るかという人間
ずっと、母親の言う通りやってきた。母の言葉に間違いはなかった。言われた通りやれば、誰からも褒められる。幼い時から、習い事はほぼ毎日入っていて、遊びにうつつを抜かす余裕なんてなかった。気づいた時には私は、みんなから憧れられる存在になっていた。中学では生徒会長をやっていた。高校に入ってからも、自然とそうなるだろうと思っていた。麗奈と出会ったのは、一年生の春、生徒会長役員になりたいことを伝えに、生徒会室に行った時だった。第一印象は、しっかりしてそうな、気品溢れる少女。提出用紙を持っていて、私と同じことが分かった。最初は、私も声をかける気はなかった。必要になってからでいいと思っていた。でも、生徒会役員になって、何となく隣で作業するようになった彼女から感じたのは、気品や気高さ、そして風格だけでなく、どうしようもなく果てしない憂いだった。理由はわからなかった。私から見ると、儚くて、今にも消えてしまいそうな彼女は、今日も隣で淡々と作業をしている。笑みを称えながら。勉学も、運動も、その他の功績も、全てが、人から憧れられる存在。常に笑顔で、誰にでも愛想良く、全てのことに情熱的。歩けば人が集まり、声を上げればみんなが聞く。これほど上に立つにふさわしい存在はいないと思う。それなのにこんなに寂しげで消えてしまいそうな、苦しそうなオーラを感じるのは、私の気のせいだろうか。私が人に興味を向けたのは、初めてのことだったかもしれない。
「蘭さん、それ、私も手伝います」
自ら話しかけて、関係を作った。母の言う通りではなかったけど、蘭さんのような人間なら、母だって友人に認めてくれるはずだ。その日から麗奈と私はよく話すようになった。役員としてあと二人入ってきて、その人達とも軽く会話を交わすようになった。話していても、麗奈は寂しげな様子や、苦しんでいる素振りを全く見せない。それどころか、何もかもが完璧で、私の求める理想だった。だから、私の勘違いだったのだろうと、少しだけ残念に思った。裏のない、ただの純優等生。演じるなんてしていない、ありのままのカリスマ。そんな人はいないと、知っていたけど、踏み込めない私には彼女はそう見えたのだ。そして訪れた生徒会選挙。当然私も推薦され、候補に上がった。母親は私が生徒会長になることを望んでいた。人の上に立つことを。しかし、麗奈の支持はやはり異常で、持って生まれたものがあるんだと分からされた。麗奈はきっと演説なんて力を入れなくても、絶対に当選するくらい知名度があった。でも、本気だった。みんなが納得するために必要な言葉を全て発して、そして優しい笑みを浮かべて。私は少し安心していた。肩の荷が降りたような気がしていた。私でなくてもいいんだ。いくら母から、私は努力が足りないと言われようと、私が選ばれなかった事実は変わらないのだから。
「麗奈、いえ、会長。おめでとうございます」
「ありがとう。るかが副会長なら安心だ。一緒にこの学校を良くしていこうね」
私は、この、眩しい光を支えるのに徹しようと思った。
麗奈が会長になって、一ヶ月程経った。今日も麗奈は、いつも通り、生徒からの要望や意見なんかが書かれた紙に目を通していた。会話はない。二人きりの静かな空間。しばらく時が経って、麗奈は伸びをして席を立った。まだ帰る時間ではないが、どこへ行くのだろう。すると麗奈はまっすぐに歩いていきバルコニーへの扉を開けた。ぶわっと風が吹いてきて私の髪を揺らす。麗奈はバルコニーに外に出て、手すりに手を置き、空を眺めていた。その顔はここからだと見えない。でもその後ろ姿には私が初めて見た時の儚さと憂いを感じた。私は自分の作業を止め、麗奈のもとに向かう。バルコニーには初めて出た。麗奈は私に気付いているはずなのに、見上げている空から目を離さない。空は澱んでいた。なぜそんなに真剣に見ているのか、私には分からなかった。ただ、このまま麗奈がふわっと飛び去って、あの空に消えてしまいそうな感覚だけがあった。
「会長、目が死んでますよ」
私は声をかけた。勝手な言動をしてしまったという後悔があった。麗奈とは、生徒会の中でよく話すだけの関係だった。でも、私は踏み込んだのだ。それが正しいのか分からない。きっと、完璧からは程遠い。
「え?!……るか、いたんだ。そんなこと、言われたことないよ」
麗奈は慌てた様子で、表情を取り繕っていた。
「貴女のオーラには、生気がありません。危なっかしい」
私は言葉を続けた。確証は無い。でも私は、麗奈のことが知りたかった。踏み込んたからには、完璧では無い貴女の事が知りたかった。案の定、純の優等生、本当のカリスマに見えていた彼女の仮面は、ボロボロと崩れ落ちた。
「るかは人のオーラに詳しいの?あはは、困っちゃうな」
笑っているけれど、その表情からは深い闇が感じ取れた。いつもは感じない雰囲気に、息を呑む。
「そうだね。私は、この世界に人間なんて要らないって思ってて」
声色は明るかった。
「その中でいちばん要らないのは、私だと思ってる」
彼女から飛び出すと思わなかった発言に、私は言葉を失う。
「私は希望を見出したの。私がいなくなればいいのでは、と。こんなことを考える私は地球には要らないし、私もこんな地球は嫌い。だから、別の場所に行けたらいいなって」
言葉の内容とは裏腹に、麗奈はまるで、私に分からない問題を解説するように、すらすらと話す。優等生で、何もかもが正しいはずの彼女が心の底に秘めていたのは、どうしようもない厭世と、自己嫌悪。
「……麗奈、私は、麗奈を」
「るかはすごいよ。こんな世界で、頑張って逃げずに生きてる。私は、本気で逃げる方法を考えてる。正しいのは、るかだよ。私でも分かってる」
「……私は麗奈のことを尊敬しています」
「ふふ、ありがとう。私のこんな話を聞いてまで尊敬してくれるの?なんだか、照れちゃうな。……るかは優しいね」
彼女は私の顔を優しく見つめる。
「私の話を、ちゃんと聞いて、嫌わないでくれるんだね」
「当たり前じゃないですか。私が知りたいと思ったんです。貴女の完璧の裏側を」
「変わってるね。……普通、知りたくなくない?こんなこと」
そうだとは思う。私は変わっている。私は、麗奈の危うさや、儚さに、何かを見出して──。
「他の人には言わないでね。私は、ちゃんと完璧で、一番の存在でいたいからね」
「わかりました」
言うはずがない。だって、私には貴女の輝いている姿もとても大切にしたいものだから。
「オーラに詳しいわけではないですよ。麗奈が特別だっただけです」
そう言うと、麗奈はきょとんとした顔で私を見た。そして、キザだ〜と笑った。
「ずっと思ってたことだけど、るかって王子様みたいだよね」
「なぜかよく言われます……」
「見た目もかっこいいからね!ねえねえ、王子って呼んでいい?」
「やめてください、るかでいいです」
私は麗奈を知りたい。麗奈の全てを。どうしてこんなに、気になってしまうのか。あの時の感情に、俗な名前をつけるなら、歪だけど初恋なのかもしれない。ドクドクと脈打つこの音は、麗奈には聞こえていないのだろう。私はいつか、麗奈のその思考を変えてみたい。私が、貴女の、生きる理由になりたい。あなたの美しい、憧れそうなほどの厭世を、私の全てでいつか。




