第27話 双極一閃――1
「なにこれ?」
ガラニン王国の王都ガラ。石畳の広場を抜けた先にそびえる王宮の入口で、二人を待ち構えていたのは、一人の中年の男だった。
重厚な正門を背に、男は恭しく一枚の封書を差し出し、深々と頭を垂れている。その額が石畳につきそうなほどの、必死さを滲ませた礼だった。
コウはこの男に見覚えがあった。以前、一人でエデンからの書簡を持参した際、王子と共に同席していた大臣の一人だ。あの時のコウの怒りの形相を覚えているのだろう、大臣は極力コウの姿が目に入らないよう、分かりやすく身を縮こまらせていた。
エデンは無言で封を破り、取り出した文書に目を走らせる。それから、抑揚なく読み上げ始めた。
『ガラニン王国 主権委譲並びに大罪への贖罪に関する誓約書――』
風が吹いた。
広場に積もった枯れ葉が、からからと石畳の上を転がっていく。
読み上げが続くにつれ、その内容の重さが、じわじわとコウにも分かり始める。暗殺工作の公式な認罪。全領土の割譲。王の退位と永久亡命。国庫の全財産の供出――。
要するに、国そのものを丸ごと差し出すということだ。
大臣は微動だにせず、冷や汗を垂らしながら、ただ黙って石畳を見つめていた。読み上げが終わっても、その姿勢は変わらなかった。
「要するに王は全てを放り出して逃げたってことね」
エデンは文書を折り畳み、端的に言った。
「まぁ潔いと言えば潔いけど。とりあえず、この降伏文書は受理しておく。今後の方針に関してはまた後日改めて伝達しに来るから、それまでは今まで通り仕事してなさい」
「承知いたしました」
大臣は顔を上げる。その表情には疲弊と、それでもどこかほっとしたような色が混じっていた。
「民の動揺が広がらぬよう、我々も手を尽くさせて頂きます」
「宜しく。じゃ、コウ。帰るわよ」
「え? もう?」
「話す予定だった相手がいないんじゃ、文字通り話にもならないでしょ」
確かにその通りだった。
コウはせっかくガラまで来たのだから、美味いものでも食べていきたかったのだが、そんなことを言い出せる空気ではなかったので、素直に諦めた。
◆◆◆
数日後、エデンは正式にガラニン王国のオルドリア王国への併合を宣言した。
王都エデンは引き続き行政の中心地としての役割を担う。ただ、規模的には旧ガラニン王国の王都ガラの方が何倍も大きく、さすがにエデン一人による統治は困難だ。そのためガラニン領内の行政機能は体制を大きく変えず、現状維持の形で治めることとした。
エデンの目的は魔力吸収魔法陣の構築でほぼ達成される。
魔法陣によって魔力と共に強い感情も吸収される市民たちは、旧体制への執着も薄れていく。反乱の芽は、摘む前に枯れる――それもエデンの想定の内だった。
とはいえ、三百万人を超える人口を抱えるに至ったわけである。
エデンは国家運営の在り方を刷新するため、国家運営委員会を設立した。
今後は委員にもある程度の権限を持たせ、それぞれの職務範囲においてはエデンへの確認を不要とし、各自の裁量に委ねるとのことだった。
エデンはこれからガラニンから併合した領土の東部エリア全域を巡り、再び魔法陣構築の旅に出なければならない。しばらくは細かな意思疎通が困難になる――それが大きな要因だろう。もっとも、コウとだけは念波を使っていつでも指示を出せるのだが。
委員会のメンバーは次のように決まった。
第一師団団長はコウ。
主に他国への侵攻を主とする遠征軍。
第二師団団長はレキエル。
反乱はほぼ起きない想定とはいえ、この規模になると不満分子をゼロにすることは不可能だ。その鎮圧と外敵からの防衛を担う、旧ガラニン王国軍を主体とした国防軍である。
諜報局長にはジャオ。
今後は潜伏しての情報収集に留まらず、スパイ狩りや謀略・工作活動にも本腰を入れていくようだ。
魔導技師団長は引き続きエルゲ。
