第16話 虚月死線――1
ガラニン王国からの領土割譲は、粛々と大きな問題もなく円滑に進められた。
調印式でエデンは微笑みを絶やすことなく、これまでの度重なる暗殺未遂についても言及することもせず、終始和やかな雰囲気だったという。あくまで、エデンの話によれば、だが。
ともあれ、王都エデンだけの人口数万に過ぎなかったオルドリア王国は、この併合によって一気に百万を超える民を抱えることになった。ガラニンは小国とはいえ、所詮は一都市に過ぎなかったオルドリア王国からすれば、その規模は比べるべくもなく大きい。
城に戻ったエデンが最初にしたことは、研究室に立て篭もるエルゲを引きずり出すことだった。
「いやです! 一年かけた実験が佳境を迎えているのです!」
「佳境なのはこっちも同じよ。ほら、立って」
「一週間、いやせめて三日待って頂けませんか!?」
「三秒で準備しなさい」
ドタバタと荷物を掻き集めながらエルゲを引き連れ、エデンは新たな領土の視察へと旅立った。各地に魔法陣を構築するのが主目的らしいが、有能な人材のスカウトも兼ねているという。エデンの眼鏡に叶った者は、魔力納税義務から免除されるのだとか。
どれほどの街や村が広がっているのか、コウには見当もつかない。その全てを回ると言うのだから、帰還まで数か月はかかるだろう。
問題は、その間のことだった。
「分かってるわね、コウ」
出発の朝、エデンは転移魔法陣の前でコウに向き直った。
「城内を血で汚すことは厳禁。でも――」
一拍の間。
「わたしの不在を狙って、色々仕掛けてくる奴らが出てくるでしょうね。そいつらは君が全員、綺麗さっぱり始末しなさい」
「……了解。ただ、俺の戦い方だとどうしても血に塗れそうなんだが」
「そのためのジャオよ」
老猫は既に元の仕事――近隣諸国の偵察へと戻っていて、コウの魔術修業は特に卒業試験なども実施されずあっさり終わりを迎えていた。
「妙な動きを察知したら、すぐに知らせに来るように言ってあるわ。それでもどうしても手に余るようだったら――」
エデンは人差し指でこめかみをとんと叩いた。
「念波で呼びなさい」
念波。
魔女が自ら血を与えた魔人との間でのみ可能な、脳内で直接言葉を交わす術だ。コウは持ち前の不器用さを遺憾なく発揮して習得にひどく手間取ったが、どうにか使い物になるところまで仕上げることができていた。
どれほど離れていても届く。
逆に言えば、エデンはどこにいてもコウの頭の中に直接話しかけてこられるということでもある。それが少々気味悪いのは、まあ、慣れるしかない。お互い様だ。
「それじゃあ、行ってくるわ。はぁ、めんどくさ」
エルゲを引きずりながら、エデンはいつもの気怠そうな一言を残し、魔法陣の光の中へと消えた。
残されたのは、静まり返った城と、手持ち無沙汰なコウひとり。
修業という名のルーティンを失い、主人も不在。攻めてくる敵がいれば話は別だが、今この瞬間、コウには何もすることがなかった。
――さて。
数か月、どうやって暇を潰したものか。
コウは腕を組み、がらんとした廊下に立ち尽くしながら、ぼんやりとそんなことを考えていた。
◆◆◆
とある国の冒険者ギルドにて。
夕刻が近づくにつれ、ギルドの内部はざわめきを増していた。
依頼を終えた冒険者たちが続々と戻り、酒場を兼ねた広間にはもうもうと煙草の煙と料理の匂いが漂っている。壁一面に貼り出された依頼書は半分ほどが剥がされ、長テーブルでは武器の手入れをしながら武勇伝を語り合う声が飛び交っていた。
そんな雑然とした喧騒の中を、ヴォイドはいつものように颯爽と歩いていた。
山賊の殲滅。近くの山を根城にしていた連中の掃討依頼だったが、Aランク魔術師である彼にとっては造作もないことだった。これで百万ギル。数ヶ月は悠々と暮らしていけるだろう。
受付カウンターに近づくと、奥で書類を捌いていた受付嬢が顔を上げ、ぱっと笑顔を弾けさせた。
「あ、お疲れ様です、ヴォイドさん! 相変わらず仕事が早いですねー!」
「ふっ。あの程度の雑魚掃除であれば、鼻歌交じりの楽勝よ」
この地に流れ着いてからまだ一ヶ月も経っていないというのに、持ち前の軽さでヴォイドはすっかり空気に馴染んでいた。
「さっすがヴォイドさんです!」
