第28話 双極一閃――2
グレーゲル共和国の要塞都市アロイスは、山脈の頂上付近に位置している。
山脈の西側は旧ガラニンの領地、東側はグレーゲルの支配下だ。元々の国力の差もあり、グレーゲルはこの地を国境の要所と見定め、早い段階から頂上近辺に要塞を築き上げていた。
切り立った岩肌に張り付くように建てられた石造りの城壁は、遠目にも威圧感を放っている。山道を登らなければ辿り着けない地形そのものが天然の防壁となっており、正面からの攻略は容易ではない。
コウたちの一団は途中の街や村で補給を重ねながら、着実に進軍を続けていた。ジャオとその他の諜報局員は各所で転移魔法陣を構築していき、後に続くエデンの仕事を楽にする作業も兼ねていた。
「それにしてもエデン様の野望は凄いっすね! 世界を全て手中に収めて、争いのない平和な世界を築き上げるなんて」
人懐っこい笑顔でコウに話しかけてきたのは、一人の少年だった。
エデンに見いだされ、コウの第一師団に入団した有望な魔術師で、年齢はコウと同じくらいだろうか。その無邪気な声が、山道に響く蹄の音に混じる。
「ああ、そうだな」
コウは短く答えながら、ふと思考が内へと沈んでいくのを感じた。
平和な世界。
その代償として、人々からは強い感情が奪われる。
激しい怒りは消える。だが悲しみも消える。大切な誰かを失っても、深く嘆くことはなくなる――それは果たして、良いことなのだろうか。
そしてふと、もう一つのことが頭をよぎった。誰かをめちゃくちゃ好きになる、ということも、なくなるのだろうか。
まだ誰かを愛した経験のないコウには、その喪失が何を意味するのかよく分からない。分からないが、何かが胸の端に引っかかった。
今はまだ判断できない。
それを測れるほどには、人生を長く生きていなかった。ずっと、心が死んでいたのだから。
山道の先、岩肌の向こうに、アロイスの城壁がわずかに見え始めていた。
◆◆◆
「エデン様。ガラで発生していたテロはレキエルさんが無事に制圧したようです」
旧ガラニン南部の地方都市ザイフェルト。
その街の中心部に建つ古い集会所の地下室――数時間前に魔法陣を構築したばかりのその場所から、にゅっとエルゲが現れて報告した。
今回の旅もエデンがエルゲの襟首をつかんでぶら下げる空の旅である。
ただ、新たに魔導技師団に加わった優秀な者たちが別ルートで各所の転移魔法陣構築に向かっているため、魔法陣間での移動が出来る箇所も増えてきた。前回よりは行程が楽になりそうだった。あくまで、多少は、だが。
「そう、お疲れ。やっぱり人が増えると一筋縄ではいかないわね」
「はい。後は外国からのスパイの潜入や、陽動による暴動なども警戒せねばなりません」
「ふふっ。ジャオが忙しくなりそうね」
エデンは楽しそうに笑った。
当のジャオが聞いたら渋い顔をしそうな笑みだった。
「我々魔導技師団の本業はいつから開始になるのでしょうか……。グレーゲルまで併合したら、ますます研究に戻れなくなってしまいそうです」
「大丈夫よ。ステラだっけ? この前の村であんたの技師団に追加した子。あの子は適性がありそう。あんたの代わりに作業が出来ると思うわ」
「だと宜しいのですが……」
ステラはザイフェルトから少し離れた小さな村で発掘した逸材だった。
村に一つしかない学び舎で子どもたちに読み書きから算術まで教える先生をしており、魔力の扱いにも長けている。魔力量自体もAランク相当で申し分ない。
村の学校教師といえば決して華やかな立場ではないが、限られた環境の中で独自に魔術を磨いてきたその素養は、エデンの目にも留まるほどのものだった。引っ越しの荷造りやら何やら諸々が片付き次第、合流することになっている。
「あの、彼女も空中にぶら下げて移動されるおつもりですか?」
「うん、もちろん。二人位なら余裕だし」
そういう問題ではないのですが、と思わず出かかった言葉を、エルゲはぐっと飲み込んだ。
◆◆◆
グレーゲル共和国の首都ゴドフロア。
大陸西部随一と謳われるその城塞都市の街門を潜り、馬車の一団が出立した。石畳を叩く蹄の音が整然と響き、護衛の騎馬兵が隊列を組んで従う。その中でも一際豪華な造りの馬車の中には、二人の男が座していた。
「ヴィルマル様。なぜ、あっさり了承されたのですか」
中年の男が、固く握りしめた拳を震わせながら言葉を絞り出す。怒りと忠義が混ざり合った、抑えきれない表情だった。
「ヴィルマル様をあのように顎で使うなど、何たる無礼か。私はもう少しで斬りかかるところでした」
「ガハハ。そう言うな。もう儂のような武人など、今の平和な世に必要とされておらん。仕事を貰えるだけ有難いことよ」
ヴィルマルと呼ばれた男は、事も無げに言ってのける。
馬車の中で、その存在感は異常なほどに際立っていた。
身の丈は二メートルに迫る坊主頭。
年齢は五十台半ばといったところだろうか。服がはち切れんばかりに鍛え上げられた肉体、丸太のような腕、フライパンほどもある両の手。そして膝の上に無造作に置かれた、成人男性ほどの大きさの巨大な大槌。
その先端は血のようなどす黒い金属の光沢を放っており、長年にわたって何かを叩き続けてきた凄みが滲み出ていた。
「何を仰るのですか!」
中年の男はなおも食い下がる。
「この国がここまで領土を広げることが出来たのは、全てヴィルマル様の功績ではございませんか! その恩恵に授かっていただけのただの文官、大総統ごときが偉そうに――」
「時代は変わったのだ」
ヴィルマルは穏やかに、しかし静かな確信を持って遮った。
「そんなことより――」
大槌を握る手に、わずかに力が込められる。
「儂は今、久しぶりに血が湧きたつのを感じておるぞ。まさか、この国に喧嘩を売ってくる無謀な馬鹿がおるとはな」
その目が、細まった。温度のない、獣のような光がそこにあった。
「『怒りの魔人』だったか? 早いとこ身の程を弁えさせねばならんな。ガハハハ!」
笑い声が馬車の中に満ちる。
ヴィルマル・リングダール。
グレーゲル共和国の英雄にして大将軍。
かつて一介の弱小国に過ぎなかったグレーゲルに現れた突然変異。
若き日の彼は、単身で隣国の将軍を叩き潰すことから始めた。
次に要塞を、次に城を、次に国を――その大槌が向かう先に、勝利以外の結末はなかった。三十年以上の歳月をかけ、周辺諸国を次々と呑み込み、グレーゲルを大陸西方の最大国家へと押し上げた男。
生まれてから、負けを知らない。
その燻っていた炎が、今、静かに再点火していた。




