第14話 善悪一如――2
ダン!!
王子の拳が円卓を激しく叩きつけた。
「ふざけるな!! そんな要求を呑めるとでも思っているのか!? いくら強大な力を持っているとはいえ、たかが一人の魔女。本気の軍勢を差し向けて、こちらが貴様の国を併合してくれるわ!!」
激高する王子を、年配の大臣が静かに制した。しかしその目は冷静で、じろっとコウに鋭い視線を向けてくる。
「確かに陛下のお戯れも度を過ぎた点はございました。最初に吹っ掛けて、落としどころを探っていくいつもの交渉事でしょう」
それから、値踏みするような目でコウを見た。
「とはいえ、こんな子供にそのような高度な駆け引きなど望むべくもないかと思うが……。君、エデンから何と言われてきた?」
「文句を言ってきたら暴れてもいいと。あと、舐められるなって」
沈黙が落ちた。
王子たちはポカンと口を開け、やがて互いに顔を見合わせ、やれやれと首を振った。
「本当にどうしようもないな。最初から交渉する気などないということか」
「君も君だぞ。あんな極悪な魔女に従っていて、恥ずかしくないのか?」
極悪。
自分を軽く見るのは構わない。そういう扱いには慣れている。しかし、先ほどからエデンを軽んじる言葉だけは、何故か許しがたかった。
「極悪……? 私利私欲で不老の力を欲して、エデンの首を性懲りもなく何度も狙いに来るあんたらの王の方がよっぽど極悪じゃないのか?」
珍しく、挑発的な口調が出た。
「はぁ……」
大臣は深くため息をついた。子供を諭すような、静かな声で続ける。
「私利私欲とは恐れ入る。正義の為だよ、君。魔女の血など副産物にすぎない」
少し間を置いてから、大臣はコウの目を真っすぐに見た。
「君もあの国に住んでいるなら、分かっているだろう? 表向きは魔力を税として徴収する。その結果があのような悲劇を招いた。あの街を見て、何も思わなかったのか?」
「どういうことだ? 静かで、人々も穏やか。落ち着いて暮らすには最高の街だ」
「あそこの住民はもはや人間ではない」
大臣の声が、低くなった。
「魔力と共に強い感情まで吸収され、歪に均一化された——人形のような何かだ。この街を見てみろ。この活気を。これこそが本来の人間の在り方だ」
……そういうことだったのか。
エデンに聞きそびれた「余計なもの」とは——人間の強い感情のことだったのか。
強い感情を、吸収する。
怒りも、悲しみも、エデンに吸い取られて生きている。あの穏やかな笑顔も、あの静かな街並みも、全てそういうことなのか。
平和な街だと思った。
だが果たして本当に、そうなのだろうか。
目の前の男たちが本当のことを言っているとは限らない。敵国の人間だ。しかし、すとんと腹落ちしてしまう自分がいた。
だが——それが完全に悪いことのようにも、コウには思えなかった。犯罪もない、搾取もない。多少の感情を犠牲にしたとしても、それを選ぶ人間だって多いはずだ。
正解が、どこにあるのか分からず、コウは沈黙を続けた。
「分かったら、とっとと帰りたまえ。交渉決裂だ」
王子の声は落ち着いていた。それがかえって、底冷えするような凄みを持っていた。
「これ以上、調子に乗るようなら本気で相手をしてやるぞ。泣いて、土下座しても許されないほど徹底的にお仕置きしてやると——そう伝えなさい」
ジャオがコウの肩の上で小さく息を吐いた。外交としては、完全な決裂だ。
右の大臣もまた王子に同調するかのように、ため息交じりで口を開く。
「いや、こんな頭の悪い要求をしてくるイカレ魔女です。猿を相手にしていると思った方がいいかもしれません。言葉だけでは通じない可能性が高いかと」
そして、コウを一瞥して、続けた。
「この小僧の首を切り落として、叩きつけることくらいは必要かもしれん」
本気かどうかは、分からない。ただ、控える衛兵にとっては本気だった時の為に、動いておかねばならない。コウの背後で、鞘から抜き放たれた剣の金属音が鳴った。
コウは振り返らなかった。ただ、円卓に置いていた拳を、ゆっくりと握り締める。
ダン!!