受付嬢は手際よく金貨の詰まった袋をカウンターに滑らせながら、少しだけ声のトーンを落とした。
「あの、実は――今日はギルマスがお話ししたいことがあるみたいで。奥の執務室まで顔を出してもらえますか?」
袋を掴みながら、ヴォイドは片眉を持ち上げた。
「ギルマスが? 何か特別な依頼でもあるのかな」
「ですです! あたしは詳しいことは聞かされてないんですけど……」
受付嬢はカウンター越しにちょっと身を乗り出し、内緒話をするように声を潜めた。
「さっきからヴォイドさんみたいな強い冒険者の人たちが数人呼ばれてて。何か、すっごく大きな仕事があるっぽいですよ!」
その目がきらきらしている。本人が一番楽しんでいるのではないかという気がした。
「ふうん」
ヴォイドは袋を腰のベルトに引っ掛け、執務室のある奥の廊下へと視線を向けた。
「了解。じゃ、ちょっくら話を聞いてくるよ」
「はいっ、いってらっしゃいませ!」
元気のいい声を背中に受けながら、ヴォイドは人混みを縫って歩き出した。
◆◆◆
執務室は、広間の喧騒が嘘のように静かだった。
分厚い絨毯が足音を吸い込み、壁際の棚には分厚い台帳が整然と並んでいる。窓から差し込む西日が、テーブルの上にうっすらと埃っぽい光の帯を作っていた。
向かいに座っているのは、口髭を蓄えた中年の男だ。いかにも「管理職」といった丸みを帯びた体型で、指には何本か指輪が光っている。ギルドマスター――この組織の長である彼は、もったいぶった口調で切り出した。
「これは大っぴらには出来ない仕事でね。内密に頼みたいんだが」
「ほう」
ヴォイドは背もたれに体重を預け、足を組んだ。ギルドの長だからといって、冒険者より偉いわけではない。あくまで受付嬢たちの上司というだけの話だ。
「秘密は守るよ。んで?」
顎をしゃくって続きを促すと、ギルマスは少し咳払いをしてから口を開いた。
「ガラニンの話は聞いてるかね?」
「ああ。魔女の国に領土の半分を持ってかれたとか」
エデンの顔が脳裏をよぎる。その話を耳にした時は、「相変わらずやってんな、あの御方は」としか思わなかった。コウを魔人化したことで、いよいよ本格的に動き出したのだろう。
「そう。表向きは納得しているように見せかけているが、その実――彼らは怒り狂っていてね」
「まぁ、そりゃそうだろうね」
ガラニンはただでさえ、周辺諸国と比べて領土の小さな国だ。そんな貴重な領土を半分も持っていかれたとあれば、たまったものではないだろう。
「それで、密かにうちを含めた近隣諸国のギルドに声を掛けてきているんだよ」
ヴォイドは片眉を上げた。
「ん……? また暗殺? 止めときなよ。これまでに何人返り討ちになったと思ってるんだ」
ギルマスの口髭がもぞりと動き、感心したような顔になった。
「お、詳しいね。さすがヴォイド君」
詳しいも何も、当事者だ。ヴォイド自らが何十人も始末してきた。
「今回はね、ちょっと違うんだよ」
ギルマスは声をさらに落とし、テーブルに肘をついて前のめりになった。口髭の隙間から、どこか興奮した息が漏れている。
「エデンは新しい領土で色々やることがあるみたいで、今は不在にしているらしい。その留守を預かってる奴を仕留めよう、という話だ」
留守を預かる?
エルゲか? それとも――
「何でも、不死の魔人らしいんだ」
ギルマスは丸い指を組み合わせ、値踏みするようにヴォイドを見た。
「そいつを仕留めるために、AランクやBランク上位の冒険者をかき集めてる。どうだい、受けてみないか? 報酬も破格でね」
コウか。
胸の中で、静かにその名前が落ちた。
あいつに対して複雑な思いを抱えているのは事実だ。だが、エデンが運命とまで言ってのけた男だ。あの御方の計画を邪魔するつもりなど、毛頭ない。
ヴォイドはゆっくりと立ち上がり、上着の裾を払った。
「……団体行動は苦手でね。遠慮しとくよ」
「そうかい、残念だ」
ギルマスが残念そうに口髭を撫でるのを横目に、ヴォイドは踵を返す。
良い情報を掴んだ。教えてやりに行こうか? 城に戻る良い言い訳にもなる。
――いや。
その考えは、廊下に出る前にあっさりと捨てた。
ま、一人で何とかしてみろ。
本当にエデン様の運命の人であるなら。
口の端に薄く笑みを浮かべながら、ヴォイドは雑踏の広間へと戻っていった。




