第30話 双極一閃――4
「ガハハハ! あれで隠れておるつもりか」
物見櫓の上で、ヴィルマルは腹の底から楽しそうに笑った。
山頂の冷たい風が容赦なく吹き抜ける櫓の上からは、アロイスの城壁と、その遥か下方に広がる山肌が一望できた。
眼下に見えるのは、険しい岩肌と針葉樹の一群、そして白く霞む谷間だけだ。案内してきた哨兵も手摺りに並び、双眼鏡を覗いてみるが、岩と木と風に揺れる枝の他には何も見えない。
「……私には何も見えませんが」
「目で見るのではない。感じるのだ、魔力を。こんなに馬鹿でかい魔力には滅多にお目にかかれんぞ」
「は、はぁ」
哨兵は分かったような分かっていないような曖昧な相づちを返す。
高ランクの魔術師は魔力測定器など使わなくても、その魔力量を推し量れるというが、その応用のようなものだろうか。凡夫に過ぎない己には理解できない境地だった。
「ま、儂ほどではないがな」
言い捨てるように呟くと、ヴィルマルは踵を返し、梯子を降りていった。
取り残された哨兵はどうしたものかと、その場で警戒の姿勢に戻る。
しばらくして、何気なく双眼鏡を山道に向けると——その視線の先に、巨大な大槌を肩に担いだ大将軍が一人、悠々と山を下っていく姿が映った。
◆◆◆
コウは要塞の死角となる場所を探し、潜入するのにふさわしい――そんな場所はありそうもないのだが――地点を求めて、険しい山道を行ったり来たりしていた。
夕方や夜になれば見え方も変わるだろうか。だとすれば一旦引き返して、また後で来ようかな、などと思い始めた矢先だった。
「何か探し物か?」
心臓が跳ね上がった。
思わず振り返る。
誰もいないはずだった。岩と木と風の音しかなかったはずだ。それなのに、気づけばそこに《《それ》》は立っていた。
デカい。
熊にも匹敵するほどの大きさと厚み。
二メートル近い巨体が、まるで最初からそこにあった岩のように、自然に佇んでいる。肩に担いだ大槌は成人男性ほどもある鉄塊だ。
いつからいた?
なぜ気づけなかった?
これだけの体積が発する気配を、なぜ一欠片も感じ取れなかったのか。
「儂も一緒に探してやろうか?」
「い、いや大丈夫。もう帰るから」
「遠慮するな」
次の瞬間、大男は大槌を片手で持ち上げ、無造作に振り回した。
風切り音が轟いた、と思った瞬間——
バキバキバキッ!!
大槌の軌道上にあった木々が、根元から薙ぎ飛んだ。
幹の太さが腕ほどある針葉樹が、まるで枯れ枝のように折れ砕け、斜面を転がり落ちていく。
歩みを止めることなく、もう一度、さらにもう一度。
振り回すたびに周囲の地形が塗り替わっていく。岩が砕け、土が抉れ、山肌の一角がみるみる開けていった。土煙と木屑が舞い上がり、視界を白く霞ませる。
そして、何事もなかったかのように振り向いた。
「ガハハハ! どうだ? 大分スッキリしただろ? これで探しやすくなったんじゃないのか?」
「……足元にこれだけ木が倒れてたら、見つかる物も見つからねぇよ」
フリーズしていた頭が、ようやく動き始める。コウは目の前の大男を改めて見据えた。
「で、あんたはグレーゲルの兵士ってことか。俺の行動はお見通しだったってわけだな」
「儂の名はヴィルマル。この国の軍事のトップよ。ま、今はただのお荷物だがな」
そう言うと大槌を肩に戻し、楽しそうに目を細めた。
「この先に進みたくば、儂を倒してみせい」
大人しくこの場を去ることは無理そうだ。
コウは集中力を高め、全身に魔力を巡らせる。
黒い炎が、体を包み始める。
ジャオの指導で芽が出始め、レキエルの指導によってようやく花が咲き始めた魔力操作。怒りに身を焦がさなくとも、ある程度炎を燃え上がらせるほどにはなっていた。
「ガハハハ! 『肉体再生』と『破壊』、それに『呪い』が貴様の能力らしいな。聞いとるぞ」
「いつの間に俺はそんな有名人になったんだよ……」
凍結魔術の方までは伝わっていないか。
まぁ、あえて教えてやる必要もない。
「儂は神話級武器No.7——グラビトスの使い手だ。どんな力かは、身を持って思い知るがいい」
大槌の先端は、禍々しい血のような赤。
殆ど黒に近いと言っていい。
どれだけ多くの血を吸ってきたのか想像もつかない。
コウはファイティングポーズを構える。
それを警戒するかのように、ヴィルマルも大槌を強く握った。
「いかに強力な力を持っていようと、その拳を儂に当てねば効果はない。さぁ、儂の懐まで潜ってみせよ」
無造作な構えだった。
なのに——隙が、ない。
コウは踏み出しかけて、止まる。
もう一度踏み出しかけて、また止まる。
一歩先に踏み込むことすら、出来なかった。
何かが、違う。
圧力でも、殺気でもない。
ただそこに立っているだけで、近づくことを拒絶されているような——。
「どうした? 来ないのなら儂の方から——」
言葉が終わる前に、ヴィルマルが動いた。
一歩。
たった一歩で、距離がなくなった。
その巨体からは想像もつかない踏み込み。目に残像が残るほどの、驚速。
斜め上から——大槌が振り下ろされる。
見えなかった。
本能だけが、辛うじて間に合った。
ガンッ!!
両手で受け止める——受け止めきれなかった。
骨が砕ける。両腕が。次の瞬間、大槌がそのままコウの胸にめり込み、胸骨を粉砕していく。
体の内側から、鈍く、不快な音が響く。
しかし——それだけでは、なかった。
大槌のどす黒い赤い先端を中心に、重力の波紋が広がり始めた。
見えない巨大な手が、コウの全身を掴み、押し込んでいく。
下へ。
ただ、下へ。
逃げられない。
跳べない。
体をずらせない。
地面が、近くなる。体がめり込んでいく。足が、腰が、背中が砕け——大地に呑まれていく。
隕石が衝突したような轟音と共に、クレーターが広がっていく。
「ぐぅ——ッ」
呼吸が、できない。
胸郭が潰れて、肺が機能しない。
それでも再生の炎が噴き上がり、砕けた骨を、潰れた内臓を修復していく——修復した端から、また砕かれる。潰れる。
再生と破壊が同時に起こり続ける、終わりのない地獄。
重力が、解けた。
ヴィルマルが、大槌を引いたのだ。
「ほう。噂以上の再生力だな」
クレーターの底から、コウは上を向いた。
内臓から逆流してきた血を口から吐き出し、ゆっくりと立ち上がる。
狂気の灯火が、瞳の奥に揺れ始めた。
「再生しても、痛ぇもんは痛ぇんだよ」
声が、震えていた。
怒りからではない。
全身がまた生を実感し、その喜びで。
「倍にして返してやるからな」
しかし、頭は冷静だった。
この化物を村まで近づけたらダメだ。
何もかもぶっ壊される。巻き込まれてみんな死ぬ。今の自分はもう一人ではない。団長としての責務がある。
「ガハハハ!! やれるもんならやってみろ、小僧」
ヴィルマルは再び、無造作に大槌を構えた。
己の一撃を喰らって立ち上がってきたのは何人目だ。
そして——何十年ぶりだ。
いい目をしている。そんな目で儂に挑む者など、もういないと思っていた。
燻り続けていた炎が、勢いよく燃え始めていた。