衝撃がテーブルを貫いた。
木製の天板の一角が木っ端みじんに粉砕され、破片が弧を描いて床に散る。
しかし、この机は人間の拳で叩き割れるような代物では、断じてなかった。
「少し黙れ」
低く沈んだ声だった。室内の空気が一瞬、凝固する。
「今、色々考えているところだ」
唖然としていた一同は、しばらくその場に縫い留められたように動けなかった。
やがて、我に返った大臣たちが甲高い声で喚き散らす。
「き、貴様! このテーブルがどれだけ貴重なものか分かってるのか!? 貴様ごときが一生働いたところで、とても弁償できる額ではないぞ!!」
「野蛮な猿女の従者が何か考えたところで、猿並みの結論しか出せまい。それより、これ以上暴れられたら被害が増える」
視線が、剣を手にした騎士へ向く。
「おい、首を斬り落とせ!」
迷いがなかった。
騎士は即座に動いた。
一閃。
狙いはコウの首筋。研ぎ澄まされた刃が空気を裂く。
ジャオがその一瞬前にコウの肩から跳び離れる。
ビシャッ。
血飛沫が舞った。
剣は、コウの首の半分ほどまでめり込んでいた。
しかし、それだけだった。
コウは何事も無かったかのように、その場に座り続けている。
ゆらりと黒い炎が体表に揺らぐ。
まるで、傷口が熱を帯びているかのように。
コウは自分の首に食い込んだ剣を、片手で力任せに引き抜いた。
騎士が硬直した。
引き抜かれた刃に、確かな手応えがあった。致命傷を与えたはずだった。
なのに——目の前の男は振り返って、静かに騎士を見つめている。
みるみるうちに、首の傷が塞がっていく。
「こんなにあっさり俺を殺そうとしてくる、お前たちの方が極悪だろう、どう考えても」
瞳の奥に、狂気の色が灯っていた。
騎士が半歩退く。コウはゆっくり立ち上がる。そして赤く輝く右拳を、騎士の腹に叩き込んだ。
ガシャン。
金属が砕ける音が部屋中に響いた。騎士は吹き飛ばされ、壁際で動かなくなる。砕けた鎧の下は、すでに血と肉でぐちゃぐちゃだった。起き上がれる気配はない。恐らく即死だろう。
「き、貴様!! おい——殺せ!! 殺せ!!」
王子が半狂乱で怒鳴りつける。
広い会議室だが、何人もの人間が立ち回るには、少々手狭だ。それでも二名の騎士が同時にコウへ斬りかかった。一人は首、もう一人は胸——無駄のない連携だった。正確に、狙い通りに振り抜かれた剣がコウを斬り裂く。確実に仕留めた感触があった。
一瞬遅れて、再び血飛沫が舞う。
返り血を浴びた騎士たちの目が、驚愕に見開かれた。
コウは、平然と立っている。
黒い炎が傷口を包み込み、裂けた肉がみるみる塞がっていく。それはまるで、傷ついたことすら無かったかのようだった。
「いてぇ……。剣で斬られるとこんなにいてぇんだな」
呟く声は、静かだった。
だがその瞳の闇は、さっきよりずっと深くなっていた。
「ひっ」
騎士たちが後ずさる。本能が、前に出ることを拒否していた。
コウは構わず、二撃。一人の顔面の下半分が消し飛び、もう一人の顔面は完全に粉砕した。
「な……なんだ、こいつは!?」
残った兵士たちは、完全に戦意を失っていた。
向かってこないなら、相手をする必要はない。
コウは席へ戻り、破壊したテーブルの残骸に腕を乗せた。
ただいま激闘を終えてきましたとでも言うかのような、落ち着き払った顔で対面の王子たちを見据える。
「エデンの街の人たちが生きた人形なのかどうかは、後でゆっくり考える。すぐに結論が出せそうな話でもないし」
一拍置いて、続けた。
「で、どうするんだ。エデンの要求を呑むのか、呑まないのか」
誰も口を開かなかった。
コウは静かに首を傾げる。
「もっと暴れた方がいいか? お前らは今すぐ結論を出せよ。エデンのこと好き放題侮辱してたよな? 自分でも何故だか分からんけど許せねぇんだ、お前らのこと」
コウは干からびた心に何かが満ちていくような、不思議な感覚を覚えていた。




