第22話 天上の華――3
魔力量の多寡は持って生まれた資質に依るところが大きい。
だが、後天的に増やせないわけではない。ちょっとしたきっかけや、本人の血の滲む努力、あるいは思いもよらぬアクシデント——そういった様々な要因によって、魔力が飛躍的に伸びた例は枚挙に暇がない。
コウもその一人だった。
魔人となった時点で既に、並のAランク魔術師の十倍もの数値を叩き出していた。それだけでも十分に規格外だというのに、先日の死闘を経て、コウの魔力はさらにその天井をぶち抜いていた。
「ふむ」
研究室の隅に鎮座する魔力測定魔法陣——その横の机に置かれた魔道具を、ジャオは猫の小さな手で器用に操作しながら、白い口髭を揺らした。
「120,768か」
老猫の細い目が、値をもう一度なぞる。
「数字だけで見れば、お主より上の魔術師は人間では殆どおらんじゃろうな。魔女や魔人など上位の存在はまた別の話じゃが——それにしても、大したものじゃ」
感心したようなジャオの言葉に、しかしコウは素直に喜べなかった。腕を組み、どこか納得のいかない顔で唸る。
「数字だけ大きくてもな……。結局、怒れないと力が発揮できないわけだし」
あの死闘でコウの魔力が溢れたのは、自らの意思というより、ただの激情だった。感情が臨界点を超えた瞬間に、その力は牙を剥く。制御とは程遠い、獣のような発動条件。数字がいくら跳ね上がろうと、それでは意味がない。
「その通りじゃ。精進せにゃならんぞ」
ジャオはあっさり認めて、しっぽをゆらりと揺らした。
こうして再び、老猫による魔術指導が幕を開けた。
基本的な魔力操作はそこそこ様になってきた。次の課題は、神話級武器No.3——グラキリスを魔改造して生まれた指輪に宿る力を、スムーズに解放できるようにすること。コウは指輪の嵌まった両拳を握り締め、その感触を確かめながら修業に臨んだ。
しかし、やってみると早々に壁が立ち塞がった。しかも二枚も。
一枚目は、拳の力との同時発動が出来ないという事実だった。
「仲の悪い神同士じゃからのう」
とジャオは言う。
「片方が力を振るっておる時、もう片方は内部で反発しておる。凍結の力を発動しておる間は、防御力無視も呪いも眠ったままじゃと思え」
相容れない神同士の力が干渉し合う。まぁ理屈はわかる。不便だが仕方ない。
そして二枚目の壁が、もっと厄介だった。
コウの不器用さが、想像の遥か上をいっていたのだ。
グラキリスの元の所有者――鉄扇の男は、その力を呼吸するように自在に操っていた。だがコウが同じことをやろうとすると、指輪はまるで言うことを聞かない。力の輪郭が掴めず、発動しようとするたびに空振りに終わる。
「……技の名前と能力を、強制的に脳でリンクさせてみるか?」
ジャオは色々考えた末、自信無さげに提案した。
「この名前を口にする時はこの力、あの名前の時はあの力——そうやって意味のある記号として脳に焼きつけるんじゃ。不器用者の苦肉の策じゃが、お主には合っておるかもしれんぞ」
「なるほど」
コウはそのアドバイスを素直に受け取った。いや——むしろ、満更でもなかった。
技の名前。
遅い思春期が芽生え始めた今のコウの中で、何かが静かに、しかし確かに、疼き始める。
「あの男は……『凍天絶華』とか言ってたな」
口の中で転がすようにその言葉を繰り返す。音の響き、意味の重さ、唇から放たれる時の感触——全部が、なんというか。
良い。
「そのまま採用しよう。で、氷の壁はあいつそのまま出してたよな——あれには別の名前が要るか。氷の、壁、で……氷壁じゃそのままだし、なんか冷たい響きの——」
一人、ぶつぶつと考え込み始めるコウに、ジャオの冷ややかな視線が突き刺さる。
「……魔力操作の方が先じゃぞ」
老猫は深々とため息を吐いた。
