第47話 帰還――1
「凄ぇもんを見させてもらったぜ」
不敵な笑みを浮かべながら、ランはコウたちの元へと歩み寄ってきた。余裕の滲む、悠々とした足取りで。
「底なし沼のような闇。確かにあれに呑み込まれちゃ、俺も《《パンクしちまった》》だろうな。――ま、今の俺ではという注釈はつけさせてもらうが」
ランの視線がコウへと移る。
「で、それを凍らせて粉砕したお前の氷もかなりエグい。俺の見込んだ通り、お前とはいい勝負が出来そうだ」
コウとヴォイドはゆっくりと立ち上がる。
いつでも動けるような構えを見せるが、魔力を使い果たした今の状態では、二人掛かりでも話にならない。瞬殺される。それが分かっていても、膝を折るわけにはいかなかった。
「ハッ。弱ったところをハイエナのように襲い掛かるってか?」
ヴォイドの軽い挑発に、ランはやれやれとばかりに首を振った。
「ああ? 俺がそんなチンケな野郎に見えるってか? そいつは心外だな。――こっちも手心を加えてもらったようだしな」
手心?
コウがその意味を考えかけたとき、近くの木々の間から影が現れた。巨大な、見覚えのある影が。
「ウーログ。無事だったか」
「隊長、ご無事で何よりです! もう一つの巨大な魔力が飛んできた時は焦りましたが」
右手に槌を携えたウーログが小走りに駆けてくる。
その細い目には、珍しく警戒の光が宿っていた。ランを、まっすぐに見据えながら。
「よう、手下どもが世話になったようだな。消えた魔力がねぇってことは、生かしておいてくれたんだろ?」
「まぁ、しばらくは動けないと思うけど」
ウーログの視線はランに向いたまま、槌を握る手にわずかに力が入る。その無言の圧を、ランはあっさりと受け流した。
「ははっ。安心しろよ。今のお前らと戦うつもりはねぇ。何のメリットもねぇからな」
メリット。
その言葉で、コウは最初にランと交わした会話を思い出した。
『金はおまけ。欲しいのは魔力だ』という言葉。
魔力を使い果たした今の自分たちには、こいつにとって何の旨味もないということか。
「じゃ、何の用だ? 仲間を介抱してさっさと立ち去ればいいだろ?」
「西からこっちに来る奴なんて滅多にいねぇからな。何を企んでる? お前たちがわざわざやって来た理由を知りたい」
ランは口元を歪めながら問いかけた。
コウは一瞬迷ったが、嘘をつく意味もないと判断して、素直に答えた。
「ただの視察だよ。今後のためのな」
「視察? 今後? どういう意味だ?」
ランの眉がわずかに動く。
「そんなもんエデンにしか知る由もねぇが、まぁ普通に考えりゃ答えは一つだろ」
言いかけて、これ以上はまずいかもしれないと思った。それでも、続けた。
「エデンは世界を支配する。なら、この混沌領域も手中に収めるってことだろ」
ヴォイドがククッと笑った。
可笑しくてたまらないとでも言うように、肩を揺らしながら。相変わらずだなとでも思っているのだろう。
だがエデンを知らないランは、ポカンとした顔でしばらく固まった。
「は……? 混沌領域を支配? エデンってのは西の魔女だろ? 頭いかれてんのか? 魔女同士で激突したら、どっちも消滅するってのが定説だろ?」
「そんなことは百も承知の上で動き始めたんだから、何かしらの勝算があるんだろ」
「ハハッ。マジかよ」
ランは一度笑ってから、声のトーンを落とした。
「で、お前らはそれを手伝うってか? 混沌領域を支配するってんなら、獄炎卿やアリゼなんかも相手しなきゃならねぇんだぞ? エデンがセフィロトと戦ってる間、あいつらを足止めでもするつもりか? 死ぬぞ?」
「……ごちゃごちゃうるせぇな」
コウは静かに、しかしはっきりと答えた。
「エデンがやれっつったらやるだけだ。命の恩人だからな。――それに、強ぇ奴と戦うのは嫌いじゃねぇ。嫌いじゃねぇどころか、死にそうな思いをすると、生きてるって実感できる。体中の細胞が生の喜びに震えるんだよ。確かにお前の言う通り、今の俺じゃ死ぬだろうが」
