第18話 虚月死線――3
心を落ち着けるように、コウは一度大きく息を吸って。
吐き出そうとした瞬間——閃光が走った。
左腕が熱い。
燃えるように。
見ると、火傷のような真っ赤な痕。そこから黒い炎がか細く揺らめき、傷口を修復しようとしている——が、殆ど効いていない。
魔法か……?
今まで魔法使いとはまともにやり合ったことがない。遠距離から飛んでくる攻撃を、コウは止める手段を持っていなかった。
「おい、勝手に始めるなよ! まずは近接戦で痛めつけてからだ。怪我しても再生するらしいからな」
さっき声を掛けてきた男が後ろへ怒鳴りつける。リーダーなのだろうか。
コウは構えを取った。
数ヶ月、土人形を相手に鍛えた。落ち着け。戦えるはずだ。
剣と槍を構えた数名が前に出てくる。
使い込まれた装備。命を奪われた者たちの怨念が染み込んでいるかのような禍々しさ。
見えなかった。
腹の辺りが、熱い。
見ると、長槍が脇腹を貫いていた。
ドクドクと、血が溢れてくる。
ドクン。
コウの心臓が、一度だけ大きく跳ねた。
次の瞬間、バスタードソードを構えた大男が間合いを詰める。目にも止まらぬ速度の一撃が左肩に直撃し——バキッ、と鎖骨が砕けた。剣が肉に深くめり込む。血が噴水のように吹き上がり、大地を黒く染め上げる。
「終わりか? 呆気ねぇな」
腹に槍。左肩に剣。
二本の凶器を体に突き刺したまま硬直したコウへ、大男が呟く。
ドクン。
また、跳ねる。
心臓は、まだある。さっきの一撃はギリギリ届いていなかった。
こんなに痛いのは、初めてだった。
ガラニン王宮での衛兵の三撃は確かに致命傷のはずだった。しかし、あの時は瞬時に肉体が再生し、痛みは一瞬だった。
今は違う。
再生が、遅い。
燃えるような熱さと痛みで意識を失いそうなのに、失えない。
体が震えている。
動こうとするのに、動けない。
追撃が来る。
分かってる。でも体が——
ガッ。
膝が折れた。
足を薙ぎ払われた。地面が急に近くなる。体が傾く。支えようとした右手に、誰かの靴底が踏みつけられる。
「腱を切れ。動けなくなったら好きに料理できる」
「偉そうに指図すんな。俺には俺のやり方がある」
声が聞こえる。
遠い。
ザシュ。
右肩に走る激痛。腕が、動かない。
視界が揺れる。
落ち着け。
再生する。再生がある。
だが——
か細い。
黒い炎は揺らいでいる。今にも消えそうに。
傷が塞がる前に次が来る。塞がった端から斬られる。その繰り返しだった。
一人、二人なら対処できた。でも十人が、二十人が、それぞれ連携して弱ったところに追い打ちをかけてくる。
これは戦闘じゃねぇ。
嬲り殺しだ。
地面を転がるコウの髪を誰かが掴んで、顔を上に向けさせた。
その目は、笑っていた。
「おいおい、こんなんで大金を貰えるってか? ラッキーだったな、俺ら」
笑い声が上がる。
周囲を取り囲む男たちが、嗤っている。
その声が、ひどく遠くに聞こえた。
いてぇよ。
めちゃくちゃ、いてぇよ。
槍が腹に刺さったまま、剣が肩にめり込んだまま。体が勝手に震えている。痛みなのか、怒りなのか、もう分からない。
こいつら——殺す気だ。
本気で、殺す気だ。
分かってだろ! 最初から!!
