第5話 魔人誕生――2
「分かってるとは思うが――お前、あんまり調子に乗るんじゃねぇぞ」
エデンの執務室を後にし、長い廊下を引き返す途中だった。前を歩いていたヴォイドが不意に声のトーンを落とし、振り返らないまま静かに言った。
「調子に乗る? 意味が分からない」
ヴォイドがピタッと足を止めた。ゆっくりと振り返り、コウの顔に自分の顔を近づける。
「エデン様がお前との出会いは運命かもしれないとか何とか言ってただろ。真に受けるなってことだよ」
「ああ、そんなことか。全然本気にしていないから大丈夫だ」
「ああん……?」
ヴォイドの眉がわずかに動いた。
「エデン様のお言葉が響かないってか。舐めてんのか、お前」
いや、どっちだよ。
どのような返答が正解だったのか、コウには皆目見当がつかなかった。ヴォイドはじっとコウを見つめた後、ふっと息を吐いて歩き始めた。
「まぁいい。で、お前は剣も槍も使えないってか。その拳一つで戦うと」
「……そもそも、戦うの意味が分からない。誰と戦えって言うんだ」
「東のガラニン王国の連中が、性懲りもなくまたやってくるって話だ。お前もそいつらと一緒に来たらしいじゃねぇか」
「そうなのか。全然分からない」
分かるはずもない。誰も何も教えてくれていないのだから。突然このよく分からない世界に引きずり込んだ連中に、恨みが無いわけではなかった。心が死んでいようと、少なくとも元いた世界には差し迫った命の危機など無かったのだから。
廊下の窓から差し込む光が、石畳の床に細長い影を作っていた。
「さすがに格闘術くらいは嗜んでるよな?」
「いや、まったく」
ヴォイドが立ち止まった。今度は振り返らない。ただ、肩が一度上下した。
わざとらしい、大きなため息だった。
「おいおい、勘弁してくれよ」
ゆっくりと振り返り、コウを見る。
「お前が使い物にならなかったら、俺の評価が下がるじゃねぇか。死ぬ気でやれよ」
◆◆◆
中庭の片隅に連れてこられたコウは、汗だくになりながら泥人形と取っ組み合いをしていた。
始まりは唐突だった。
ヴォイドが短く何かを呟いた瞬間、両手がうっすらと光を帯びた。そのまま地面に押しつける。ざわり、と大地が動いた。土が盛り上がり、押し固められ、やがて人の形を成す。
ゴーレムだ、とヴォイドは言った。格闘術がプログラムされた土人形。
最初の一撃は、向こうから来た。
重い拳が腹にめり込み、息が詰まる。受け身を取る間もなく石畳に叩きつけられ、視界が白んだ。起き上がる前に腕を掴まれ、投げられる。
——土でできているとは思えない重さだった。
距離を取り、右拳のメリケンサックを握り直す。思い切り殴りつけると、ゴーレムの胴体が砕けて土塊が地面に散らばった。
終わりか、と思った瞬間だった。
散らばった土が、ざらざらと音を立てながら集まり始める。地面の土まで吸収しながら、元の形を取り戻す。そして何事もなかったように、また構えた。
……嘘だろ。
汗が額を伝い、顎から落ちる。右拳で砕いても意味がない。
砕いている間にも、拳がコウの顔を掠め、蹴りが脇腹に入る。痛みを堪えながら距離を取り、また殴る。砕けた瞬間だけが唯一息をつける間だった——が、それも一瞬。修復されたゴーレムは、すぐに間合いを詰めてくる。
殴る。砕く。逃げる。殴られる。
その繰り返しだった。どちらが優勢とも言えない。ただ、消耗だけが積み重なっていく。
「そいつはお前の動きを学習しながら、自分の動作を改良させていくぞ。だから、お前はそれ以上のペースで強くなっていかなきゃなんねぇ」
芝生の上で寝っ転がりながら、ヴォイドが言葉を投げてくる。
そういうことか。
道理で、自分の打撃が避けられ始めているわけだ。しかも相手にはスタミナの概念がない。疲労で動きが鈍くなる一方の自分に対し、ゴーレムはますます優位に押し込んでくる。
三十分。
立ち上がることもできないくらい全てを出し尽くしたコウは、ギブアップを宣言した。
「おいおい、ギブアップなんてねぇぞ。甘えたこと言ってんな」
無情だった。
ヴォイドはよっこらせと立ち上がると、コウの元にやってきて呪文のような言葉を発し、その手を体に置く。
「回復魔術だ。ま、オレ程度の力じゃたかが知れてるが、多少は傷もスタミナも回復するだろ」
鉛のように重くなっていた体が、少しずつ、確かに軽くなっていく。打撲の痛みも抜けていった。
「嘘だろ……」
「さぁ、第二ラウンドの開始といこうぜ」
こんなに嬉しくない治療は、生まれて初めての経験だった。
そして、この過酷な修行は次の日も、そのまた次の日も続いた。
一日も休みは与えられなかった。
気づけば一ヶ月が経っていた。
容赦ないスパルタのおかげか——さすがに素人を超えるレベルにまでは到達していた。
そんなある日、いつものようにコウが泥人形と取っ組み合いをしていると、中庭にエデンが現れた。いつにも増して真剣な眼差しで、その動きを観察している。ヴォイドが珍しく直立した姿勢で、その隣に控えていた。
「だいぶ動けるようにはなってきましたよ」
「そうみたいね。そろそろ行ってもらおうかしら」
「……本当に一人でやらせるつもりですか」
ヴォイドの声が、わずかに低くなる。
「神話級武器を仕込んでいるとはいえ、それは向こうも同じことですよ」
「まぁ、死んじゃったら死んじゃったで仕方ないわ。残念だけど」
ヴォイドは一瞬だけ、顔をポカンとさせた。
「ははっ。良かった、いつも通りだ。運命だとかなんだとか言い出した時は、おかしな薬でも飲んだのかと思ってましたよ」
「無謀なのは分かってる」
エデンはコウから目を離さないまま、静かに続けた。
「でも、それを超えてこそ運命。本当にそうなのだとしたら——いい加減、わたしも覚悟を決めて動き出さなきゃならない。めんどくさいけど、いつまでも魂を縛り付けておくことは出来ないから」
それだけ言うと、エデンは踵を返した。城へと続く道を、迷いのない足取りで歩き出す。
ヴォイドはその背中を黙って見送った。
——また、その言葉か。「運命」。
胸の奥で何かがざらつく。苛立ち、と呼ぶには少し違う。しかしそれに近い、不快な感触だった。




