【第十一話】非収束系プレゼンス
その日の放課後、常政律郎はディスプレイを睨んでいた。タッチパッドをサッサといじりながら、自分の書いた文章を見直している。
(やっぱり……)
律郎は、過去と現在を行き来して、ついに確信を得る。
(文体が変わってる……)
文体が変わるということは、漫画で言えば絵柄が変わるようなもの。一般的に、ひとつの作品内で変化するのはあんまり望ましくない。
これは文章に大工事が必要になる、と天井を仰ぎながら、律郎は背もたれに寄り掛かる。
まあ、ざっと見てわかるくらい文体が変化した原因に、心当たりはあった。
流山珠悠の視線だ。
あの眼差しを知ってから、律郎の文章は変わった。根本的な成長はあるだろうけど、最初の頃よりも、贅肉というか、余計な叙述が減ったような気がするし、逆にさっぱりしすぎだという印象もある。
どちらが正しいということもないが、どちらかに寄せる必要はある。その選択に律郎は思い悩んでいた。
そして、もう一つの躓きの石がある。
そもそも普段、彼女の視線を意識していないくせに、その変化を視線効果と見るのは短絡的ではないか、と思う向きもあるだろう。
ただ、これが珠悠の影響だと言える、決定的な要因があってしまう。
最近、投入した新キャラが、どう足掻いても流山珠悠にしか見えないのだ。
そのキャラのやることなすこと、全てが珠悠を想起させる。
窓から外を覗かせた時の佇まい、歩く時の癖、気が付いたらそこにいる感じ、主人公と話させた時のセリフ回し──どれもこれも、頭の中で流山珠悠の行動で再現されてしまう。
背格好とか、容姿をいじったところで、キーボードを叩いて出力してみれば……珠悠がそこにいる、気がしてしまう。
そこで律郎は一度、心を落ち着かせて、試みに、こんなセリフを言わせてみる。
『常政くん』
「本人だわ」
思わず口に出してしまってから、慌てて周囲を見渡す。
隣に、珠悠はいなかった。一応、さっきまではいたのだが、また気が付かぬ間に行ってしまったらしい。今日の律郎は文章を見返してばっかりで、あまりタイピングをしなかったから、飽きてしまったのか。
「はぁ……」
わけのわからん行為に及んだせいで、どっと疲れが寄せてきた。今日はもう引き上げることにした。
珠悠からの多大な影響、という悩みに当たったおかげで、帰宅時間はいつもよりも早かった。昼とも夕方とも言えない曖昧な時間の帰路は、まだ人通りが多い。
向かいから、犬を散歩させている人がやってくる──と思ったら、顔見知りだった。
「あ、常政くん」
「る、流山……と、ヒロシか」
学校で飼っている柴犬、皆森ヒロシのリードを手にする珠悠だった。
「今日はもう帰るんだ」」
「ああ……ちょっと調子が乗らなくて……」
律郎は、不意の本人登場に息が止まりかけたが、なんとかいつもの調子を装う。
「確かに、今日はあんまり捗ってなかったね」
「飽きさせたならごめん」
「え、そんな、飽きたわけじゃないよ。今日はミナの散歩に行く人がいないって聞いたから、渋々……って」
そこで律郎の挙動に気がついた珠悠が、戸惑ったように訊ねてくる。
「さっきからどうしてホールドアップしてるの……?」
指摘された通り、律郎は銃を突き付けられたように、頭の高さに両手を挙げていた。
「……いや、柴は噛むって聞くから」
「あー、まあ。ミナはそれなりに噛むけど……」
「え、ホントに噛むの!」
ホールドアップからバンザイになる。皆森が驚いたように、その指先を見上げた。
「し、知ってるのに驚くの……?」
「知ってるのと目の当たりにするのとは違うから!」
「目の当たりにしてる……かな」
珠悠が皆森を撫でると、興奮したように歯茎を見せてその手に口を近づける。その様子に、律郎は「ヒィ……」となってしまった。
「犬、苦手なの?」
珠悠が首を傾げる。
「いや、手噛まれるのが怖くて……怪我したら、キーボード叩けなくなるから」
「ああ……それは、嫌だね」
「でしょ」
そう言うと、ふふ、と珠悠は小さく笑った。
皆森は全く律郎に興味を示さず、珠悠にべったりだった。そんな態度を前に、ずっとホールドアップしているのも馬鹿らしくなって、律郎は手を下ろす。
「あ、噛むよ」
珠悠が意地悪するように言う。
「いや、多分、噛まない。興味ゼロそうだし」
試みに背中のこげ茶色を撫でてみるも、皆森は無反応だった。頭とか首とか耳元とか、いろいろ触ってみたけど、一瞥もなし。
「悲しいよ」
「初対面じゃあね」
珠悠が背中を撫でると、皆森は尻尾をピンと立てて、何か期待するように顔を上げる。何も知らなければ、珠悠の飼い犬にしか見えないだろう。
「流山はペットとか何か飼ってるの」
なんとはなしに、そのまま合流する形で、律郎は皆森の散歩に同伴することにした。
夕方になり、伸びた影を踏みながら、珠悠は答える。
「うち、方針で動物飼えないんだ」
「へえ……なんか意外」
猫かなにか、家にいそうな雰囲気を醸しているのに。
そんな律郎の反応に、珠悠はちょっと肩を落とす。
「本当は欲しいんだけどね……犬猫を保護してる親戚がいて、幼い頃、よく遊びに行ってたんだけど、仲良くなったゴールデンレトリバーが寝っ転がってる私にじゃれついてきて」
「大きい犬ね」
「そうそう。それを襲われてるって勘違いした両親が、真っ青になって駆け付けつけてきて……それ以来、うちでは動物はダメになっちゃった」
「へえ……鳥とかハムスターも?」
「うん。噛むかも知れないから」
「間違いない」
もっともらしく頷くと、珠悠は律郎の指先をちらっと見て、ふふ、と口元を緩めた。ちょっとしたツボになったらしい。律郎は恥ずかしくなった。
「まあ、でも……確かに、子どもが犬と大袈裟にじゃれてる光景見たら、心配する気持ちもわかるな」
「ええ、そう?」
何気なく言ったつもりだったが、珠悠は不満そうだった。
(あれ、返しミスった……?)
