29話 報せ
騎士団本部、総帥の執務室。
硝子障から差し込む陽光は、あまりにも均質で、冷徹な静寂に満ちていた。
エルヴィンの肉体は、直立不動のまま、机の向こうに佇む男を見つめていた。
純白の軍装を隙なく纏った絶対の師――クレイオス・バルトフェルト。
「――故郷の村の、周辺区域に世界の不具合が湧いた、ですか」
少年の喉から漏れたのは、必死に平静を装う、しかし微かに震える声だった。
その瞬間、エルヴィンの胸の奥底で、ドク、と心臓が跳ね上がるのを、内側に潜む私は確かに受信していた。
脳裏をよぎるのは、あの泥の中に半身を沈めた、愛しい幼馴染の姿。
「そうだ。すでに調停部隊を向かわせている。世界の理に従い、迅速に、効率的に処理される。君が案じる必要はない」
クレイオスの静謐な声が響く。
その銀色の瞳には、若き愛弟子を世界の不具合から遠ざけ、守ろうとする冷徹な惜念が宿っていた。だが、エルヴィンの肉体の内側にいる私には、それが別の恐怖として響いてしまう。
処理される。あの時に見たように、記憶も命も、ただの数字として漂白される。
エルヴィンの指先が、感情の激しい揺れによって微かに強張った。彼は無意識に、インナーの間に隠された銀色の大きな首飾りを、服の上から痛いほど強く握りしめる。
「……なら、私を、その調停部隊に。私の『無瑕の輪環』であれば、きっと」
「いいや、エルヴィン。今回の任務から、君を外す」
遮るようなクレイオスの平坦な一言が、エルの思考を凍りつかせた。
「なぜ、ですか……! 私の故郷です。私なら、誰よりも速く不具合を断滅できます!」
初めて、まっすぐな少年の声に、剥き出しの焦燥が混ざる。
クレイオスはただ、愛しき最高傑作を見つめ、静かに首を横に振った。
「これは総帥としての決定だ。君は次なる任務に備え、この街で待機していなさい」
「……っ」
部屋を出るエルヴィンの足取りは、先ほどまでの軽やかさを失い、ひどく重かった。
廊下の隅、少年の内側で、二つの感情が激しくせめぎ合い、彼の魂を引き裂こうとしていた。
師の命令は絶対。騎士団において、総帥の言葉を無視することは、絶対的な軍律の破棄――すなわち、許されざる『違反』を意味する。
まっすぐで、期待されてきた彼だからこそ、その掟の重さは誰よりも理解していた。
――けれど。
ドク、ドク、と、胸の奥で心臓が狂ったように警鐘を鳴らす。
もしこのままここに留まれば、あの温かな故郷の村が、冷徹な掟によって無に帰してしまう。
止められない。
たとえすべての栄光を失おうとも、騎士の衣を剥がされようとも、あの命を見捨てることだけは、彼の内なる慈しみが絶対に許さなかった。
少年の瞳が、決意の灰色へと深く沈む。
エルヴィンはクレイオスの部屋の方角を一瞬だけ振り返り、それから、深く息を吐いて、雨の降り始めた路地へとまっすぐに歩き出した。
それが、破滅へと至る最初の『掟破り』である事を私は知っている。
エルヴィン、あなたは故郷の村に行ってしまう。
ああ、そうか……そして、あの光景に至るのだ。




