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魔拳無双~ 神祖の魔女に拾われた孤独な少年は、人類史上六人目の魔人となりました。  作者: 堅物スライム
第二章 黄昏の終わり

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第43話 獄炎卿

 山を抜けると、空の色が濃くなった。


 気温も上がったが、湿気が纏わりつき心地よいとは言い難い。

 道の両脇には見たことのない植物が生い茂っている。葉の色が深すぎる。紫がかった緑、黒に近い緑。毒々しい赤と黄が混ざった花が、甘いのか腐っているのか判断のつかない匂いを漂わせていた。


 そして、地平線の彼方から少しずつ侵食してくる何か。


 瘴気、と呼ぶしかないようなものが、うっすらと空気に滲んでいた。はっきりと目に見えるわけではない。しかし気のせいと片付けることも、できなかった。


 混沌の奥へと進むにつれ、大陸の西側では見たこともないような魔獣の姿を頻繁に目にするようにもなっていた。


 馬車を止め、休憩中。

 コウとウーログは御者台に並んで腰を下ろし、黙々と乾燥肉を齧っていた。カチカチだ。顎が疲れる。もう何日目になるか、数えるのも億劫になってきた頃だった。


「この気味の悪い瘴気を取り込んで、魔獣が育っているんでしょうね」


 ウーログが独り言のように呟いた。

 周囲の茂みをぼんやりと眺めながら。


「隊長の魔力にビビって近づいてはこないですが、様子を伺ってます」


「いや、魔力量自体はお前も俺と大して変わらないだろ」


 コウは乾燥肉を口の端に咥えたまま言った。


「てか、今更だけど魔獣って何なんだ? 動物が突然変異か何かで魔力を帯びた感じ?」


 普通の動物と比べて肉の味が劣ることは分かった。食べると多少、魔力が回復することも。


「うーん、それがよく分かってないんですよね」


 ウーログは少し考えるように首を傾げた。


「最新の研究によると、見た目は動物と似てても、その誕生はまだ謎のままらしいです。魔力溜まりから自然発生した可能性もあるそうで」


「ふぅん」


 コウは何とはなしに、周囲を見回した。

 毒々しい色の花が、風もないのに揺れている。その根元の影が、さっきより少し濃くなった気がした。しかしウーログとは違って、コウには何も感じ取れない。


「こんな不気味な瘴気に包まれてると、新種の魔獣とかも生まれてくるのか」


 乾燥肉を咀嚼する音だけが響く。


「それより」


 ウーログが懐から地図を取り出し、現在地を指し示した。


「もう半日もすれば獄炎卿の街に到着しそうですよ。今、この辺りです」


「おお、やっとか。とりあえず美味い飯が食いたいな」


 コウは地図に目を落としながら、しみじみと言った。

 もう十日以上、この食生活だ。魔獣焼肉も三回ほど食べたが、臭みと薬っぽさがどうにもコウの口に合わなかった。乾燥肉よりはマシという程度で、美味いとは到底言えない。


 ウーログはそれを聞いて、少し申し訳なさそうな顔をした。


「僕は割と平気なんですけどね、魔獣肉」


「お前はやっぱり色々とおかしい」


 コウは短くそう言って、また乾燥肉を齧った。


 そして、ふと思った。


 そういえば持ってきた貨幣ってこっちで使えるのか……?


 ◆◆◆


 陽が沈みかけた頃、地平は橙に染まり始める。その色の中に、大きな影のようなものが浮かび上がってきた。


 街だ。


 しかし、西側諸国の街とは様子が違う。

 大小の建物が雑多に押し込まれ、統一感というものが一切ない。石造りの建物の隣に木造の掘っ立て小屋が並び、その隣にまた別の何かがある。


 どこまでが街で、どこからが街の外なのか、輪郭が掴みにくい。スラム街のような感じだろうか。遠目には、誰かが無造作にばら撒いたものが、そのまま居座っているように見えた。


 真っ暗になる前に到着しようと、ウーログが手綱を操り馬車の速度を上げようとした——その時だった。


「隊長、まずいです!! 急いで——」


 ウーログの声が裏返った。

 同時に急停車。


 強引に手綱を旋回させ、元来た道へ引き返そうとする。馬が激しくいななき、馬車が大きく傾いだ。


 何事かとコウが街の方へ目を向ける。


 何かが飛んでくる。


 小さな点だ。

 しかし一瞬で大きくなる。ぐんぐん、ぐんぐんと。

 尋常ではない速度だった。


 引き裂かれるような風切り音が近づいてくる。炎の尾を引いているのが見えた。


 まるで流星のように。

 しかし流星は地面に向かって落ちない。

 真っ直ぐ、こちらへ向かってくる。


 ドン!!