その反応に、律郎は焦る。確かに、この思い出は珠悠にとって負の出来事だから、両親に同意するような物言いはまずかったか。
咄嗟に言い繕うための言葉を探したが、その前に珠悠の方が先に口を開いた。
「まあ、そっか、流石にびっくりするよね」
どこか腑に落ちたような口ぶりだった。
「あ、ああ、それでも動物ダメは極端だと思うけど……」
「それはそうだよね。ハムスターくらいいよね」
一応、さっきのムッとしたような表情は消えて、律郎は一安心した。結構、家のルールに不満を持っているのかも知れない。
今後は気を付けようと、肝に銘じた。
学校に戻ってきて、皆森の縄張りに向かう。
すれ違う生徒に構われても、律郎にしてみせたようにすんとして動じない。やがて、囲いに到着すると、疲れたようにとぼとぼとクレートへと帰っていった。
「ホント、流山にしか尻尾振らないな」
とことん塩対応な皆森を見て、律郎はそんな感想を漏らす。
「ミナはもともと保護犬だから……人にはあんまり懐かないかな」
「……そうなんだ」
詳しいことはあまりわからないが、皆森にも複雑なバックボーンがあるようだった。
「いつか、こういう子たちを助けられるような人になれたら、って思うんだけど……」
珠悠はそう言って、クレートの中でぐてっとなっている皆森を見つめる。
その眼差しは、見たこともない憂いの色を含んでいて、思わず、律郎の息が詰まる。
──その瞳に宿った感情の色は、とても綺麗に見えたのだ。
そう感じた時、心の裡でつかえていたわだかまりが、するすると解けていくような感覚を覚えた。
律郎が書く物語の中に最近登場させた新キャラが、珠悠に似ているだなんて、思い上がりでしかないのだろう、と思えた。
この眼差しの色を、あのキャラは持っていない。
珠悠の想いと、あのキャラの想いは全く別物だ。
リアルを生きている珠悠には、まだまだあのキャラと似てない部分がたくさんあるし、似ている部分もたくさんある。
その違う部分こそ、描き出さなくてはいけないところなんだ。
それに気が付くことができて──律郎の胸は温かくなった。
「すごいな、流山は」
だから、無意識のうちに、言葉にしていた。
「え……」
珠悠が、驚いたように律郎へ視線を向ける。まっすぐな眼差しにあてられて、律郎ははっと我に返った。
「あ、いや……その、将来は何がしたいって、ちゃんと考えててさ」
「そんな、ふわっと考えてるだけで……そんなこと言ったら、常政くんの方が考えてるよ」
「え、俺?」
「あれ、作家になりたいんじゃ、ないの……?」
珠悠は首を傾げた。ストレートな問いに、律郎はドキリとする。
「まあ、なれるに越したことはないけど……こんなの考えてるうちに入らないって」
「……そうかなあ」
作家になるなんて基本的に夢でしかない。残念そうに呟く珠悠には悪いが、律郎は自分の言っていることは正しいと思う。
とはいえ、この考えも──“なりたい”という気持ちの裏返しではあった。
「……でも、いつか俺も、何かを書くことで誰かを助けられればって、思うよ」
今の律郎の意識では、こう言うのが精一杯だった。ギリギリ口にできる、抽象的だけど確かな将来の夢。
それを聞いた珠悠は、ふんわりと微笑んで、言った。
「それならもう、実現できてるよ」
「え……?」
その穏やかな表情へ釘付けになった律郎に、珠悠は告げる。
「常政くんが書くことで、私、助けられてるから」
その視線を見て、律郎の脳裏に部室での光景がぱっと過ぎった。
はしる指先に、恋する眼差し──。
その意味がどっと押し寄せてくるようで、全身の血管がぶわっと開いたように、身体が熱くなる。
「そ、そう、なら……嬉しいよ」
「うん。だから……これからも、頑張ってね。応援してる」
その真っ直ぐな言葉に、律郎は本当に泣きそうになった。
珠悠と出会って変わってしまった文章に、ぐねぐね迷っていた自分がとんでもない馬鹿に思えた。
こんなの、彼女と出会ってからの文章の方が、良いに決まってるだろう。
「……ありがとう」
迷いが吹っ切れたことに感謝を告げると、珠悠はびっくりしたように口を開けた。
「え、常政くん泣いてる?」
その一言で、肝が冷えた。律郎は神の速度で珠悠に背を向けた。
「いやいやいやいやいや、泣いてないから」
「嘘だ、ちょっと鼻声になってるよ。そんなに嬉しかった?」
「う、嬉しかったけど泣いてないから!」
本当に泣いてないかのぞき込もうとする珠悠と、プライドのために防衛する律郎。
そんないたちごっこを、クレートの中の皆森は興味なさそうに見つめていた。
それからしばらくの間、律郎のタッチタイピングする指は、相当なスピードを誇り、休憩に訪れる珠悠の目を満足させた。
(第十一話・終わり)




