34話 追放
――剥奪。
それは、白銀の栄光に生きていた少年から、世界の境界をすべて毟り取る冷酷な儀式だった。
故郷の村を襲った不具合の泥は、クレイオス総帥が率いる漂白部隊の冷徹な術式によって、跡形もなく消滅させられた。
だが、その冷徹な世界の理が、今まさにすべてを無へと漂白する、その直前。
クレイオスは、泥に呑まれゆくレナへその指先を向け、エルヴィンの肌着の奥から引き摺り出した銀色の大きな銀の首飾りへと、彼女の歪みゆく命の残滓を強引に『記述』し、封印した。
世界の秩序にのみ従うならば、不具合に侵されたものは塵一つ残さず消し去るのが掟だった。
おそらくこの封印は、総帥の理を捻じ曲げてでも、愛弟子の「すべてを捨ててでも救いたい」という狂おしい執着を、その思い出ごと首飾りの檻へ閉じ込める、彼なりの最大級の――そして、あまりにも歪な優しさだった。
しかし、冷たい雨の泥濘に這いつくばる少年に、その深意が届くはずもなかった。
「持っていきなさい。それが、君の罪だ」
総帥の手から冷酷に投げ捨てられたその首飾りを、エルヴィンは泥塗りの左手で、奪われたレナの温もりを必死に手繰り寄せるように、千切れんばかりの力で強く、強く抱きしめた。
彼にとってそれは、師による無慈悲な略奪であり、一生消えない呪いの枷に他ならなかった。
エルヴィンの右腕からは、強制的に展開をした黒鉄の鉄手甲を通してドク、ドクと歪な脈動を繰り返す、粘着質な不具合の痕跡がベタリとへばりついている。
普通の人間ならば、意味の抜け殻として即座に処理されるべき異物。
それを、総帥の独善的な『記述』により、魔力糖の熱量で無理やり生かされている少年の肉体。
動かぬ彼の内側で、私は世界の綻びを肌で受信しながら、すれ違う二人のあまりにも痛ましい理の行方を見つめていた。
「総帥の命令を拒絶し、世界の秩序を汚した異物をその身に宿した。……エルヴィン。君はもう、無瑕の騎士ではない」
それは、彼がこれまで懸命に積み上げてきた、完璧な無瑕の英雄としての完全な死を意味していた。
胸の奥が、張り裂けんばかりに痛い。
エルヴィンの心臓は焦燥の熱で脈打っているが、彼の唇は固く結ばれたまま、一切の弁明を拒んでいた。
無口な彼の諦念。
師を裏切り、世界の理に牙を剥いた報いがこの絶望であるならば、彼はそれを受け入れる覚悟だったのだ。
だが、クレイオスの瞳に宿る銀色の光は、ただの処刑人のそれではない。
彼は、ボロボロの姿で泥濘に跪くエルヴィンを見下ろし、慈しむような、しかし、底知れぬ偏執的な声を落とした。
「私の目の届かない所へと行きなさい。君の完璧への執着は、これよりその首飾りへと注がれるであろう」
クレイオスは、黒鉄の鉄手甲から溢れる青い呪いに狂いそうなエルヴィンの前に、濁った一粒の結晶を落とした。
泥を弾く銀色の包み紙。
「それを奥歯で噛み砕け。それは己の命を削り、自意識をこの世界に繋ぎ止めるための硬質な代償、魔力糖だ。お前がその不浄の右腕で彼女を繋ぎ止めたいと願うなら、この猛毒を噛み砕き、世界の理から漏れ出る世界の不具合――喪をその銀の檻に食わせ続けろ」
エルヴィンの荒い呼吸が、一瞬だけ止まる。
世界の不具合に感染したものを漂白し、消去するのが騎士団の掟。
ならば何故、クレイオスはそれを生かすための劇薬を与えるのか。
「……何故、俺を、消さないんですか」
初めて漏れたエルヴィンの掠れた問いに、彼は風に吹かれても揺らがぬ外套を翻し、冷徹に微笑んだ。
「お前は私が育て上げた、無瑕の騎士であり最高傑作だ。世界の不具合ごときに、お前という存在をただの感染者として漂白されることなど、この私が許さない。泥を啜ってでも、生き延びろ。お前がその首飾りに泥を食わせ、延命の拷問に耐え抜いたその先で――私が必ず、お前たちを正しく救済しにいく」
追放。
それは、死よりも残虐な、世界の理からの完全な断絶。
エルヴィンは、白銀の騎士団からその存在を完全に抹消された。
エルヴィン、ごめんなさい。
私は、彼の内側で、ただ奪われていく彼の栄光の残香を惜しみながら、涙を流すことしかできなかった。




