第20話 天上の華――1
「な、何だと……? 失敗、しただと?」
王都ガラの王宮。その奥まった応接室に、新王の低い声が落ちた。
重厚なオーク材の長机を挟み、この国の冒険者ギルドの長――ギルマスのシュバルツは、厚い胸板を縮めるようにして頭を垂れていた。天井の魔導灯が白い光を落とし、二人の表情を容赦なく照らし出している。
新王がその椅子の背もたれに深く体を預けたのは、動揺を隠す為だった。先代の王が長い闘病生活に終止符を打ち、その玉座を継いでからまだ十日も経っていない。慌ただしさの中、この極秘討伐こそが最初の懸案だった。
――Aランク魔術師たちを中心に、近隣諸国から大金をはたいて掻き集めた精鋭、百名。
この世界では魔力を扱う者は、剣士であれ魔法使いであれ、まとめて魔術師と呼ばれる。剣士もまた、魔力で肉体を強化して戦うからだ。つまりあの百名の冒険者たちは、あらゆる戦闘職から選び抜かれた猛者どもであり、王国軍一個師団にも匹敵する戦力だった。
それをたった一人で壊滅させたという、あの少年の姿が、脳裏にまざまざと蘇る。エデンの書簡を携えて王宮に現れたあの日のことを。あどけない顔の奥に、狂気の色を帯びた怒りの炎が揺れていた。
あれを思い出す度、背中に冷たい汗が滲む。
「……怪物、とのことです」
ギルマスが声を絞り出した。悔しさと恐怖が混ざり合った、苦い響きだった。
沈黙が応接室を満たす。
しかし王の思考は、すでに次の地点へと走り始めていた。
「……まずいな」
低く、独り言のように呟く。
「非常にまずいぞ。向こうは必ず、また難癖をつけてくる」
西半分の領土割譲。
前王がオルドリア女王エデンに差し向け続けた幾度もの暗殺未遂――その和解条件として突きつけられた、屈辱的な要求だった。今度も同じ要求が突きつけられるかもしれない。
――すなわち、またしても領土の割譲。
「し、しかし陛下、此度の討伐隊が王命によるものと、証明されたわけでは――」
「成功していれば、とぼけることもできた」
王はギルマスの言葉を静かに遮った。
「だが失敗した今、白状した者がいると言われれば、それで終わりだ。言い訳が通用するほど甘くはなかろう」
ギルマスが口を閉じる。反論の言葉は、どこにもなかった。
再び沈黙。
王は細く目を閉じ、何かを天秤にかけるように微動だにしなかった。選択肢はひとつしかない。あとは、覚悟の問題だ。
「……もうよい。下がれ。後はこちらで何とかする」
短く、しかし有無を言わせぬ声だった。
ギルマスは深々と一礼し、足音を殺して退室する。重い扉が閉まると、部屋には王ひとりが残された。
魔導灯の静かな光の中、王はゆっくりと息を吸い、そして吐いた。
「仕方がない」
誰に言うでもなく、静かに呟く。
「国の存続の為だ――尊い犠牲は、甘んじて受けよう」
◆◆◆
地獄のような死闘の翌朝。
頭が冷静さを取り戻したコウは、エデンに念波で昨夜の顛末を報告した。街道に打ち捨てられた冒険者たちの後始末をどうすべきか指示を仰ぐと、エデンは何でもないことのように城のスタッフたちの名を挙げ、淡々と処理を命じた。さすがのコウでも顔と名前が一致している連中だった。
朝食を終えると、コウは昨日の戦利品――神話級武器No.3グラキリスを手に、庭園の片隅に位置する工房へと向かった。興味を引かれたのか、ジャオがその背中を追って続く。
No.6レーヴァテインを魔改造して以来、久しぶりの作業だ。元・溶接工としての血が騒ぐ。
工房の扉を開けると、金属と油の混じった独特の匂いが鼻をついた。鉄床、加熱炉、壁に整然と並んだハンマーや鉄挟。使い込まれた道具たちが、じっと出番を待っている。コウは迷いなく加熱炉に火を入れた。
「珍しくイキイキしとるの」
机の上に飛び乗ったジャオが、尻尾をゆらりと揺らす。
「こういう仕事が好きなのか?」
「ああ。集中してると、時間があっという間に溶けてく。余計なことを考えなくていい」
グラキリスの鉄扇を加熱炉へ。
黒い金属の骨組みの間に、どす黒い血のような赤――ヒヒイロカネが鈍く光っている。熱が通っているのか、いないのか。コウはじっと、静かに見極めを待つ。
「レーヴァテインはメリケンにしたそうじゃの。そいつはどうするつもりじゃ?」
「……指輪にしようかと思って」
一般的な人たちよりも遅れてやってきた思春期。お洒落に目覚めつつあるコウは、服装だけでなく、指輪やネックレスも身につけたいという気持ちが芽生えていた。口にするのが、少し気恥ずかしい。
「指輪? そんなもので武器になるのか?」
老猫は至極真っ当な疑問を返す。コウのそんな気持ちに気づくわけもなく。
「ああ、多分な。あいつは俺に直接鉄扇を当てなくても、力を発動させてたから」
「……ふむ」
ジャオは加熱炉へ目を移し、少し間を置いてから口を開いた。
「なるほど。グラキリスは氷の国の神――永久凍土の支配者じゃった。打撃や斬撃を直接叩き込まねばその力が発動しないレーヴァテインやアングラ・マイニュと違って、奴はそこにおるだけで遠くまで氷地獄を展開していったからの」
「ふっ。まるで会ったことがあるような口ぶりだな」
「ふぉっふぉっ。ワシは輪廻転生の循環の中におる。数万年も昔からの。この姿になってからはまだ百年じゃが、エデンが生まれるよりも遥か昔から存在しておるのじゃよ」
コウは多分、本当なのだろうと受け止めた。
百年生きて喋る猫など、すでに常識の外だ。この数万年の間、何を見て、何を感じてきたのか。正義や悪の基準だって、時代によって何度も塗り替えられてきたはずだ。この時代の正義が、過去や未来においては悪になることだってある。
「信じるよ」
それだけ告げると、コウは再び加熱炉へ意識を戻した。
頃合いだ。
鉄扇を取り出し、鉄床へ置く。ハンマーを握り、振り下ろす。
カン、カン、カン。
金属音が工房に響いた。
数ヶ月ぶりの感触。やはり普通の鉄とは全く違う。硬いのに、粘りがある。黒い骨組みの金属を慎重に取り除き、どす黒い赤のヒヒイロカネだけを残していく。
カン、カン、カン。
鉄挟を器用に使いながら、少しずつ形を整えていく。自らの人差し指にぴったり収まるように。熱が冷めれば加熱炉へ戻し、また叩く。その繰り返し。無心になれる、コウにとって心地よい時間だった。
指輪の形が見えてきたところで、素材がまだ余っていることに気づいた。
――もう一つ、作れるな。
両手の人差し指に、二つの指輪。
コウは心の中でニヤリとした。
我ながら、なかなかカッコ良さそうだ。