ガラニン産の魔鉱石も大量に入手できるようになったため、魔道具の生産拡大を進めていく。
そして最後は聖堂会の枢機卿ラニエリ。
国内各地の教会の運営と聖堂騎士団の管理を担う。聖堂騎士団は第二師団の一分隊として全国に展開し、外敵への備えと魔獣退治にも従事することになる。魔力を納めた民からは戦闘意思も失われる。魔獣に対しても無抵抗となってしまう民を守るための、必要な布石だった。
ガラニン西部から集まった有能なBランク以上の魔術師は、全部で三百名ほど。
実際にはもっと多いのだが、各地で要職を務めている者は引き続き現在の業務を任せることにしていた。
コウに振り分けられた魔術師は二百名、残りの百名はジャオの指揮下に入った。
コウは早速エデンから、他国へ圧力を強める役割を命じられた。
最初のターゲットは、旧ガラニン王の亡命先となったグレーゲル共和国。王の身柄引き渡しを要求する書簡を送付するが、当然相手にもされない。
グレーゲルはガラニンの十倍以上の国力を誇る、大陸西部において最も強大な国家の一つだ。神祖の魔女エデンが率いる国とはいえ、所詮は取るに足らない小国からの要求である。それに屈したとなれば、国のメンツにも関わる。
だが、エデンはそれを見越した上での要求だった。
つまりは、グレーゲル侵攻への大義作り。
引き渡し拒否の書簡を受け取るや、コウは第一師団を率い、ジャオと選抜された十名ほどの諜報局員と共に、国境の要塞都市アロイスへ向けて進軍を開始することになった。
◆◆◆
「しばらく会えなくなるな」
レキエルが紅茶を一口すすり、静かに口を開いた。
国の併合以来、旧王都ガラの軍事施設では第一師団とガラに詰める第二師団の合同訓練が日課となっていた。コウはレキエルに氷魔術の使い方を叩き込まれている。
いつからか、午前の部が終わると、コウとレキエルは連れ立って茶を飲むのが習慣になっていた。二人が並んで腰を落ち着ける時間は、慌ただしい日々の中でも不思議と自然に生まれていた。
「お前もこれから国内各地を回るんだろ? 顔見世も兼ねて」
「ああ。聖堂会の新たな象徴としての役割まで課されてしまったからな。早めに人心を掌握しておくのが大事ということらしい」
見た目だけならば、この世の者とは思えないほどの神々しさと美貌だ。
田舎者であれば、レキエルを一目見ただけでひれ伏すかもしれない。問題は、口を開いた瞬間に全てが瓦解することだった。ヤンキー丸出しの喋り方は、その圧倒的な外見とのギャップが著しい。コウとしては逆効果にならないか、少し心配だった。
「お前、マジで喋り方だけは気をつけろよ……。てか、何でそんななんだよ?」
「う、うるせーな。これがあたしの個性なんだ。とやかく言われる筋合いはねぇ」
レキエルはふいと視線を逸らす。
「お、お前こそ気をつけろよ」
「何をだよ」
少しの間があった。
「……こ、この前も食堂でミレイ相手に鼻の下を伸ばしてデレデレしやがって。女に免疫が無さ過ぎて、変な女に引っかかるんじゃねーかって心配になるだろ」
「デ、デレデレなんかしてねーよ。てか、お前が心配するようなことじゃないだろ?」
思い当たる節があった。
コウは一瞬焦る。遅れてやって来た思春期。今さらながら異性への挙動を指摘され、羞恥が顔に滲み出るのを止められなかった。
「お、お前は第一師団の団長なんだ。国の重要人物だ。何かあったら大問題になるだろうが」
そこまで言うと、レキエルはそっぽを向いた。白金の髪がさらりと揺れる。次の言葉は、ひどく小さかった。
「そ、そういうデートみたいなのをしてぇならあたしがしてやるから、他の女をそういう目で見るんじゃねぇ……」
しかしその声はあまりにもか細く、コウの耳には届かなかった。ちらりと横目で確認すれば、なぜかレキエルの耳が赤い。
「え? なんて?」
「な、なんでもねぇ! とりあえず気をつけて行って来いよ!!」
「ああ、分かってるよ」




