第1話_俺が書いた告白
「一緒に帰るだけじゃ、もう足りない。律、私の彼氏になって」
その告白の台詞なら、俺が一番よく知っていた。
昨夜、俺が書いたからだ。
放課後の教室で、橘美緒が俺の返事を待っている。
小学校から見慣れた顔だ。なのに今日は、どこを見ればいいのか分からなかった。
「……それ、台本の」
「うん。借りた」
美緒は少し笑って、耳にかかった髪を払った。
「でも、律に言ってる」
窓際で、文化祭のプリントをまとめていた瀬戸が手を止めた。
こっちを見ている。見られたくなかった。でも、美緒の言葉を聞き落とす方が嫌で、そちらへ顔を戻した。
来月の出し物に使う、短い朗読劇。
美緒が演じる女の子の告白を、俺は昨日まで三回も書き直していた。最初の案は長すぎる、二つ目は恥ずかしい。そう言われて、今の一文にした。
俺には言わないことを、せめて俺の書いた言葉で言ってほしかった。
そんな情けない下心まであった。
だから、これは練習だと思えばいい。
何なら次に、美緒がどんな顔をするよう台本へ書いたかも覚えている。
けれど、紙を持っていなかった。
美緒は俺を見ている。口元だけじゃなく、目も。
「練習じゃなくて?」
「違うよ」
自分で書いた台詞だと知っているのに、信じたい。
好きな子が俺に言うために選んだのなら、それでもいいと思ってしまった。
「俺も」
声が裏返って、咳をしてから言い直した。
「俺も、美緒が好きだ。だから、その……よろしく」
握っていた鞄の持ち手を、ようやく緩めた。
美緒が目を丸くする。驚いた顔まで見て、少し嬉しくなった。
先に笑ったのは瀬戸だった。
「待って。そこまで返すのは聞いてない」
美緒がそちらを見た。
口を押さえた指の隙間から、短い笑いが漏れた。
「ごめん、律。嘘告。あの台詞、本人に言ったらどうなるかなって」
「……ああ」
瀬戸が机へ寄ってくる。
「書いた本人なのに引っかかるんだな。いや、いい反応だったけど」
さっき緩めた指に、力が戻った。
鞄の硬い縫い目が手のひらへ食い込む。
「本気にすると思わなくて」
美緒が笑いを収めながら言う。
違う。
本気かどうか、俺は聞いた。
けれど今それを言ったら、余計に必死だったと分かる。もう十分分かられているのに、まだ隠したかった。
よろしく、まで言わなくてよかった。
好きだ、だけでも。
いや、何も言わなければ。
さっきの俺の声を、俺だけが何度も聞いていた。
「なあ、最後、男の方も今みたいに素直な返事でよくない?」
瀬戸が、机に広げた原稿を指す。
「そっちの方が自然だったし。直せる?」
紙の上の男は、まだ返事をしていない。
昨夜そこを書きながら悩んだことが、急にひどく馬鹿らしくなった。
「今日は、無理」
「今日じゃなくても。金曜までなら」
瀬戸は締切の話だと思っている。
俺は稿をまとめた。揃え損ねて一枚だけ机に残り、もう一度手を伸ばす。
美緒が先に拾った。
「怒った?」
「帰る」
「律」
差し出された紙を受け取った。
目を合わせたら、まだ何か期待してしまいそうで、それが一番嫌だった。
廊下へ出ると、吹奏楽の音が聞こえた。
教室の中より涼しい。壁際へ一歩寄って、通りかかった一年生を先に行かせる。
スマホが振動した。
見なかった。
「あ、朝倉」
顔を上げる。
久瀬紗月が、廊下の端に立っていた。
昼の放送で聞く声だった。
いつもは天井から落ちてくるそれが、今は俺の目の高さから聞こえる。
低く結んだ髪。腕に挟んだ放送部のファイル。
もう片方の手に、見覚えのある紙の束を持っていた。
「これ、朝倉が書いたんだ」
一枚目には『駅の向こう側』とある。
作者欄は空白。俺の原稿だ。
「美緒から、読む候補にどうかって渡されて。返しに来たんだけど」
教室の戸口へ目を向けてから、俺へ紙を差し出した。
「さっき、書いた本人って聞こえたから」
「……ああ。俺の」
受け取ると、角がきちんと揃っていた。
二ページ目の端に、細い折り目がある。
「コピーだから、捨ててもよかったのに」
「借りたから。返すよ」
久瀬は、返したばかりの紙へ目を落とした。
「最後の返事、まだないんだね」
「書けてない」
「そう」
何があったの、とも、ひどいね、とも言わなかった。
少しだけ迷ってから、彼女はファイルを抱え直した。
「できたら、そこも読みたかった」
返すつもりだった言葉が、口の中で止まった。
瀬戸と美緒が笑ったのと同じ紙を、久瀬はもう一度見ていた。




