るかという人間II
「るかさん、お疲れ様です。みんなでカラオケ行こうって話になってるんですけど、るかさんもどうですか?」
「ああ、ごめんなさい。ヴァイオリンの練習をしないといけないので、今日は」
「そうですか、るかさんが来てくれるってなったらみんな喜んだと思うけど、残念!今度行きましょうね!頑張ってください!」
私はパタパタと駆けていく同じクラスの生徒を見送り、ヴァイオリンのケースを優しく撫でた。カラオケか。行ったことないな。母親が、そういう遊びを嫌うから。それにしても、あれだけ歌の練習をした後にカラオケなんて、喉を潰さないのだろうか。もうすぐ本番なのに。私は音楽室に行き、ヴァイオリンのケースを開いた。今日は部活などで使われないことを、事前に先生から聞いていた。だから、思う存分練習することができる。今度のコンクールの課題曲を弾く。この曲は、プロでも難しいとされる曲だ。きっと完璧は求められていない。最終的には弾く人の感情がこもっていればいい、と講師から言われた。それでも私は、できるだけ完璧に弾きたいと思い、練習を続けてきた。一曲弾き終わり、ため息をつく。もっと、もっと正確に。まるで、自動演奏のように。母が求めるのは、常に完璧なもの。もう一度弾き始めようとした時、教室の扉が開く。
「白瑪さん、練習していたのね」
音楽の先生だ。手には小テストを持っている。これから採点するのだろう。
「いていいかしら?白瑪さんのヴァイオリン聴きたいから」
「ええ、もちろんです」
先生は、静かに私の演奏を聴いていた。そして、私が満足するまで弾き終わり、片付けようとすると、
「白瑪さんの奏でる音、とても綺麗ね」
先生はそう言って拍手をした。
「ありがとうございます」
「白瑪さん、ヴァイオリンは好き?」
「……どうでしょう。もう、慣れたみたいな感覚ですね」
「慣れた、かあ」
先生は、にこにこしたまま私を真っ直ぐ見据えて言った。
「不安定でも、綺麗じゃなくても、心を動かすもの」
「え?」
「私は音楽を、数学みたいだと思ってないってことよ」
先生は、そう言って、子どもみたいに楽しそうに、鼻歌を歌いながら小テストの採点に戻った。不安定でも、綺麗じゃなくても、心を動かすもの。先生が言った言葉は、きっと母親なら、意味がないと一蹴してしまうだろう。そんな子どもじみた絵空事じゃ、何にもならないと。でも、本当の完璧じゃなくても、私が綺麗だと思うものはある。私は、無性に会いたくなって、教室を飛び出した。どれだけ心を無にして、望まれる形を演じていても。求めているんだ。貴女を。
「麗奈」
「るか!るかも、練習終わりかな?私も、悩んでたけど、いい感じになってきたよ」
私が願った通り、あなたはいつもの綺麗な佇まいで、まるで私を待っていたように、昇降口に立っていた。麗奈の表情は活き活きしていて、まるでいつも厭世的な発言をしている少女のようには見えない。
「良かった。私は、ちょっとヴァイオリンを」
「ヴァイオリン〜!私まだ聴いたことないんだよね。コンクールっていつあるの?」
「文化祭が終わって、次の週ですね」
「わ、すぐじゃない。招待してくれるんでしょう?絶対行くね」
そんな話をして、私と麗奈は昇降口を出る。
「最近、生徒会に顔出せる時間が減ってるから心配だな」
麗奈の零した言葉に、私は頷く。
「スタンプラリー、一年にほぼ任せきりなのはちょっと心が痛いですね」
「経験って思ってくれたらいいんだけど」
そう冗談めかして笑う麗奈に、ですね、と笑う。しばらく他愛のない話をして、校門をくぐる。この先は別方向。麗奈との時間は終わりだ。ここで、また明日、と言えば、今日はもう。
「るか、じゃあ」
「待ってください、麗奈」
私は手を振ろうとした麗奈を呼び止めていた。
「どうしたの?るか」
きょとんとした顔で首を傾げる麗奈に、私は近付く。ふわりとフローラルないい香りがする。
「麗奈は、綺麗だと思いますか。完璧でなくて、歪んでて、不安定な存在を」
真っ直ぐと見据えて問いかけた私に、麗奈は目をぱちくりさせた。
「私は、完璧じゃないと価値がないと、言われて育ちました。でも、私は……、私が大切にしたいのは、──完璧じゃない感情です」
私の告白に、麗奈は意味を考えているのか、少しの間黙って、口を開いた。
「いいと思う。私は、完璧じゃなくて、歪んでて、不安定でも、それらしければ良いと思うよ」
いつもの表向きの麗奈らしい答えだ。優等生の、間違いのない答え。
「……麗奈」
「なんて、いつもはそうやって、綺麗事を言うんだけどね。るかだから。私、自分のこと、歪んでて、汚くて、どうしようもないと思ってる。私は私が嫌い。でも、こんな私を、ずっと押し込めて、誰にも見せられなくなったらそれこそ私が私でいる意味が無くなる気がする」
「……!」
「るかは、どう在りたい?それだけだよ、綺麗なんて思う必要ない。歪んでて不安定な自分を認めるのは怖いけど、それが自分だと思うならそれでいいじゃない」
麗奈はそう言って、目を伏せて笑った。
「私は、完璧じゃないとダメで、でも、完璧なんかじゃなくて、ずっと歪んでて、きっと、ダメダメで……」
「るかが完璧を目指すなら、私は応援するわ。でもね、るかはダメなんかじゃないよ。完璧にしか価値がないと言われたんだよね。そんな価値に意味はあるの?」
「だってお母さんが……」
「るかは、お母さんに言われた通りのままでいいの?るか自身の意思はあるの?」
麗奈は純粋に問いかけてくる。悪意も、他意もない。
「私はるかの好きが好きよ。私と遊ぶこと、話すこと、るかが決めてくれた。るかのことが知りたいと思っている私は、お母さんじゃなくて、るかの意思が聞きたい」
「……私は、私はこの完璧じゃない感情を、大事にしたいです。こうして、完璧じゃない貴女と、完璧じゃない私が言葉を交わす時間を大切にしたいです」
「ん。それなら、それがいいよ。私はるかが、自分の意思でそばに居てくれる、その事が嬉しいよ」
そう言って、麗奈はにっこりと笑って私の手を取った。
「……麗奈の前では、頭で考えるより、感情が先に出てしまいます。でも、悪い気分では無いんです。それがきっと、私なんでしょうから」
「ふふ、そうだね、いいことだと思うよ」
私は繋いだ手の温かさを感じながら、ふと思い出したことを口にした。
「あの、雪華祭、一緒に回ってくれませんか?」
文化祭みたいなイベントは苦手で、今までも遊ぶ、ということはろくにしたことがないが。
「もちろん!というか、私から言おうと思ってたんだよね!劇と合唱は2日目だし、1日目はいっぱい楽しも!」
私の物語の始まりは、麗奈と出会ったあの日から。でも。私の青春の始まりは今日この日からかもしれない。
「それにしても、オウマガドキだね、魔物さーん、出ておいでー。……うーん、いないか。あ、今日も帰って異世界の本読むんだ〜」
「麗奈は変わらずですね」
「うん!私はちゃんと、この世界からさよならしたいからね!」
堂々と言われると、すごい。何も言い返せなさそうになる。
「それはダメですよ。私は、貴女のその思考を、変えたいと願い続けてるんですからね」
そう言って、私は手が繋がれたままなことを意識して、このまま時が止まることを願った。




