あとがき
あとがき
「行ってきます」と出掛けた人が、「ただいま」と帰ってくる。
その声を聞きながら夕食を並べ、今日あった出来事を話し、くだらない冗談で笑い合う。『戻らない日常2』で描きたかったのは、そんな毎日が、どれほど大切なものなのかということでした。
物語の前半では、斉藤家のにぎやかな日常を重ねました。
乃亜が周囲を笑わせ、貴教が野球に夢中になり、姉弟の騒動に勝が巻き込まれ、杏子が笑いながら家族をまとめる。カレーの辛さを巡るけんかも、なかなか決まらない家族写真も、ライブ翌日の筋肉痛も、そのときは家族の中の小さな出来事でした。
けれど、杏子が帰らなくなったあと、その一つ一つが、もう新しくは増やせない思い出になりました。
だからこそ、この物語には、事件が起きる前の時間が必要でした。杏子を「事件で命を奪われた母親」としてだけではなく、笑い、働き、ときには困った顔をしながら家族と暮らしていた、一人の人として知っていただきたかったのです。
杏子には、これからも続くはずの人生がありました。
乃亜の卒業式や入学式を見届け、貴教の成長に驚き、勝が開発した車で北海道を旅する。好きな音楽を聴き、ライブへ出掛け、帰宅してからも家族で感想を言い合う。年を重ねた夫婦として、子供たちの将来を話す夜もあったはずです。
それを奪った黒田の行為は、どのような不満や孤独を抱えていたとしても、正当化されません。自分の望みがかなわない苦しさを、無関係な誰かへ向けてよい理由にはできない。その責任を、被害者や、好意を受け入れなかった女性に負わせることもできません。
一方で、事件のあとに残された人々の時間を描くうえでは、裁判の結末だけで物語を閉じることはできませんでした。
判決が出ても、刑が執行されても、食卓の空いた席は埋まりません。昨日までできていたことが急にできなくなる日も、何年もたってから初めて直面する寂しさもあります。周囲の関心が薄れたあとにも、遺族や被害者の生活は続いていきます。
勝は、父親として子供たちを支えながら、自分自身も妻を失った一人の人でした。乃亜と貴教も、成長すれば悲しみから離れられるわけではありません。成長したからこそ、母に相談したかったことや、見てほしかった姿が増えていきました。
三人が歩き続けられた背景には、多くの人の存在があります。
親族、学校の先生、クラスメイト、チームメイト、監督やコーチ、職場の人々。同じ事件で傷ついた人たち。そして、ラジオを通じてつながっていた光子と優子、番組の仲間やリスナーたち。
話を聞くこと。送迎を引き受けること。断られても、また練習へ誘うこと。必要な手続きを一緒に確かめること。そうした具体的な関わりが、斉藤家の毎日を支えました。
杏子に守られた陽向のことも、大切に描きたい場面の一つでした。
自分が転んだから杏子が亡くなったのではないかと、自分を責め続けた少年。その子へ、勝たちが「君は何も悪くない」と伝えることには、深い痛みが伴ったはずです。それでも三人は、陽向にこれ以上の重荷を背負わせたくなかった。生きていてくれたことを、責められる理由にしてほしくなかったのです。
そして、物語の後半で繰り返し向き合ったのが、「笑ってもいいのだろうか」という問いでした。
大切な人を失ったあとに楽しい時間を過ごすと、その人を置いて先へ進んでしまうように感じる。乃亜や貴教は、そんな戸惑いを抱えました。杏子自身が大好きだった音楽さえ、すぐには以前と同じように楽しめませんでした。
それでも、笑った時間の中にも杏子はいました。冗談を聞けば母の突っ込みを思い出し、好きな曲が流れれば、一緒に聴いた日のことを話せる。新しい喜びが増えても、それまでの思い出が消えることはありません。
「笑うことと忘れることは同じじゃない」
この言葉は、斉藤家がこれからも生きていくために、何度でも確かめることになる言葉だと思います。
将来編では、乃亜がオリンピックで金メダルを獲得し、貴教が夢だったベイスターズで日本一になりました。
幼い頃、母へ話していた夢がかなう結末です。しかし、その栄光によって、母を失った痛みが帳消しになったわけではありません。優勝した瞬間にも、二人は杏子に会いたいと願いました。抱き締めてもらいたい、電話をして報告したいという思いは、夢がかなったからこそ、強くなったのかもしれません。
また、同じような被害に遭った誰もが、大きな成功へたどり着く必要はありません。学校へ行けた日も、休むことを選んだ日も、誰かに助けを求めた日も、その人の暮らしを続けていく大切な一日です。乃亜と貴教の活躍を描きながら、そのことは忘れずにいたいと思いました。
「俺たちは、これからもずっと四人家族だ」
勝の言葉には、いなくなった杏子の居場所を、これからも家族の中に残していくという思いがあります。
写真へ話しかけること。命日に手を合わせること。母の料理を思い出すこと。失敗したときに、昔かけてもらった言葉を思い出すこと。そうした日々の中で、杏子から受け取ったものは、三人の生き方へつながっていきます。
この物語を最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
読み終えたあと、斉藤家の悲しみとともに、どうか杏子の笑い声も思い出していただけたらと思います。ライブではしゃぎ、子供たちの活躍に大喜びし、タオルを探す勝へ「目の前にあるやろ」と声をかける、あの杏子の姿を。
帰ってくる人を待つ時間にも、家族で囲む食卓にも、何でもない会話にも、大切な人と生きている時間があります。
斉藤家が四人で過ごした日々を、ここまで見届けてくださったことに、心から感謝します。




