【第十三話】ユリカゴ・ガレージ
常政律郎はスマホの画面を凝視して、戦慄していた。流山珠悠が、明日行くからと、家の場所を訪ねてきたのだ。
『寝ぼけて覚えてないかもだけど、誘ってくれたの常政くんだから……』
頭を抱える。全く覚えていない。またやったらしい。というか、こんな睡眠不足男の誘いに乗るなよ、と内心で突っ込む。
『うち何もないけど』
『お家パチンコ台しかないの?』
『うん……そんなわけないな』
定番の予防線が機能していない。家にパチンコ台があるって、どういう文脈を駆使したら俺から訊き出せるんだよ、と律郎は汗だくで思う。
ただ、珠悠が乗り気な以上、ここで断るわけにもいかない。
律郎はバンジージャンプをするような気持ちで、自分の家へのアクセスを彼女へ伝えた。
律郎の家は、最寄りの駅からバスで20分程度の場所にある。
駅まで迎えに行こうかと思ったが、ひとりで行けるから、と珠悠が頑なに主張したため、バス停で彼女の到着を待った。
やがて、時刻表よりも少し早めに来たバスから、珠悠が下りてきて、律郎の顔を見るなり笑顔になった。
「ほら、来れた」
そのほこらしげな様子を見て、律郎の脳内に「子どものおでかけ」という概念が点灯した。思わず、えらいえらい、と声をかけそうになって、律郎は慌てて口を閉じる。
かつて、北梓にかけられた箴言を思い出したのだ。
『珠悠は子ども扱いとか、過保護を嫌う』
律郎は咄嗟に、出かけた言葉を口の中で並べ直して、言った。
「まあ、これくらい余裕か」
「うん。余裕」
わかってるじゃん、という風に珠悠はニコニコする。
(……かわいいな)
これが、本当にパチンコをやりにきた人の態度なのか。
とはいえ、それくらいの留保がなければ、異性を家に招くなんてイベントなんて、『台風の目』である律郎には刺激が強すぎただろうが。
曇天の下を、ふたりは歩く。湿度は高かったが涼しく、梅雨にしては過ごしやすい気候だった。
「ちゃんと寝た?」
珠悠が訊ねてくる。律郎は昨日の晩のことを考える。
「それなりに」
くだんのβ版オンラインゲームは0時に先行配信が終了したので、深夜ゲーム部は自然と解散になった。ただその後、今日の準備をしていたり、緊張していたので、睡眠スコアを稼ぐことはできなかった。
「流山は?」
「あんまり」
自分と同じで緊張していたのかと、律郎は少し期待した。
「へえ、楽しみすぎて?」
「もうすぐ期末テストだから」
「ああ…………」
本当に何でこの人が、パチンコをしにうちへ来るのか、わからなくなった。
常政家は、ちょっと交通に難はあるが、2階建ての家とそこそこの敷地を持っていた。
「こっち」
律郎は、玄関をスルーして、家の脇へと珠悠を連れていく。自分の家に珠悠がいて、興味深そうにあちこち見回しているのが、不思議に感じた。
ちなみに、今日、珠悠が来ることを家族の誰にも伝えていなかった。父親は珍しく外出していて夜まで帰ってこない。母親も仕事、妹は部活、姉は関東のどこかでバンドマンと暮らしている。
そして、もし、予定が変わって誰かが帰って来ても、なんとかなるだろうという算段はあった。
珠悠が打ちたがっているパチンコ台は、家の中ではなく、ガレージを改造して作った離れに置いてあるのだ。ここは半分物置なので、基本的に誰も来ることはない。そんなところに、一目散に客を通すのはどうかと思うが──。
「ここから入って」
律郎は、裏戸を開ける。久しく近づいていなかったので、懐かしい匂いがした。
しずしずと律郎に続いて、ガレージに入った珠悠は、目をまんまるに見開いた。
「すごい」
そこには、律郎の父親が、好奇心の赴くままに集めてきたガジェットたちが詰め込まれていた。情報の教科書で見るような太古のパーソナルコンピューター、デカいくせに1種類の単純なゲームしかできないゲーム機、その他、しょうもなかったりやんごとなかったりするロマン装置の数々。
で、珠悠の目当てのパチンコ台も、その中に混じってピカピカ輝いていた。
ディスプレイ上での当選を目指すデジパチではなく、玉を物理的に当たりのチェッカーまで誘導させる羽根モノだ。これもいにしえのものを、父親が引き取ってきた。
長年放置されて、埃置き場と化していたので、昨晩は掃除したり、通電させたり、メテナンスしたり、設定をいじったり、玉の厳選をしたり、準備にはなかなか苦労した。
バッチリ整った台の前に座って、珠悠は律郎を見上げる。
「お金は……」
「いやいや、いい、いい、いい」
まさか、取るわけがない。そう言って律郎が促すと、珠悠はそろそろとハンドルに手を伸ばし、ひねる。
銀色の玉が次々と射出され、カチカチと音を立てて転がりだした。
その様子を見て、珠悠はにへえ、と頬を緩めた。
(……!!)
