焦がせよ稲光 上の段 美晴
Tが起きたのは昼ごろだった。水は相変わらずテレビを見ているが、退屈そうにしている様子はない。四角いテレビに映る人間はTにとってどこか無機質に見えてならなかったが、水は集中して見つめているように映った。もっとも、その視線がテレビに固定されて動いてはいないが、水はテレビに集中などしていなかった。テレビどころか森羅万象すべてのものに集中などしていなかった。あるひとつのものに心の芯から恐れ慄きいていた。
ふつりふつりと湧く感情から目を背けるようにいろいろなものに思いを巡らせるのだが、その感情に妨害されてしまう。水も自分がどうなっているのか自分自身にも理解ができていなかった。もちろんのことそれをTが知る由は全くなかった。
テレビの邪魔をしまいと音を潰してベッドから起き上がった。家の外が忙しいことに気が付いたTは家のドアまでのそのそ歩いていきそば耳を立てると、どうやら隣の家に人が出入りしているらしい。Tは昨日のあれを忘れていたわけではもちろんなかったが、現実のような、はたまた夢のようでもあるようにふわふわ浮いていた。それが今、質量をもって現実に到着したのだった。
水への敬服の念が昨日のように押し寄せてくる中、外から慟哭が聞こえてきた。Tにもすぐ理解ができた、その呻き声の向かう先がどこなのかを。自分の中の自分に導かれるように身支度もせずドアを開けると、60歳ほどの女性が能見の部屋の前に立ってるのが見える。顔は全く似ていなかったが、その顔を見れば能見の親であることは容易に分かった。能見の部屋のドアは開け放たれ、心ここにあらずといった様子で立ち尽くしている。眼差しが交わる。「もしかして、そこの部屋の方ですか?」「はい。」「そうですか。私は隣に住んでいた能見の母です。「あの件は..」「いいんです、いいんです..あの愚息、迷惑かけましたよね..昔から悪びれることなく自分の興味に突っ走って、ひとのことは考えない....昔からそうやってトラブルばっかり起こして..でも..でもそこが魁人のいいところでもあって..」彼女は言った。「なにかあったのではないですか?もしそうならごめんなさいね..どうにか許してやってください。悪意があるんじゃ..ないんです。」言い終えるとまた慟哭を始めた。Tの目からも涙が零れ落ちた。
「息子のために泣いてくれて..ありがとうございます。」涙でぐちゃぐちゃになりながら必死になって喋る。「いいえ、俺は!..」Tは言葉を飲み込んだ。「僕も本当に悲しく思います。ご冥福をお祈りいたします。」
二人の人間が泣いている。一人は蒼穹に舞った息子を想い大粒の涙を零す。
もう一人は、涙を出せない自分に涙滴る。
部屋に入った後時間として数十数秒考えこんでいた。頭の中には見覚えのある景観がフラッシュバックしてくる。小さい子供の頃住んでいた町。学生時代の通学路と友人。実家と親。頭に浮かぶそれらの景色の登場人物の顔はどこか悲し気だった。Tはその顔に気おされた。
俺はとんでもないことをしてしまった。能見には悪意はなかったけど、しかし俺が怒るのまでは正当だった。でもそこから先は真っ当とはかけ離れていた。人間は人間が創るものなんだと俺自身なんども咀嚼してきたというのに、すこし自分を忘れただけで俺は人の死を喜ぶような人間なのか。俺は殺されたくないと心の底から願っているというのに人を殺して、あまつさえそれを淡々と受け止められる人間だっていうのか!あんなものを見せられたというのに涙を出せないような、心が芯から冷え切ってるような人間なのか。
違う!そんなはずはない!俺は昔から涙もろかったじゃないか!ちょっとした感動シーンで泣くような男だったし、隣の家に住んでいた人がなくなった時なんかめちゃくちゃに泣いたはずだ!
疲れているんだ!疲れているから...疲れているからこんなことになっているんだ!
今日は夜に彼女と出かける予定が入っていたが、それまでには何もない。寝よう!水は変わらず調子が悪そうだが、大丈夫だろうか。
Tが起きたのは周りが暗くなってからだった。




