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魔拳無双~ 神祖の魔女に拾われた孤独な少年は、人類史上六人目の魔人となりました。  作者: 堅物スライム
第二章 黄昏の終わり

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第40話 混沌接蝕――2

 グレーゲルの最東端が近づくにつれ、じわじわと景色の色が薄れていく。民家が減り、街道が細くなり、やがてそれも途切れる。灰緑色の草が風に揺れている。空も心なしか白みがかって見えた。


 混沌領域。


 地図にはそう書いてあったが、その名前が示す「混沌」らしいものは、今のところ何一つない。あるのは草と風と、どこまでも続く地平線だけだ。


 馬車は道なき道を進んでいた。

 正確には、道がないので二人で切り拓きながら進んでいる。


 馬車は武骨な見た目をしていたが、細部は手が込んでいる。荷台の内側には薄い革張りのクッションが敷かれ、長旅でも尻が死なない程度の配慮がある。機能性が最優先、しかし無駄を省いた先に自ずと品が出る、そういう種類の馬車だった。


 御者台にはウーログが座っている。

 二メートルを超える巨体が前方に居座っているせいで、車内のコウの視界はほぼ塞がれていた。圧迫感、というか、もはや壁だ。しかし文句を言うのは理不尽というものだ。さすがのコウも弁えていた。


 それに——ウーログの手綱捌きは、見た目に反して実に巧みだった。

 道なき草原にもかかわらず、二頭の馬は嫌がる素振りもなく、むしろ気分よさそうに走っている。あの巨体のどこにそんな繊細さがあるのか。コウには少し不思議だった。


 ◆◆◆


 混沌領域に入って一日が経った。

 景色は相変わらずだった。灰緑の草、枯れかけた木々。白みがかった空、遠い地平線。物珍しさも無く、ただの背景が続く。


 昼になり、馬を休ませるためにコウたちは馬車を止めた。

 二人は御者台から降り、草の上に腰を下ろす。出発前に用意した乾燥肉も、さすがに飽きてきた頃だった。


 硬い。

 味は悪くないが、とにかく硬い。噛むたびに顎が疲れる類の携行食だ。


「マジで何もねぇじゃん」


 コウは草原を見渡しながら言った。


「このまま真っ直ぐ進んでいって大丈夫なのか?」


「ざっくりとした地図しかないですからね」


 ウーログは懐から折り畳まれた紙を取り出し、広げてコウに見せた。


「子供の落書きと大差ないですよ、これ」


 コウは受け取って眺めた。

 確かに。大雑把に引かれた線と、読めるか読めないかギリギリの文字。縮尺など存在しないかのような地図だった。


「……ちゃんと帰れるよな?」


「大丈夫です。僕は方向音痴ではないので」


 その言葉を聞いた瞬間、コウの胸の中で不安がじわりと膨らんだ。


 方向音痴。


 その単語が、自分自身の弱点として胸に刺さる。自覚はある。コウは筋金入りの方向音痴だ。見知らぬ土地で、道標もなく、もしこいつとはぐれるようなことがあれば一人で戻れる自信が、欠片もない。


 この旅では、こいつに優しくしよう。


 コウがそんなことを考えていた、その瞬間だった。


「あ——」


 ウーログが短く声を上げた。

 そして立ち上がる。視線は草原の一点に固定されたまま、馬車へと駆け戻り、愛用の槌を手繰り寄せる。重量感のあるそれを片手で掴んだまま、ウーログは草原へと駆け出した。

 コウは乾燥肉を口に咥えたまま、その背中を目で追った。


 三十メートルほど先の草むらで、何かが動いた——気がした。気がした、という程度だ。コウには何も感じ取れなかった。


 ウーログが槌を振り上げた。

 ゴン、という鈍い打撃音が響く。

 間を置かず、もう一度。ゴン。


 静寂が戻る。

 風だけが、相変わらず草を揺らしている。


 コウはそこでようやく立ち上がった。ウーログがこちらへ戻ってくる。その手には槌と——もう一方の手に、何かがぶら下がっていた。


「はぐれ魔狼ですね」


 ウーログは息一つ乱していなかった。


「こっちの隙を見て、馬を襲おうとしてたみたいです」


「……よく気づいたな」


 コウは素直に感心した。自分には何も感じ取れなかった。


「魔力を探知したので。隊長なら気にも留めないレベルなんでしょうけど」


 ウーログは少し恥ずかしそうに頭を掻いた。


「僕、ビビりなんで。こういう小さいのにも反応しちゃうんです」


「そ、そうか」


 気にも留めない、というより——単純に、まだ感知できないだけだ。大きな魔力であれば多少は分かる。以前よりも成長した自覚もある。だが、それもまだ輪郭がぼやけたような、ざっくりとした感覚に過ぎない。小さな魔力を精密に捉えるなど、今のコウには到底できなかった。

 しかしそれを正直に言う気にはなれず、コウは曖昧に頷くだけにした。


「こいつの肉、あんまり美味くはないですけど」


 ウーログは魔狼を草の上に置きながら言った。


「焼肉にして食っちゃいましょうか。この先、新鮮な肉にいつ巡り合えるか分からないですし」


 言いながら、脇差をスッと抜く。


 そして手際よく解体を始めた。関節を外し、皮を剥ぐ。刃の角度を変えながら、骨に沿って肉を切り分けていく。二メートルを超える巨体が、指先を器用に動かしている光景はどこかちぐはぐで、しかし何故か吸い込まれるような感じで目が離せなかった。


 解体が終わると、ウーログは右手の指先に小さな炎を灯した。火を起こし、石を並べ、枝を折って即席の焼き台を組む。慣れているのか、考えながらやっているのか、傍目には区別がつかない。そのまま肉を並べると、じきに香ばしい匂いが漂い始めた。


「余った分は干し肉にしましょう」


 ウーログは振り返らずに言った。

 コウはしばらく、その背中を眺めていた。


 方向感覚。手綱捌き。魔力感知。解体。炎魔術。料理。


 ヴィルマルが「若い頃の自分より上だ」と言っていたのは、単純な魔力量や膂力の話ではなかったのだろう。戦闘特化の己と比べて、こいつはもっとバランスが取れている。親馬鹿を差し引いても、その評価は正しかった。


 ——何だ、こいつは。


  唖然としながら、同時にコウは静かに確信していた。

 この旅は、全面的にこいつに頼り切ることになる。同い年とは、とても思えなかった。


「……お前が女だったら、嫁にしたいと思ったかもしれん」


 我ながら何を言っているんだという自覚はあった。しかし、口から出てしまったものは仕方がない。


「な、何を言ってるんですか!?」


 ウーログが勢いよく振り返った。焼き台の前で、顔が青くなっている。


「ダメですよ、そんなこと言ったら。僕が殺されてしまいます!」


「殺される? 誰に?」


 コウは首を傾げた。ヴィルマルか? 確かにあの親父にこんな会話を聞かれたら只では済まないかもしれない。


「そ、それは……言えません」


 ウーログは口を閉じた。視線が斜め下に逃げる。


 もしここでレキエルの名前を出してしまったら。

 あの美しい顔が鬼のように変貌した先日の記憶が脳裏をよぎり、ウーログは無意識に首をすくめた。想像するだけで背中に冷たいものが走る。


 肉の焼ける匂いだけが、のどかに漂っていた。

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