品? 毒牙? 完全に事実が捻じ曲げられていますわね」


 セシリアが扇子で口元を隠しながら、呆れたように呟く。


 マリアは講堂から逃走した後、そのまま王太子アルベルトの元へ泣きつきに行ったのだろう。

『レオンという恐ろしい捜査官に薬品を嗅がされ、カイル様が幻覚を見せられてしまった』とでも吹き込んだに違いない。


「マリアは恐怖で震えていた! カイルの精神を薬品で破壊し、マリアを罪人に仕立て上げようとするなど、断じて許される行為ではない! 背後にいるのは、そこにいるセシリアだな!」


 アルベルトが憎悪の籠もった目でセシリアを睨みつける。


「相変わらず、脳の処理能力が著しく低いようで安心しましたよ、殿下。ご自身の目で事実を確認することもなく、サイコパスの涙という安っぽいプロパガンダを盲信している」


 レオンの容赦のない冷笑に、アルベルトの額に青筋が浮かんだ。


「き、貴様……っ! 王太子たる私を愚弄するか! 兵士たちよ、この無礼な男を今すぐ捕縛しろ!」


 アルベルトの命令で、近衛兵たちが一斉に剣を抜き、レオンを取り囲んだ。


「お嬢様とレオンには指一本触れさせないニャ!」


 ルナが鋭い爪を剥き出しにして前に出ようとするが、レオンがスッと手を上げてそれを制止した。


「やめなさい、ルナ。ここで王室の近衛兵に暴力を振るえば、それこそ奴らのシナリオ通り『反逆罪』が成立してしまいます」


 レオンはゆっくりと立ち上がり、両手を軽く上げて抵抗の意志がないことを示した。


「それで、殿下。俺をどうするおつもりですか。証拠もなしに処刑でもしますか?」


「……貴様のような下賤な男の血で、王宮の処刑場を汚す気はない。だが、その警察権限は今この瞬間に剥奪する!」


 アルベルトは懐から、王家の紋章が押された一枚の羊皮紙を取り出し、レオンの机に叩きつけた。


「王族への不敬、ならびに近衛騎士に対する違法薬物使用の疑いにより、特命資料室の捜査官レオンに、無期限の停職処分を命ずる! 今後一切の捜査活動を禁じ、この部屋からの外出も許可しない!」


 つまり、王室の権限を使った強引な『軟禁』だった。

 マリアにとって目障りなレオンの動きを完全に封じ、その間に彼女自身のシナリオを進めるための時間稼ぎだ。


「……なるほど。権力を使った物理的な隔離ですか。稚拙ですが、効果的な一手ですね」


 レオンは机の上の警察手帳を手に取ると、全く惜しむ様子もなく、コロンとアルベルトの足元に転がした。


「レオン! バッジを渡しては……!」


 セシリアが青ざめて叫ぶ。


「いいんですよ、セシリア。停職処分ということは、面倒な始末書も日報も書かずに、一日中このソファーで君の淹れた紅茶を飲んでいていいということです。これほど素晴らしい福利厚生はありません」


 レオンは不敵に笑い、アルベルトに向かって挑発的に肩をすくめた。


「せいぜい、マリア嬢の三文芝居の観客として、優秀なエキストラを演じていてくださいよ、殿下」


「……減らず口を叩けるのも今のうちだ。兵士たちよ、この部屋の入り口を見張れ! 一歩でも外に出ようとしたら斬り捨てて構わん!」


 アルベルトは忌々しげに吐き捨てると、近衛兵を二名残し、足音荒く資料室を去っていった。


 重い鉄扉が閉まり、外からガチャリと分厚い鍵がかけられる音が響く。

 特命資料室は、王都の地下にある完全な密室、いや『牢獄』と化した。


「……どうしますの、レオン! あなたが停職になってしまったら、捜査権限が……!」


 セシリアが焦燥に駆られた声でレオンに詰め寄る。


 だが、当のレオンは再びソファーに深く腰掛け、残っていたパフェを優雅に口に運んでいた。


「焦る必要はありませんよ、助手さん。俺の『公的な捜査権限』がなくなっただけです」


「それが一番の問題でしょう! この部屋から出られないのでは、マリアの協力者を探すことも……」


「俺は出られません。ですが、君たちは別だ」


 レオンの言葉に、セシリアはハッとして目を見開いた。


「アルベルトの口から出た処分の対象は『捜査官レオン』だけです。元々民間人であり、非公式な助手でしかない君やルナは、停職処分の対象外だ」


 レオンはパフェのグラスを置き、冷徹な犯罪心理学者の顔でセシリアを見上げた。


「俺の手足が縛られたなら、君が俺の代わりに現場を歩けばいい。俺が教え込んだプロファイリングと科学捜査の手法を使ってね」


「……私に、探偵役をやれと言いますの?」


「ええ。君のその無駄に疑い深い性格と、映像記憶の能力。そしてルナの驚異的な身体能力があれば、十分すぎるほどの戦力です」


 レオンは不敵に笑い、セシリアに向かって挑発するように手を差し出した。


「どうですか、元・悪役令嬢。王太子とサイコパスヒロインの包囲網を、君自身の手で論破してぶち破ってみる気はありませんか?」


 その挑発に乗らないセシリアではない。

 彼女は扇子をパチンと閉じ、自信に満ちた美しくも傲慢な笑みを浮かべた。


「愚問ですわね。あなたの優秀な助手が、その程度の壁を越えられないとお思い?」


 セシリアはレオンの差し出した手を、力強く握り返した。


「任せておきなさい、この不良債権。私が王都の裏側から、あの女の稚拙なシナリオの証拠をすべて掻き集めてきて差し上げますわ」


 魔法が支配する世界で、軟禁された天才捜査官と、現場に放たれた元・悪役令嬢。

 マリアの仕掛けた権力の罠を打ち砕くための、反撃の潜入捜査が今、幕を開けようとしていた。


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