 馬車の行く手を塞ぐように、男が降り立った。

 着地した地面がひび割れ、衝撃が波紋のように広がっていく。爆心地のように、足元の土が焦げていた。


 赤い髪の男だった。

 生気のない目で、二人を見る。


「なんだ、お前ら?」


 問いかけてはいるが、その目は別のことを告げていた。返答次第では、問答無用で殺す。そういう目だ。


 コウの隣で、ウーログが完全に固まった。声どころか、息すら止まっているかもしれない。


「い、いやちょっと西の方から旅をしてて。途中で立ち寄った村にこの街のことを聞いてやってきた」


 コウは慎重に言葉を選んで答えた。嘘は言っていない。この男に嘘をついてもすぐに見破られる。そう直感が言っていた。


「ほう、旅ねぇ」


 男は口の端を上げた。

 笑っているのか、値踏みしているのか、区別がつかない。


「何十年ぶりかに俺に喧嘩を売りに来た命知らずかと思ったぜ。ちったぁ楽しめそうかと思ったんだが」


 視線がウーログへ移る。


「デカい方は小便でもちびっちまったか?」


 ウーログは答えられなかった。


 当然だ。

 コウにも目の前の男が放つ魔力の凄まじさは感じ取れていた。しかしコウ以上に魔力を感知できるウーログには、コウにはまだ見えていない何かが見えているのだろう。


 本質的な禍々しさ。

 それが細胞の一つ一つに直接触れてくるような感覚。恐怖というより、生存本能が警報を鳴らしているのだ。


「あ、あんたが獄炎卿か?」


 コウは恐る恐る尋ねた。


「ん……? ああ、巷じゃそう言われてるな」


 男は興味を失いかけたように視線を逸らしかけて——しかし、そこで止まった。


「それより、お前。その魔力。西から来たっつったな? 魔人か?」


「い、一応」


「ふっ」


 獄炎卿は短く笑った。


「西の魔女の使いってか。セフィロトに喧嘩でも売るつもりか? やめとけ、あれにゃ勝てねぇよ。分を弁えるってのは大事なことだ。死にたくねぇならな」


 それだけ言うと、獄炎卿は敵意を収め、コウたちに背を向けた。そして街へと戻っていく。その足取りは、驚くほど静かだった。さっきの流星のような登場が、嘘のように。


「ああ、そうだ。マジでただの旅なら、ここから北東方面には行かねぇことだ」


 振り返らずに言う。


「俺と違って優しくねぇからな、アリゼのやつは」


 その背が小さくなり、やがて街の景色に溶けていった。


 二人は同時に、大きく息を吐いた。

 どっと疲れが押し寄せる。コウは自分が肩に力を入れっぱなしだったことに、今更気づいた。ウーログは肩を大きく上下させ、ようやく呼吸を取り戻していた。顔色が、まだ少し悪い。


「あ、あれはヤバいです」


 掠れた声だった。


「レキエルさんと同じか、それ以上くらいの魔力量です。しかも刃のように研ぎ澄まされてて……」


「え……? そんなにか?」


 あの上位天使アークエンジェルと同等か、それ以上。今の自分たちでは、確実に勝てない。勝負にすらならないだろう。


 そして北東には、アリゼとかいう別のヤバい奴までいるという。


 コウは街を眺めた。

 橙だった空が、じわじわと暗くなり始めていた。


 まだ混沌領域の入口付近だというのに、視察の旅の行き先が急速に閉ざされていくのをコウは感じていた。


「よし、もう充分だな。帰ろう」


「え? だ、大丈夫ですか? エデン様に怒られたりしませんか?」


「だってこれ以上南には行けねぇし、北東とか言われてもどの辺を指してるのか分からねぇじゃん。下手に足を踏み入れたら殺されそうだし、仕方ないだろ」


「そ、そうですね。またロロの村に戻って、もう少しだけ情報を貰いましょう」


 ウーログが全力で同意を示した。


「とりあえず、めっちゃヤバそうだということだけ伝わればいいからな」


 言い終わるより早く、ウーログは手綱を翻していた。

 馬たちも異存はないようで、来た道を全力で駆け始める。夜と瘴気が背中から迫ってくるような感覚に、コウは自分の中の何かが少しずつ侵されていくような気がして、それを振り払うように頭を振った。

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