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魔拳無双~ 神祖の魔女に拾われた孤独な少年は、人類史上六人目の魔人となりました。  作者: 堅物スライム
第二章 黄昏の終わり

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第29話 双極一閃――3

 グレーゲル共和国の首都ゴドフロア。


 石畳の路地が迷路のように絡み合うこの街には、昼夜を問わず人と金と欲望が流れ込んでくる。中央広場から二ブロック北、煤けた看板が風に軋む路地の奥に、冒険者ギルドはあった。

 扉を押し開けると、獣脂の蝋燭と安酒と、それから男たちの汗が混ざり合った空気が鼻をつく。


 大広間の奥まった席で、ヴォイドは一人、昼間から酒を呑んでいた。


 近隣の村から依頼のあった魔狼の群れ退治。

 Aランク魔術師のヴォイドにとっては、何の面白みもない仕事だったが、その報酬で一ヶ月は遊んで暮らせる。難なく片付けてから、もう一週間が経つ。手元の杯を指先でゆっくりと回しながら、ヴォイドはただ時間を無為に溶かしていた。


「おい、聞いたか。英雄ヴィルマルがアロイスに向かったってよ」


 隣のテーブルから声が上がる。

 日に焼けた冒険者風の男が、身を乗り出して仲間に囁く。ギルドの喧騒の中でも、その名前がやけにはっきりと耳に届いた。


「え? マジで? 何かヤバいのか?」


「西の魔女が宣戦布告したのは知ってるよな? で、アロイスに魔人を送り込んだんだと」


「この国を相手に喧嘩を売ったのか? 度し難いアホだな」


「ああ。でも、単体の戦力としては魔人も相当ヤバいらしい。ガラニンから送られた百人のAランク魔術師を一人で殲滅したらしいし」


 杯を回す指が止まった。


「マジかよ。で、御大の出番ってか?」


「ま、念の為だろうがな。大総統はビビりだから」


 男たちの笑い声が広間に広がっていく。


 ――またコウの話か。


 ヴォイドは視線を杯の底に落とした。


 どこへ行っても、あいつの噂話を聞かされる。その度に、喉の奥に引っかかるものがある。酔いが醒める、という感じではない。もっと鋭い何かが、胸の内側を引っ掻く。


 あいつのことなど、どうでもいい。


 そのはずだった。

 なのに心が追い立てる。――お前は何をしているのかと。魔狼の群れを片付けて、報酬を懐に、安酒で昼間から自分を誤魔化している。その事実が、今この瞬間、じわりと重さを増した。


「ちっ」


 舌打ちが、自分の耳に思いのほか大きく響いた。

 ヴォイドは残りの酒を一息に煽った。喉を焼く安物の蒸留酒。それでいい。これが最後の一杯だ。懐から金貨を一枚取り出し、テーブルに叩きつける。甲高い音が木目に吸い込まれた。


 釣りなど要らない。


 この酒に金貨一枚の値打ちがないことくらい、わかっている。だがこれは酒代じゃない。覚悟に払う対価だ。自分自身への、退路を断つための。


 椅子を引く音に振り向く者は、誰もいなかった。それでいい。見送られるような旅じゃない。


 ヴォイドは立ち上がり、埃っぽい大広間を横切って扉を押し開けた。午後の光が石畳に鋭く照り返している。その目は真っ直ぐ西を向いていた。


 視線の先にあるのは混沌の領域。

 秩序も法も届かぬ、暗澹とした辺境の果て。そしてその混沌に君臨する神祖の魔女――セフィロト。


 ヴォイドはエデンへの複雑な思いを振り払うかのように一度頭を振ってから、ゴドフロアの石畳を踏み出した。


 ◆◆◆


 コウ率いる第一師団が山麓の村々に到着したのは、峰に雲が巻き始める昼過ぎのことだった。


 グレーゲルとガラニンの国境を成す山脈の端。

 その最も高い峰のひとつを丸ごと削り、積み上げ、要塞へと作り変えたのがアロイスの街だ。麓から見上げれば、灰色の石造りの壁が空に突き刺さるように連なっている。

 山肌にへばりつく集落がいくつかあるが、二百人を超える武装した兵を受け入れられるほどの余裕はない。結局、山の麓に点在するいくつかの村に部隊を分散させ、各自に待機命令を下す。動くのは、機が熟してからだ。


