第33話 凶雷乱舞――2
ヴィルマルが、オルドリアの魔人と手を組んだ。
その報せはグレーゲル共和国の隅々まで、炎が枯れ草を焼くように瞬く間に広がった。反乱軍に加わる兵の数は、首都ゴドフロアへと向かうにつれてまるで雪崩のように膨れ上がり、気づけば万を超える軍勢が大地を踏み鳴らしながら進軍しているという。
驚きはあった。
だが、それ以上に――人々の胸に宿ったのは、固唾を呑むような昂りだった。
ついに、その時が来た。
周辺諸国を次々と呑み込み、かつては地図の端に追いやられていた弱小国を、西方最強の一角へと押し上げた大将軍。戦場に立てば神話となり、民に語られれば英雄譚となる。そのヴィルマルが、ついに剣の切っ先をこの国へと向けたのだ。
一方、ゴドフロアの大総統府、その執務室の奥で――大総統が報告書を握り潰した。
三十年だった。
彼が「平和主義」の旗を掲げ、少しずつ、気づかれぬよう歯車を回し始めてから、もう三十年。軍縮と解体。優秀な武官たちを辺境へと厄介払いし、ヴィルマルの周囲から才気ある人間を一人、また一人と引き剥がしてきた。その真意を見抜いていた者など、ほとんどいなかった。
――畏怖。
圧倒的な民心を掌握する大将軍に、自分がいつか追い落とされる。
その恐怖が、大総統を動かし続けてきた。そして、その恐怖には根拠があった。大総統の地位に這い上がるまでに弄した、数々の卑劣な謀略。ヴィルマルが遠征で国を離れている隙に強行した政策、歯向かった者たちの静かな失踪。
人心掌握と金の力で築き上げた盤石な支持基盤。
だがそのやり口は――あの男にだけは通じなかった。
「言いたいことがあるなら、拳で語れ」
ヴィルマルはそういう人間だった。
賄賂など鼻で笑い、甘言には耳を貸さず、腕力と信義だけを真理とする――現代においてはもはや絶滅危惧種とも言うべき、古い時代の武人。
だからこそ大総統は、より遠回りな手を選んだ。
力で語る者を排除できないなら、力で語ること自体を恥とする文化を、三十年かけて民の中に育て上げればいい。軍縮で浮いた予算を惜しみなくばら撒き、その恩恵に授かる者たちの価値観ごと、静かに塗り替えていく。
時間はかかった。しかし、確かに実を結んでいた。
グレーゲルの民はいつしか忘れていた――この国がかつて、剣と血と、幾多の戦場の上に築かれた国であることを。他国を呑み込み、版図を広げ、弱者であった過去を力ずくで塗り替えてきた歴史を。
だが今、その歴史が――眠りから醒めようとしていた。
一万の兵と共に。
◆◆◆
「ハッハー。面白くなってきたじゃねぇか。お前の青ざめた顔を見るのは久し振りだな」
大総統府の執務室。
重厚な樫の机、壁一面を覆う書棚、権威を誇示するように飾られた勲章の数々――その部屋の主である白髪の老人は、皺の刻まれた両手で報告書を握り潰し、肥えた体をぶるぶると震わせながら、齢七十を超えた顔を恐怖で歪めていた。
その大総統に向かって、気楽な調子で言葉を投げかけたのは、革張りのソファに足を組んで座る細身の男だった。
ツンツンに立てた金髪、両耳だけでなく鼻や唇にも突き刺さったカラフルなピアス。見た目は二十代半ばにしか見えない。
「わ、笑い事ではないぞ! ついに奴が動き始めたのだ、万の兵を従えて! 私の近衛兵だけでは最早対処が出来ん!!」
「だから、俺がいるんだろ?」
男は欠伸を一つ挟み、
「いつものようにお願いしろよ。土下座して」
一瞬、老人の目に屈辱の色が走った。
しかしそれはすぐに消え、大総統はゆっくりとソファから立ち上がった。仕立ての良いスーツが汚れるのも構わず、両手を床につき、白髪頭の額をゆっくりと擦りつける。グレーゲル共和国の頂点に立つ男が、文字通り床に這いつくばっていた。
「頼む……。何とかしてくれ。今回はどう見ても奴の方に非があると民は思うはずだ。逆に言えば――ようやく奴を始末する言い分が出来た」
男はソファで組んでいた足を解き、無造作に立ち上がると、目の前の白髪頭に片足を乗せた。
「もちろんだとも。もう三十年も一緒にやってきた仲じゃねぇか。あのハゲを殺れば反乱軍なぞ瓦解する――簡単なミッションだ」
言いながら、その足をゆっくりと踏みにじる。
丁寧に整えられた白髪が、みるみる形を崩されていく。大総統は歯を食いしばり、それでも頭を上げなかった。
「今回は……そうだな。久しぶりに女にしとくか。俺の好みは分かってるよな? まぁ十人くらいでいいか」
そして天井を見上げ、何かを思い出したように続けた。
「あ、そうそう。お前の孫娘のアルフリーダだったか? あれも寄越せ。この前見かけたけど、いい感じに育ってきたじゃねぇか」
その言葉を聞いた瞬間、大総統は男の足を払いのけ、床から顔を上げた。血走った目、必死の形相。老いた体に残る全ての力を振り絞るかのように。
「ば、馬鹿な! アルフリーダはまだ十五になったばかりだ!」
「ああ? だから何だ?」
男の声から、笑いが消えた。
「お前に断る権利があるってか?」
「ぐっ……」
睨みつける大総統の視線を、男はまともに受け止める。
そして――満足そうな、下卑た笑みをゆっくりと浮かべた。まるで、この瞬間こそを楽しんでいたかのように。
「そうだ。お前は断ることなんざ出来ねぇ」
男はコートの襟を正し、執務室の扉へと向かいながら振り返りもせずに言った。
「じゃ、ちょっくら行ってくるわ。二~三日で戻るから、全て整えておけよ。ついでに魔人も片付けといてやる。ああ、サービスだから気にするな」
扉が閉まる。
静寂の中、大総統は乱された白髪を手で押さえ、しばらく動けなかった。
――凶雷の魔人、アクセル。
遡ること三十年前。
混沌の魔女セフィロトによって目覚めた人類史上五人目の魔人が今、動き始めた。