◆◆◆
修業を再開して数日が経った。
今日も、コウは庭園の片隅で汗を流していた。
「凍天絶華——ッ!」
叫びながら拳を突き出す。
指輪が微かに反応し、拳の軌跡に沿って薄い氷の針の膜が広がる——が、それだけだ。搾りかすのような氷塊が地面に落ちて、すぐに溶けていく。
「永久氷壁——ッ、(仮)!」
今度は前方に手を翳す。
ぼこりと足元に盛り上がった氷の塊が、辛うじて壁の体裁を保ってそこに立った。
まだ戦力として活用できるレベルでは無いが、それでも。
「ふむ。まあ、少しはましになってきたのう」
ベンチの上でジャオがあくびをしながら言う。その目はまだ半目だ。お世辞にも高い評価とは言えない。
もう一発——
コウが息を整えて構えを取り直した、その瞬間だった。
背筋を、冷たいものが走り抜けた。
恐怖ではない。
それよりずっと原始的な何か——皮膚の奥がざわざわとするような、生物としての警報。全身の毛が一斉に逆立ち、胃の底が冷え始める。上空から何かが、圧倒的な質量を持った何かが、こちらを照準に捉えていた。
空を見上げる暇もなかった。
天が、割れた。
眩い光の柱が一条、吸い込まれるようにコウ目がけて降り注ぐ。
「猫の額ッッ!!」
ジャオの絶叫。
刹那、小さなピラミッド型の光の結界がコウたちを包み込んだ。
バチィィィィ——ッ!!
骨まで響く轟音。大地が悲鳴を上げて揺れ、衝撃波が庭園の草木を薙ぎ払っていく。爆心地のような焦げた匂い。煙が晴れるのを待ちながら、コウはまだ震える膝に力を込めて——上空を見上げた。
そこに、女がいた。
全身から溢れ出す黄金のオーラ。恐らくは魔力なのだろうが、それはまるで後光のように女の輪郭を縁取り、空に燃える星のように輝いている。その背に広がる大きな白い翼が、ゆっくりと羽ばたくたびに光の粒が舞い散った。
あまりにも、非現実的な光景だった。
頭の中では警報が鳴り響いている。
逃げろと、隠れろと、膝をついて命乞いをしろと、あらゆる本能が絶叫している。なのに思考が溶けて、動けない。コウはただ口を半開きにしたまま、空に浮かぶその姿を茫然と見上げることしかできなかった。
女は静かに地面へと舞い降りた。
肩で揃えた白金の髪が、風にそよぐ。
吸い込まれるような、深い紫の瞳。
そして、理想をすべて詰め込んだような——美しすぎて、完璧すぎて、もはや現実の人間のものとは思えない彫刻めいた顔立ち。
その唇が、開く。
「おいおい、今の一撃を喰らってれば、痛みを感じる間もなく逝けたのに。あたしの慈悲を無駄にするんじゃねーよ」
脳が、一瞬フリーズした。
これだけ神々しい見た目をしておいて、その口から出てきた言葉があまりにもヤンキー丸出しで、コウの混乱した思考がバグりそうになる。しかしすぐに、その言葉の意味が遅れて染み込んできた。
——今の一撃を喰らってれば。
——逝けたのに。
「お前がコウとかいう魔人だろ? お前に恨みはねーんだが、頼まれちまってな。わりーけど死んでくれ」
女の紫の瞳が、静かにコウを捉える。そこに宿っているのは怒りでも憎しみでもなく——ただの、事務的な確認だった。それが余計に、恐ろしかった。
足が、動かない。
声が、出ない。
女と目が合った瞬間、コウの全身を何かが貫いた。恐怖という言葉では生ぬるい。この存在の前では、自分という生き物がどれほど矮小であるかを、細胞の一つ一つが理解してしまうような感覚。
格が、違う。
魔人となり、成長したコウが弾き出した魔力値。
120,768。
ジャオの言葉が思い出される。
『数字だけで見れば、お主より上の魔術師は人間では殆どおらんじゃろうな。魔女や魔人など上位の存在はまた別の話じゃが』
目の前の女は確実にその上位の存在。
多分——死ぬ。




