12話 余白の残響
酒場の灯火が遠ざかってから、丸一日が過ぎた。
下層街の縁、かつては何かの施設であったであろう廃墟の瓦礫に、俺たちは身を潜めている。
灰の雨が止んだ昼間、陽光がすべてを塗り潰そうと降り注ぐ中を、俺たちは息を潜めて歩き続けた。焼けるような鉄手甲の痺れを無視して、ただひたすらに。
そして再び、夜の帳が下りる。
空はどこか薄く、まるで墨を溶かした後の滲みのように頼りない。
俺は煤けた床に腰を下ろし、軍刀の柄を握り直す。
鉄手甲から伝わるのは、右腕を焼き焦がすような痺れだ。
この熱が冷める暇などない。
俺が世界の不具合をその身に吸着し、引き受けなければ、街はすぐに漂白の虚無に呑まれる。
俺は隣に座るセリスの横顔を盗み見た。
あいつは震える指先で、自身の黒き長外套の襟を固く合わせている。
記述の代償として削り取られた存在の軽さが、痛いほど伝わってくる。
元司書として纏っていたはずの落ち着きは霧散し、今のあいつは、今にも崩れ落ちそうな硝子細工のようだ。
右頬には、煤だけでなく、血管が浮き出るような薄い痣が浮かんでいる。
あれはあいつが自らの魂を切り売りし、俺という不具合をこの世界に無理やり繋ぎ止めている代償だ。
俺と目が合うと、セリスは無理をして微笑んだ。
だが、その口元は微かに痙攣し、光を透かして輪郭が霧散しそうだ。
その繊細な指先が、布地を握りしめるたびに、まるで世界の一部が欠けていくように影が揺らぐ。
「……無理はするな。まだ魔力糖の残りはある。今日はここで休もう」
「大丈夫、エルヴィン。リリィさんから託されたこの本に書かれている、澱を濾過した結晶さえ確保できれば、すぐに今よりも安全な魔力糖を造れるはずよ。……あなたを、これ以上摩耗させたくないから」
セリスの本をめくる音が、夜の静寂に酷く空虚に響く。
俺を生かすために、この女は自分を削り取っている。その事実が、俺の胸を針で刺すように痛ませる。
それでも、叶えたい事がある。
俺はまたあいつに会いたいんだ。
ふと、セリスの視線が俺の腰の軍刀に留まった。
鞘の意匠――かつて授けられた軍刀の紋章を、セリスはためらいがちに、その歴史を確かめるかのように瞳でなぞる。
「……エルヴィン、この紋章。騎士団の記録で見たことがあるわ。確か、バルトフェルト家のものね。……どうして、あなたがこれを?」
俺は息を呑む。あいつの鋭い問いに、軍刀の冷たい金属が胸を突く。
俺は鞘ごと乱暴に背負い直す。
「……今は考えるな。今はただ、素材の確保が先だ」
「答えて。あなたは、指南役と……」
「うるさい」
突き放すような言葉。
だが、クレイオスの影が、俺の過去を剥がそうとしているこの事実を認めるわけにはいかない。
街の向こうで、何かが崩れる音がした。
影が、すぐそこまで伸びてきている。




