第45話 暗黒輪舞――2
「ヴォイドか。久しぶりだな」
コウはランへの警戒を維持したまま、新たに現れた存在へと視線を流した。
「突然どっかへ消えたと思ったら、こんなとこで何してたんだ?」
「ん? 見りゃ分かるだろ」
ヴォイドは薄く笑う。
「生まれ変わったんだよ。お前みてぇにな」
比喩なのか、それとも文字通りの意味なのか。判断はつかなかったが――確かに、何かが変わっていた。
一番は、目だ。
瞳の黒が、深い。
ただ暗いというのではない。光を飲み込むような、底のない闇。見つめているだけで、意識ごと引きずり込まれそうな錯覚を覚える。
翼については驚かなかった。
レキエルがそうであるように、必要に応じて具現化できることは知っていた。だが問題はそこではない。
コウは本能的に感じ取っていた。
こいつから滲み出ているものが、以前とはまるで違うと。
「……まぁ、何となく分かる。魔力が、ヤバいことになってる」
空気が重い。
まるでヴォイドの周囲だけ、大気の密度が違うようだった。
「で、俺を探してたって? 何の用だ?」
「オレを進化させてくれた方からの指令でな。お前を始末しなきゃならねぇ」
「……は?」
その言葉の意味を、すぐには理解できなかった。
ヴォイドと戦う。
全くの想定外。頭の中で言葉がバラバラに解体されて、うまく繋がらず、一瞬フリーズする。
しかし、その静止を破ったのは、ランの怒声だった。
「おい! 俺を無視してんじゃねぇぞ? 何なんだ、てめぇは。いい感じになってきたとこを突然乱入してきて邪魔しやがって」
ヴォイドがゆっくりとランに目を向ける。
その視線は、値踏みというより――確認だった。脅威かどうかを測るのではなく、排除するのに手間がかかるかどうかを見極めるような。
「ああ、悪ぃな」
口調は穏やかだった。
それが逆に、ランの肌を粟立たせた。
「お前はもうお呼びじゃねぇ。どっかに消えろ。断るっつーなら、先にお前をぶっ殺してもいいんだぜ?」
「なんだと?」
売り言葉に買い言葉、とはならなかった。
ランは即座に怒鳴り返そうとして――止まった。
己の内側で何かが警鐘を鳴らしていた。長年の勘が、全力で叫んでいる。
こいつは、やばい。
「相性の問題だ。魔力の質の話さ」
ヴォイドは続ける。講義でもするように、淡々と。
「お前も人間にしちゃ尋常じゃないレベルだ。認めてやる。だがオレには及ばねぇ」
「……多少の魔力量の差なら」
ランは喉の奥の引っかかりを無視して、言葉を絞り出した。
「俺の魔術でどうとでも引っ繰り返せる」
「かもしれねぇな。他の相手ならな」
ヴォイドの声に、わずかな愉しみが混じった。
「だがお前と俺は同系統だ。闇の色が濃すぎる。同じ色同士がぶつかったとき、魔術の技巧なんざ関係ねぇ。魔力量の差がそのまま結果になる。逆転の目は無ぇ。単純に――呑み込まれるだけよ」
その瞬間だった。
ヴォイドから、闇が溢れた。
溢れた、という表現でも足りないかもしれない。解放された、というより――噴き出した。
暗黒がヴォイドの周囲を包み、みるみる膨張していく。
光を喰らい、空間そのものを侵食するような漆黒。そしてその闇の中で、電流のような何かがバチバチと爆ぜた。稲妻が地の底を走るような音。肌が、空気が、ビリビリと震える。
「な――!?」
ランは、目を見開いた。
膝が、一瞬だけ笑った。
それを悟られないよう、歯を食いしばる。だが心臓は正直だった。胸の奥で、何かが縮み上がっていた。
こいつの言う通りだ。
この魔力の質――自分のそれと、酷似している。己だけのものだと思っていた闇が、目の前の男から迸っている。同じ色をしているからこそ、その差がはっきりと分かった。
「分かったら、どっか行ってろ」
ヴォイドはランから視線を切った。
それだけで、ランへの関心が完全に終わったことを示すように。
「ちなみにコウの魔力も同じ闇の性質だ。ただ――こいつは何か、微妙に違う」
コウには質の話など分からない。
魔力の多い少ないを何となく感じ取れるようになってきた程度だ。
だが、分かることがひとつあった。
ヴォイドは本気だ。
本気で、自分を殺すつもりでここに立っている。
しかし――
「俺はお前と戦う理由なんて無いんだけどな」
「じゃ、とっとと死んどけ」
問答無用。
言い終わるより早く、ヴォイドの体が弾けた。
闇を引き摺りながら、拳が飛んでくる。黒い稲妻を帯びた一撃。
しかし軽く、躱した。
ヴォイドが去ってからの日々——化け物たちとの闘いを経たコウの動きは、かつてのイメージしか持っていないヴォイドの予想を、軽々と超えていた。
そして今の一瞬で分かった。
右の「破壊の王」は警戒されている。
ならば——左だ。
「呪いの王」をヴォイドの脇腹に叩き込んだ。
「ぐぅっ」
一瞬、苦悶が漏れる。
ヴォイドは素早く距離を取った。
痛みを与えた。
ということは、呪いは効いていない。痛覚を奪えていないのだから。レキエルの時と同じだ。あいつの場合は属性的に相性が悪かった感じだが、こいつはどういうことだ?
まぁいい。今回は——「破壊」と「氷」で勝負する。
そう判断したところで、ヴォイドが口を開いた。
「クリーンヒットしたのに、思ったほど痛くねぇ。その代わりに、何だこれは? 耳がちょっと遠くなった気がするな。視界も一瞬霞んだ」
ぶつぶつと、今の一撃を解析し始める。
「思い出した。アングラ・マイニュ。呪いだな。感覚を奪う系だ。左にもそんなのを仕込んでやがったか。進化前なら、今の一発だけで危なかったな」
呪いは、効く――のか?
だが、クリーンヒットしてこの程度であれば、全てを奪うには何十発も必要だろう。とはいえ——両拳を振るえるなら、戦術は広がる。
「さすが、俺の初代師匠だな。あっさり見抜かれたか」
コウはヴォイドから目線を切らずに、続けた。
「でも、ヴォイド。俺は悲しいぜ? 俺とお前の関係はその程度だったのか? 俺に戦いの基礎を叩き込んでくれたのはお前の土人形なんだぞ」
「はっ。そうだったな。エデン様がそう望んだんだから、オレに断る権利なんざねぇよ」
ヴォイドを覆う闇が、ますます濃く、深くなっていく。
その内側に押し込めていた何かが、滲み出してくるように。
「……エデン様の右腕はお前じゃねぇ。お前が神祖の魔女の切り札になりえるからって、そんなのはオレが認めねぇ。エデン様の隣に立つのはオレじゃなきゃダメなんだよ」
ヴォイドの魔力が足元まで伸びてきた。
じわじわと、絡め捕ろうとするように浸食してくる。
「くだらねぇ。男の嫉妬ってやつか? そんなのは俺に向けるべき感情じゃねぇだろ。エデンに言えよ! もっと俺を見てくれって!!」
「——お前に何が分かる? そんな安っぽい感情じゃねぇ。何百年、共にしてきたと思ってる? ぽっと出のお前が、知ったふうな口を利くんじゃねぇ!!」
空気が、重くなる。
一帯が夜のような闇に覆われていく。
「常闇沈泥」
闇の中で、ヴォイドが静かに呟いた。