律郎は衝撃を受けた。
──この人、パチンコ玉がただ落ちるところを見て、和んでる。
演出とか、当たりが出るかは、あまり興味がなさそうだった。チェッカーの位置を意識していないので、ほとんど展開もなく、ダバダバと玉が吸い込まれていく。珠悠はそれを見て恍惚としている。
仮にここがホールだとしたら、1玉4円である。
(うちにパチンコ台があってよかった……)
結局、律郎はそんなところに安堵して、近くのスツールに腰を下ろした。
パチンコ台の中では、玉が落ちては打ち上げられ、を無窮に繰り返している。珠悠は夢中でそれを見つめている。ひとつの完結した世界。
律郎は、彼女の横顔を見つめた。一見すると、子猫がじゃれるのを眺めているような、穏やかな表情だった。実際に見ているのはパチンコ玉だけど──律郎は、その横顔から目が離せなくなった。
(──ずっと見ていたい……って、こういう気持ちか……)
カチカチカチカチ、と釘に当たる音が、優しく響く。
珠悠に満足してもらえたことにほっとして、寝不足で、そして、単調な音の繰り返し。
律郎が眠りに落ちるのには、そう、時間はかからなかった。
◇◇◇◇
珠悠はすっかりパチンコに心を奪われていた。無数の玉が転がり、カラコロと釘が鳴り、ギミックが忙しなく動く。次から次へと、不規則な動きと落ち着く音が、ひっきりなりにやってくる。全く飽きないで見ていられる。面白い。
うち何もないけど、って律郎は言っていたけど、大嘘だった。常政家のガレージは雰囲気だけでわくわくできる。よくわからない古い大きな機械たちを、わけもわからず触ってみたくなる衝動に駆られてしまった。
そして、珠悠はその気持ちに懐かしさを覚えていた。
子どもの頃の珠悠は、今よりも好奇心旺盛で行動的だった。
蝶を追いかけて迷子になるのは当然として、川に無防備に入りこんでいったり、知らない人の車に勝手に乗り込んだり、コンセントに鉛筆を突っ込んだり、とにかく気の赴くままにいろいろな無茶をしていた。よく五体満足で生きているな、と自分でも不思議に思う。
こんな子どもだったので、両親はとにかく手を焼いてきた。珠悠にはふたつ違いの弟がいるが、彼はこの姉を反面教師にしたのか、とてもしっかりした子になり、幼稚園児の頃から「お姉ちゃん、ダメって言われたでしょ!」と姉を監督するようになった。
珠悠は、弟に怒られたことがショックで、それ以来、危ない行動は慎むようになる。
ただ、なにかが気になってしまう性分は変えることができず、抑圧した結果として、いつしか「じっと見つめる」癖になったのだった。
まあ、この癖も家族(というか主に弟)からは「突っ立ってたら危ない」と怒られがちなのだけれど、いまだに子ども扱いされているみたいで、珠悠は気に入らない。
いいじゃん、見ているだけなら、と。
だから、律郎のなんでも受け入れてくれる態度は、珠悠にとって快かったのだ。
(落ち着くな……)
いつしか、珠悠はこのモノに溢れたガレージで、すっかりくつろいでいた。
そんな時。
ふいに、ガレージの入り口のドアが、開いた。
珠悠はそちらを見る。
ドアノブを握ったまま硬直している、ひげ面の中年男性と目が合った。
この瞬間、年も離れ、性別も違うふたりの思考が、皆既日食のようにぴったりと一致した。
誰だろう……。
その答えを知る常政律郎は、スツールに座ったまま、器用に眠り落ちていた。
続く。
(第十三話・終わり)




