第11話 魔女立国――2
猫がいる。
文字通り、首根っこを掴まれた状態で、コウの目の前に差し出されている。
「ふん。お主が魔人か。死んだ魚のような目をしとるのう」
猫が喋った。
マッドサイエンティストの検査に一日中付き合わされた翌朝、城の食堂でサンドイッチを頬張っていたコウが紹介されたのは、茶トラで可愛げのない、喋る猫だった。
「紹介するわ、コウ。この猫はジャオ。わたしの使い魔よ。君の魔術の師匠になるから仲良くやってね」
「エルゲからある程度話は聞いておる。魔力は膨大だが、センスは無さそうじゃとな。ワシがみっちり鍛えてやるから覚悟しておけ」
エデンの指に首根っこをつままれ、だらしなく体が伸びきった状態のまま、猫が偉そうに言ってのける。まるで緊張感がなかった。
——というか、センスが無い、か。
柔和な笑顔のくせして、エルゲも結構辛辣なことを言うものだ。自分より三倍以上もの魔力を内包していると知って、面白くないのかもしれない。
「ところで、ヴォイドはどうしたのじゃ? 久しぶりに戻ったのじゃから、挨拶くらいはしておきたいんじゃが」
ジャオがそう問うと、エデンは困ったように苦笑いを浮かべた。
「ちょっと家出しちゃってるみたい。でも、そのうち戻ってくるでしょ。あいつはわたしの鎖で縛られてるから」
「そうか。奴はああ見えて頑固なとこもあるからのう。ワシの生きてる間にまた顔を見ることが出来れば良いのじゃが」
寿命が近いのだろうか。口調や物言いからすると老猫のようだが、見た目で猫の年齢を推測できるほどコウは猫に馴染みがない。
「小僧! 言うたようにワシには時間がない。さっさと飯を食って中庭まで来い。先に行って待っとるぞ!」
そう言うとジャオはエデンの手を振り切り、地面にひょいと降り立つ。そして、そのまま窓の外へと消えていった。身のこなしは、やけに軽い。
「今の猫、もうすぐ死ぬの?」
「そんなわけないでしょ」
エデンは呆れたように苦笑した。
「まだあと百年くらいは生きるんじゃないの? まだ折り返し地点くらいだよ」
そして、窓の外に向けて手をひらひらと振ると、そのまま食堂を後にした。
コウはしばらく、ジャオが消えた窓の外を眺めていた。
折り返し地点。ということは、今が百歳くらいということか。
一般的な猫の寿命がいくつなのか知らないが、それがとんでもない数字であることだけは分かった。
同時にとんでもない猫であろうということも。
◆◆◆
「かーっ。本当にダメダメじゃな、お主は……」
猫に呆れられた。
とりあえずやってみろと言われた通りにやってみたが、上手くいかなかった。魔力を全身に漲らせ、その身を纏う——コウの体のあちこちに影のような黒いオーラが滲み出てはいるものの、一時間ほど丁寧に指導を受けた末での結果がこれだった。お手本として見せてくれたジャオが瞬時に白く輝く光に全身を包んで見せたのとは、比べるのも憚られるほどだった。
「それだけの魔力を内包しとるのに、糞詰まり状態じゃ。便秘なのか、お主は?」
そう言われても、コツが掴めないのだからどうしようもない。剛速球を投げる肩は持っているのに、投手としてのセンスが壊滅的——エルゲが言っていたのは、いやエルゲの言ったことを野球にかみ砕いて解釈したのは自分だが、それはこういうことか。
「魔力を操作できれば、肉体の強度も上がるし、魔法耐性も上がる。才能に恵まれておれば、魔法に変換して出力も出来るのじゃが……お主にそこまで望むのは酷かもしれんの」
最後の一言が、心にぐさりと刺さった。
その後もひたすら魔力を全身に纏う訓練を続け、腹も空き始めた頃、エデンがやってきた。
「二人ともお疲れ。午前の修業は終了。お昼食べたらコウには格闘訓練をさせるから、ジャオの仕事は今日はここまで。また明日も朝から宜しくね」
「なんじゃ、今日はもう終わりか」
ジャオはコウに向き直ると、二本足でビシッと立ち上がり、その小さな前足でコウを指差した。
「小僧、寝る前に復習しておくのじゃぞ」
それだけ言い残すと、どこかへと立ち去っていった。
◆◆◆
食堂で城のスタッフたちと共に昼飯を食べた後——と言っても、同じ時間に同じスペースで何人かが同席していただけで、会話はせずぼっちだったのだが——コウはエデンに指示された中庭の隅へと移動した。
既に到着していたエデンの横には、遠目には人間と見紛うほど精巧な土人形が立っていた。ヴォイドの土人形とは、明らかに出来が違う。
「ふふん。ヴォイドの精製する土人形とは見た目からして質が違うでしょ?」
「確かに……。また誰か紹介されるのかと思った」
「まぁ、君を指導できるくらいの腕を持ったコたちは何人かいるけど、仕事があるからね。しばらくは土人形に教わってちょうだい。これに勝てるくらいまで強くなれば戦場にも連れていけるかな」
ヴォイドの土人形に一ヶ月みっちり修業をつけてもらって、格闘技にはある程度自信を持ち始めていた。しかしつい先日の先輩との対決では全く歯が立たなかった。土人形と鍛錬を積んだところで、果たして生身の人間相手に本当に通用するのか——そんな疑問が頭をよぎる。
「ヴォイドの作ったやつより軽く十倍以上は強いよ」
一目見れば分かる。確かにそれはその通りなのだろう。
そして、予想通りに手も足も出ず、コウはボコボコにされたのだった。
次の日も、その次の日も鍛錬は続いた。午前中は猫から魔術を叩き込まれ、午後は土人形に格闘術を叩き込まれる。一日も休むことなく、ひたすら修業に汗を流した。
そして、一ヶ月が経った頃。
その間、殆ど姿を見かけることもなく忙しそうにしていたエデンが、ついに動いた。
今まで「エデンの街」あるいは「魔女の街」として周囲に認識され、国家というよりは小規模な独立都市のような位置づけに過ぎなかったその支配地を——エデンは近隣諸国に対し、高らかに宣言したのだった。
「オルドリア王国」の誕生を。
魔女が、国を興した。
大陸の勢力図が、音を立てて塗り替わる瞬間だった。




