第25話 天上の華――6
コウの背に、白く淡く発光する槍が突き刺さっていた。
刺さった箇所から、じわじわと血が染み出している。
レキエルの創世魔法『創成』により即時錬成された、聖なる武器。
「ふぅ……。マジで危なかった。こいつ、やるわ」
既に意識も途絶えたのか、コウはピクリとも動かない。
コウの左手から解放された聖剣を握り締め、レキエルはしばし動けなかった。
天界で何の変化もない日常を送り続けていたレキエルにとって、今の戦いは——初めて、本当の意味で熱くなれた瞬間だった。これほどまでに自分を熱くさせる存在に、果たしてこれからも出会えるのか。
この男を殺すのは、惜しい。
何をしでかしたのか聞いていないが、自分が一緒に謝ってやれば許してもらえるのではないか。許さないと言われても、力ずくで認めさせる。
そうだ、そうしよう。
こいつが目を覚ましたら——
ぞわっ、とした。
突然。
何の前触れもなく。
何かが来る。
圧倒的な何かが、すさまじい速さで——こちらに向かってくる。
振り返って上空を見上げると、それは徐々に大きくなっていき。
目の前に、降り立った。
「あっぶな。何とか間に合ったか」
黒髪の女だった。
ルビーのような瞳が、冷徹にレキエルを見据えている。
体が、動かない。
なぜだ。
魔力はまだある。意識もはっきりしている。なのに——脚が、一ミリも動かせない。
捕食するものと、されるもの。
本能が、瞬時に残酷な判定を下していた。
「あんたは、天使の受肉体ってとこかしら。誰の差し金——って聞くまでもないわね。ガラニンの連中でしょ。ほんと、性懲りもない。めんどくさいから、もう滅ぼしちゃお」
もう一人のターゲット。魔女。
間違いない。
魔力が全快の状態であっても、この絶望的な格差は慰め程度にしか埋まらないだろう。頭ではなく、肉体が、魂が——それを理解してしまっていた。
「そのコはね、わたしの切り札なの。これから神祖の魔女を討ちにいくための。長い間、待ってたのよ。神祖の根源魔法を無効化する——わたしの運命を切り拓く力」
硬直した体を無理やり動かし、レキエルは剣を構えた。
無駄なことは、分かっている。
でも。
せっかく受肉できたのだ。あのクソみたいな、暇で、何もない、空虚な天界にはもう戻りたくない。
この体を——失いたくない!!
「じゃ、せっかく降りてきたのに悪いんだけど、さっさと戻ってちょうだい」
エデンは両手を打ち合わせ、乾いた音を立てた。
「螺旋圧搾」
そのまま上下に、じりじりとすり合わせる。
見えない。
何も見えないのに——体が、締まっていく。
空間ごとらせん状にねじり潰されていく感覚。逃げ場がない。回避する隙間がない。そもそも、回避という概念が通用しない。
「ぐっ……あああああああ!!」
残された魔力を出し惜しみなく、フルスロットルで抵抗する。
しかし、圧搾は止まらない。
不可逆の動き。
ボキッ。
体の内部で、骨が折れる音が聞こえた。
両腕が、あり得ない方向に捻じれていく。
「あああああああ!!」
死にたくない。
還りたくない。
あの空虚な天界には——絶対に、還りたくない。
しかし、その時。
ふっと、締め上げる力が弱まった。
痛みに耐えられず瞑っていた目を開けると。
目の前に、少年が立っていた。
背中に槍が突き刺さったまま。
レキエルを庇うように、両手を広げて。
「やめ……てくれ。こいつは……俺の敵だ」
声は、か細い。
殆ど聞き取れないほど弱々しい。
全ての力を使い果たしたはずの体が——それでも、立っていた。
「んー? 君、殺されかけてたのよ。分かってる?」
「こんな……ボロボロにされて……負けっぱなしは……嫌だ。これだと……何も……変わらない。こいつは俺が……いつか……絶対勝って……みせ」
どさり。
糸の切れた人形のように、コウは地面に倒れた。
レキエルは、その背中を見つめたまま動けなかった。
さっきまで死力を尽くして戦い合っていた相手が。
必死に自分を庇って、残された力を振り絞って、立っていた。
熱いものが込み上げてきた。
何だ、これは? この感情は?
「はぁ。しょうがない。君の機嫌を損ねることは避けたいからね」
エデンはすり合わせていた両手を、静かに離した。
同時に、見えない圧搾が解除される。
レキエルはそのまま、倒れ込んだ。
両手も、両足も、肋骨も——折れて、砕けている。
立っていることなど、出来るわけがない。
地面に頬をつけたまま、顔を上げる。
エデンの瞳には、怒りも、軽蔑も、何もなかった。
ただ——圧倒的に、格が違った。
自分など、いつでも好きな時に、どうにでも出来る、と。
「自分の体を直したら、コウも回復させといて。で、ガラニンに戻って、依頼主に首を洗って待ってろと伝えなさい。わたしに歯向かったらどういうことになるか分かったでしょ? じゃ、わたしは仕事に戻るから」
それだけ言うと、エデンは空へ舞い上がり、元来た方へと消えていった。
静寂が、戻ってくる。
レキエルは砕けた両腕を動かすことも出来ないまま、しばらくその場に横たわっていた。
隣には、同じように倒れたコウの背中。
こいつが目を覚ましたら、色々話をしてみたい。きっとお互いに通じる部分がたくさんあるはずだ。
なぜか、そんな風に思った。