胸の奥で何かが弾けた。
怒り、とは少し違う気がする。
それよりももっと醜くてどろどろした怨念のような何かが、腹の底から喉元まで突き上げてくる。
……許せねぇ。
ぜんぶ、許せねぇって。
痛みが、遠くなった。
震えが、止まった。
叫びは声にならなかった。
なる前に——コウの全身から、闇の炎が噴き上がっていた。
さっきとは、次元が違う。
全てを、何もかもを、灰も残さず焼き尽くす如き本物の地獄の業火。それがコウの輪郭を塗り潰すように、内側から外へと滲み出している。
髪を掴んでいた男の手が、弾き飛ばされた。
腹に刺さった槍が、肩に食い込んだ剣が、肉体再生の炎に押し出されて床へと落ちる。
さっきまでの笑い声が、消えた。
コウはゆっくりと立ち上がった。
瞳がゆらりと揺れた。
狂気の色に、塗り替えられていく。
誰も、動けなかった。
さっきまで嗤っていた男たちが、一様に押し黙っている。
「……生きてるってこういうことか」
誰に言うでもなく、呟く。
「めっちゃ生きてる気がするよ。どうしようもなく——生きてるぜ!!」
誰も意味が分からなかった。
頭のいかれた奴はいくらでも見てきた。でも、こいつは飛びぬけてる——。
コウは大地を蹴った。
目の前の男を自分の間合いへと引きずり込む。振り下ろされる剣を無視して、赤く輝く右の拳を叩き込む——『防御力無視』。迎え撃った剣が砕け散り、鎧を突き破り、拳が胴体にめり込んでいく。胸と口から血を吹き出しながら大男は崩れ落ちた。
背後から斬撃。
剣士が真一文字にコウの背を裂く。
黒い炎が瞬時に塞ぐ。
コウは振り返って、左の拳を顔面に叩き込んだ。
「!?」
剣士が頭を振る。
「視界がぼやけて、耳が遠くなったか?」
コウは笑う。悪魔のように。
「俺の右の拳は全てを破壊し、左の拳は全てを呪う。どっちの拳で殺されたい? 希望があるなら考慮してやるぞ」
男たちが半歩、後ずさる。
「……こいつは、マジでやべぇかもな」
リーダーが剣を構え直した。
「挟み撃ちだ。間合いに入るな」
包囲の輪が広がる。前後の二人が一歩だけ前に出た。
コウは笑っていた。
自分でも気づいていない。
黒い炎はますます勢いを増す。
歴戦の猛者たちは距離を保ちながら、巧みに斬り、貫いていく。血飛沫が舞う。コウの拳は虚しく空を切ることも多い。それでも、たまに当たる一発が武器を砕き、鎧を粉砕し、感覚を根こそぎ奪っていった。
少しずつ。
しかし、確実に。
場は血の匂いで満たされていく。
魔力には体力回復の効果もある。
無尽蔵に拳を振り回すコウに、疲労の色は一切ない。
対して冒険者たちは違う。
剣技がいくら優れていても、魔力の絶対値が違いすぎた。
精神的な疲弊が蓄積した者から順に、粉砕されていく。五感を完全に失い暗闇の中でもがく者、無慈悲な一撃で即死する者、四肢のどれかを欠損して中途半端に生き残ってしまった者。
屍が積み上がっていく。
すると今度は魔法使いたちが動き出した。
炎、雷撃、風の刃——次々とコウの肉体を破壊していく。
しかし、瞬時の再生。
いつの間にか絶望を感じ始めていたのは、攻撃している側だった。
「なんだ、こいつは! なんなんだよ、こいつは!!」
切り刻まれ、血飛沫を撒き散らし、それでも狂ったように笑いながら瞬時に肉体を再生させ、Aランク魔術師たちを殲滅していくその少年の姿に、心が、壊れ始めていく。
魔法使いたちの身体能力は高くない。
コウは一人、また一人と、確実に葬っていく。
戦闘不能者が半数を超えた頃、逃げ出す者が現れ始めた。軍隊ではない。腕利きとはいえ、寄せ集めだ。連携など最初から期待できない。
そんな中、じっと戦況を伺っていた一人の男が、静かに前に出てきた。
コウもその存在に気づく。
細身の男だった。
魔導士のような、それとも少し違うような軽装。
右手に、鉄扇。黒地に、赤。
コウはその血のような色に見覚えがあった。
——神の力を宿す武器。
「噂以上だよ、お前。マジでぶっ飛んでやがる」
男は鉄扇を構えた。
「でも、この神話級武器No.3グラキリス。これなら、お前にも通じるぜ、多分」




