18.そして王子は決意する
バルドの口元は緩んでいた。
その手には、マリエラが刺繍してくれたハンカチが握られている。
(マリエラ……なんてかわいいんだ。今まであった女たちとは全然違う。まるで天使みたいだ)
バルドの脳裏には、先日の茶会での一コマが蘇っていた。
『男の方と二人きりでお会いするのは慣れていないのです。その……恥ずかしくてどうしたらいいのかわからなくなってしまって』
あの時のマリエラの表情といったら――。
バルドはマリエラのその時の様子を思い出して、顔をさらに緩ませた。
あの恥じらいを浮かべた、少し困ったように下がった眉すらかわいい。もちろん胸が大きいのもポイントは高い。ついつい目が行ってしまうのは、それは仕方がない。
でもマリエラは、何よりもその可憐でまだ幼い少女のような少し頼りない感じがたまらなくかわいらしいのだ。
バルドは幸せなため息をついた。
が、ひとつだけバルドには不満があった。それはもちろん、逢瀬のたびにダリアが同席することである。
恥じらいから同世代の少女が同席してくれると安心して楽しめるのだろうとは理解しているが、やはりできることなら二人きりがいい。二人きりとはいっても、そばにメイドや衛兵はいつのだから間違いが起きるという心配はないのだし。
それがマリエラのかわいらしさでもあるのだが、なんとかして二人きりで会える方法はないかとずっと考えていた。
実のところ、バルドは別にダリアのことを嫌っているわけではない。ただなんとなく、ダリアといるとまるで教師と一緒にいるような気分になるのだ。失敗するたびにこっぴどく叱られるような、威圧感というか重圧というか。
それがなんだか腹立たしいというか、うとましいというか、もやもやするというか。
(ダリアだってよく見れば、そう悪くはないんだがな。確かに大人びてはいるが、たまにふと見せる微笑んだ顔なんかは割とかわいかったりもするし。あれであの威圧感さえなければ、まだ……)
ふと気が付けばなぜかダリアのことを考えている自分に気付き、バルドは頭を振った。
自分には、マリエラがいる。あの天使が。
ダリアが自分の周りをうろつくようになったのは、二年ほど前からだ。
小さい頃から王妃に気に入られていたせいもあって、ダリアは王宮によく出入りしていた。母は娘が欲しいとよく言っていたから、娘みたいな感覚で目をかけているのだろう。
その関係で、ダリアとは話をする機会もまあまあありはしたのだが。
(しかし最近のあの黒い衣装は、なんとかならないもんか。ダリアのおかげで黒いものが近づいてくると、発作的に身構えるようになってしまった。昔はもっと明るい色の服を着ていた気がするんだが……)
気が付けば、ダリアは自分のお目付け役みたいなことをし始めていつも監視されているようになった。陰で悪役令嬢などと呼ばれていることも知っている。バルドは、それがなんだかおもしろくない。
自分の素行を王も王妃も、そして重鎮たちも良く思っていないことは知っている。
だが、羽を伸ばせるのは今だけだ。少しくらい若いうちに羽目を外したっていいじゃないか。どうせそのうちにガチガチに拘束されて、政務に追われるようになるのだから――。
王子としては不謹慎かもしれないが、国をしょって立つのが自分だということは重々承知している。それは自分にとって、荷が重いものであることも。
(でもだからといって、急に優秀な人格者になれるわけでもなし。自分なりにやっていくしかないだろう)
バルドはバルドなりに、国の行く末を考えていた。あくまで、バルドなりにではあったが。
とにもかくにも、バルドにとって今一番の関心事はマリエラのことだ。
まずはマリエラとの時間をもっと増やすには、マリエラに自分と過ごすことに一日も早く慣れてもらって、二人きりで会えるようにしたい。
そのためには――。
王子は、決意していた。マリエラに、素直な気持ち打ち明けようと。
もちろん今すぐにではない。二人で会うことにすら恥じらうくらいだ。焦って距離を詰めすぎては嫌われてしまうかもしれない。
でも、やはりここは外堀を埋めておきたい。
つまり、婚約である。正式な婚約でなくても、婚約者候補として明らかにするだけでいい。そうすれば、マリエラは他の令嬢たちとは一線を画した特別な存在になるのだから。
バルドは鼻息荒く、決意していた。
一刻も早く、国王と王妃のもとへ行きマリエラとの婚約を望んでいることを伝えなければならない。もし他の貴族にマリエラの素晴らしさが気づかれてしまったら、横からかっさわれかねない。それだけは絶対に阻止しなければ。
バルドは気が付いていない。
マリエラの可憐さが、周到に計算された作られたものであることを。
笑顔の角度から微笑むタイミング、声色さえ、そのすべてが演技であることを。
孤児としてたくましく生き抜いてきたマリエラのしたたかさにバルドが気づくには、あまりにもバルドは単純すぎたし、経験もなさ過ぎたのだった。