沈黙。
「……お前もだいぶヤベェな」
ランは本気でドン引きしていた。
しかし、その表情がすぐに何かを考えるような顔に変わる。そして少しの間を置いてから、口を開いた。
「面白れぇ。俺にも手伝わせろ。あいつらはマジで気に入らねぇからな。特にアリゼの野郎は」
苦々しく吐き捨てる。その顔には隠しきれない憎悪が覗いた。
コウとウーログは思わず顔を見合わせた。
目線だけで、どうするとしばし相談する。
「……お前みたいなヤバそうな奴を、俺の一存で受け入れることは出来ねぇ。エデンが認めたら、になるがついてくるか?」
「ああ、もちろんだ」
コウは静かに目を閉じ、エデンへと念波を飛ばした。この男をどう扱うかは、エデンが決めることだ。自分にできるのは、繋いでやることだけ。
そして、ゴドフロアの大総統府での面会の段取りを組んでやるのであった。
◆◆◆
「オレはセフィロトと戦うつもりはない」
それだけ言い残して、ヴォイドは翼を広げた。
魔力が多少戻れば十分だったらしい。漆黒の翼が大気を叩き、その身はあっという間に空の彼方へと消えていった。
コウはその背を見送ってから、小さく息をついた。
馬車にランを乗せ、オルドリアへの帰路につく。ランの手下たち三十名もそれぞれ馬に乗り、列をなして後に続いた。
出発前、ランは倒れた手下たちの前に立つと、無造作に手をかざした。
それだけだった。
たったそれだけで、地に伏していた男たちが次々と起き上がり始めた。骨が折れていた者も、酷い打撲の者も、まるで何事もなかったかのように。
「……っ」
ウーログが息を呑んだのが、コウにも分かった。
「隊長」
ウーログが低い声で耳打ちしてくる。
「あの治療、おかしいです。これだけの人数を瞬時に回復させるなど、一流の治療術師でも不可能に近い。しかも……」
「魔力の質が、闇だろ」
「ええ。本来、他者の治療には光の属性が必要なはずです。闇の魔力で傷を癒すなんて聞いたこと無いです」
からくりは分からない。
ただ、戦っている最中に感じたあの得体のしれない感覚——何か根本的なところが違う、という不気味な予感——それが関係していることは間違いないだろう。
馬車が走り出す。
揺れに身を任せながら、コウはランに声をかけた。
「おい、混沌領域のことを教えてくれ。お前が知ってる範囲でいい」
「ああ、いいぜ」
ランは背もたれに体を預けたまま、気怠そうに口を開いた。
「まず、ここに国はない」
「国が無い?」
「強ぇ奴のところに人が集まる。それだけだ。俺の連中もそうだ。旗を立てて領土を広げようなんて奴はいねぇ。獄炎卿みたいな化け物相手に数で挑んでも、無駄だと分かってるからな」
「じゃあ、どうやって秩序を保ってる?」
「保ってねぇよ」
ランは鼻で笑った。
「それぞれが自分の目の届く範囲を適当に管理してるだけだ。全部気まぐれさ。同じ場所で同じことをしても、相手の機嫌次第で見逃される日もあれば、始末される日もある。どこからが誰の縄張りで、どこから先が危険かも、踏み込んでみるまで分からねぇ」
「……混沌ってのは、名前通りか」
「ああ。ただ一つだけ。実力者同士はお互いに干渉しないっつー暗黙の了解みてぇなものはあるらしいがな」
コウはしばらく考えてから、続けた。
「セフィロトへ辿り着くには、どうすればいい?」
「アリゼの支配地を抜けるしかねぇ。ま、俺もその先のことはよく知らねぇけど。魔獣と人間の混血がいるとか、信じがたい噂もあるが確かめようがねぇ。一つ確かなのは——アリゼを越えなきゃ、セフィロトには届かないってことだ」
とりあえず、これだけ聞ければ充分だろう。
コウは窓の外へ視線を流し、流れていく景色をぼんやりと眺める。
アリゼ。
獄炎卿。
セフィロト。
越えなければならない壁を頭の中に並べていたはずが、気づけば思考が別のところへ漂流していた。
——早く美味い飯が食いたい。
その直後、腹がぐーっと間の抜けた音を鳴らした。