 翌朝、コウはジャオだけを連れてアロイスの偵察に出た。

 山道を登るにつれ、それは少しずつ、しかし確実に、その全貌を現してきた。

 そして、城壁を間近に仰いだ瞬間、コウは言葉を失った。


「いや、分かってたけど……。分かってたけど、想像の五倍くらいデカいな」


 山頂を覆い尽くすように広がる城壁は、まるで峰そのものが牙を剥いているようだった。


 高さは優に十メートルを超える。

 山の急斜面を巧みに利用した構造で、要所に突き出した望楼からはあらゆる死角が潰されていた。眼下には霞む山並みと谷間の村々。


 そしてその全てを見下ろす頂に、恐らく数千の兵が控えている。これだけの規模であれば、それ位はいるはずだ。


「さすがにワシもここまで来たことは無かったからのう。エデンめ、無茶を言いよる」


 コウの肩の上で、老猫のジャオも丸い目を細めた。


「まぁ、ガラニンからの侵攻を警戒するとしたらここしか無いからの。用心を重ねた結果じゃろうな」


「……逆にガラニンへ侵攻する場合、初動でこれだけ動かせれば充分ということか」


「ふっ」とジャオは短く笑い、尻尾をゆったりと揺らした。


「お主も頭が回るようになってきたの」


 褒められても素直に喜べない状況だった。コウは腕を組み、眼前の壁を改めて睨み上げる。


「いざとなったら、お主の拳で夜な夜な壁を叩き壊して、ゲリラ戦術でも展開するしかなさそうじゃの」


「そんなことしたら、近隣の村が襲撃されるだろ……」


 ジャオの冗談とも本気ともつかない提案に苦い顔を返しながら、コウは視線を壁の稜線に沿って流した。


 山頂を舐める冷たい風が、二人の間を無言で吹き抜けていった。


 ◆◆◆


「ヴィルマル大将軍、到着!! 全員集合!!」


 伝令の声が要塞の石壁に反響し、広場に詰めていた兵士たちがざわめいた。

 切り立てた岩盤をそのまま壁に組み込んだアロイスの内郭は、外から見るのとは別の種類の威圧感を内側から放っていた。


 その正門が、内側から押し開けられた。

 コウが近隣の村に到着するのに少し遅れて、ヴィルマル一行が要塞に姿を現した。


 身の丈二メートル近い巨躯が、石造りの門をくぐる。

 肩幅だけで普通の男二人分はある。鎧も兜もない、ただの行軍着姿にも関わらず、その存在感は抜き身の剣のように場の空気を張り詰めさせた。


 途中で馬を乗り捨て、険しい山道を登ってきたはずだが、ヴィルマルの顔に疲れは見えない。五十を過ぎた顔には深い皺が刻まれているが、その両眼だけは若い頃から変わらぬ獰猛な光を宿している。


 問題は、後に続く者たちだった。


「ヴィ……ヴィルマル様。こんなに急がなくても……」


 肩で息を吐きながら、精鋭のはずの同行者たちが今にも膝をつきそうな顔で広場に倒れ込んでくる。鍛え抜かれた歴戦の兵が、まるで新兵のような有様だ。


「ガハハハ! 何を言っとる。普通に歩いてきただけだわい。だらしないぞ、この程度で」


「……」


 返す言葉もなかった。

 普通に、の基準が根本から違うのだ。この男の「普通」に付き合わされ続けた結果がこの体たらくだと、誰もが骨身で理解していた。


 兵士たちの視線が一斉に集まる中、ヴィルマルは自分の禿げ上がった頭をぺちぺちと気安く叩きながら、部下から現状の報告を受ける。オルドリア軍の進軍地点、兵站の見通し。


 そして、しばしの沈黙の後——


「よし。じゃ、儂が動いて炙り出すか」


 広場の空気が一瞬、止まった。


「は……はい? 待っていれば、向こうが自滅同然に攻め込んでくるはずです。それを狩るだけで宜しいかと思いますが」


 理に適った進言だった。

 兵力差、地の利、補給線——どれをとっても籠城が正解だ。


 だがヴィルマルは首を振る。


「魔人の拳は、全てを破壊するそうだ。ヤケクソになって、壁を破壊されたらたまらんわ。修繕費がどうこうとかでまた大総統の奴めに小言を言われる」


「……大総統、ですか」


 空気が、別の意味で張り詰めた。


「ヴィルマル様、いつまであんな男に従うつもりですか? 我々に命じて頂ければ、いつでも――」


「ガハハハ! この平和な時代にもう儂の居場所など無い。これが最後の大暴れだ」


 笑い声で遮られた男は、口をつぐんだ。


「黙って自滅を待つだけなど、実につまらん! 儂の手で全て殲滅して置き土産にしてやるわ」


 笑い声が石壁に反響して消えた後、広場は静まり返る。

 英雄の両眼に灯る炎を、誰も直視できなかった。それは狂気ではない。もっと始末に負えない別の何かだった。

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