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森と井戸と 2

本作はえきちー(@EkitaiT)の名前で、カクヨムにも掲載しております。

校内にチャイムが鳴り響き、神無高校の昼休みが始まった。

 午前中の授業を終え、各教室から賑やかな声が溢れる。


「メイー。購買いこー」


 2年4組の教室、その窓際最後列の席に座っていた襟崎(えりざき)芽衣(めい)は、クラスメイトに声をかけられた。

 神無高校には学食がないため、学生たちの昼食は持参した弁当か、購買部で購入するパンなどになる。

 購買派である芽衣は、昼休みになると同じ購買派で仲のいいクラスメイト2人と教室を出るのが常である。


「ごめーん……今日ちょっと食欲なくてさー。私抜きで行ってきてー……」


 普段ならカツサンドと焼きそばパンを勝ち取るため、チャイムと同時に教室を出るはずの芽衣だが。彼女は2人の方へ一度視線を向けると、すぐに開いたままのノートの上に突っ伏して、手をひらひらさせて応えた。その芽衣の様子に購買派の2人に動揺が走る。


「まさかあのメイが風邪!?」

「それはないでしょ。インフルやコロナで全滅してたうちらの中で一人だけピンピンしてた子だよ?」

「確かに。てかあんなに弱ってる感じのメイを見たの初めてかも」

「私をなんだと思ってるんさー……ほら、早く行かないと青春と同じ、味気ないコッペパンしか買えないぞー」

「おう、誰の青春が味気ないって?」

「どうどう。芽衣もガチで体調悪いなら帰りなよー」

「ういー……」


 顔すら向けず、再び手をひらひらさせて(こた)えた芽衣に、2人は肩をすくめて教室を出ていった。

 芽衣は息を吐くと、少し顔を上げて教室内を覗き見る。先ほどの2人以外にも、教室にいる何人かが机に突っ伏す彼女の様子をちらちらと窺っていた。

 当然だ。

 常に元気に満ち溢れ、教室ではムードメーカーの役を果たし、自然とクラスの中心にいる存在となっている生粋の“陽キャ”である彼女が、言葉数も少なく机に突っ伏して弱っている姿など、誰も見たことはないだろう。

 購買へ行った2人には大したことじゃない、という雰囲気を出したつもりで返答した。

 だがその実、彼女に起こっている事態は深刻だった。

 芽衣は再び机に突っ伏し、少しやつれた顔から表情を消した。


 事の始まりは“神無山の井戸”を目にした、2日前の夜に遡る――


 ◆◆◆◆◆


奇々怪々(ききかいかい)】のサイト内掲示板で話題になっていた“神無山の井戸”は確かに存在した。

 さすがに『その井戸を覗くと死ぬ』という話までは検証できないが、あの“井戸”がただならぬ“怪異”であるということは、体感として間違いない。

 そして、その“怪異”により、自分の身には“何か”が起きた。

 そうでなければ、あの“井戸”を見た瞬間に、全身の産毛が総立つような怖気が走るわけがない。

 そんな“確信”と、その確信に由来する“不安”を抱えた芽衣は、 再び“獣道”を通り登山道へ出ると、この時季にしては冷たい夜風に肌を撫でられながら、自宅へ帰るために山を下りた。


 南区の外れ。

 日が完全に落ちたその路地は、暗闇に満ちていた。

 道の脇には部分的に塗料が剥がれて錆びの浮いた古い街灯が立っているが、それらの街灯の設置間隔は遠い。

 ナトリウム灯の橙色の明かりが、ぽつん、ぽつんと規則的に並ぶ、やや幅広の路地の真ん中を、芽衣はスマホを片手に歩いていた。

 【奇々怪々】の掲示板には“神無山の井戸”に関する新しい情報はない。

 掲示板以外にも、神無市内で似たような話題がないかを探す。

 靴でアスファルトの路面を叩いて足音を鳴らし、スマホが発する白い光で顔を照らしていると、前方から、ぶぅん、という低い音が響く。スマホから視線を上げると、原付スクーターが走ってきたところだった。

 芽衣は道路の左端に移動するが、ここでふと、道路の反対側、右斜め前にある街灯が視界に入る。

 なんてことはない、ただの街灯。

 ただ周囲をぼんやり照らす、橙の光。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()


「……え?」

 

 本来そこにあるはずがない、街灯の根本に鎮座した、苔の生えた石積みの古井戸。

 芽衣がその“異常”を認識した瞬間、彼女の目の前を通過するスクーターが、ほんの一瞬、視界を遮った。

 走り去るスクーターのエンジン音を聞きながら、その場に立ち止まった芽衣は、呆然としていた。

 

 ()()()()()()()()()()()()


 こんな道端に井戸などあるはずがない。当然だ。

 だが、一瞬ではあったが気のせいと言うにはあまりにはっきり見えたその姿形は、芽衣が神無山で見た“井戸”に間違いなかった。

 静寂が満ちた夜の路地で、怪訝な表情を浮かべて立ち尽くす芽衣を、街灯の光が淡く照らしていた。


 だが。

 異変はこれだけに(とど)まらなかった。


 自宅に着いた芽衣は、簡単にシャワーだけ浴びると、寝間着に着替えてすぐに布団へ入った。いつもならあと数時間は起きているところだが、身体が妙に重く感じられ、意識は吸い込まれるように闇へ落ちた。

 

 真っ暗な空間。

 そこに芽衣は立っていた。

 現実ではありえない空間。夢の中で“夢”だと認識できる明晰夢。

 五感に何も刺激を感じない暗闇の中で、周囲を見回していると、今までそこになかったものが現れた。

 

 苔の生えた、石積みで造られた、古びた丸井戸。


 “神無山の井戸”

 それが芽衣の2~3メートル前に鎮座していた。

 唐突に現れたその“井戸”に芽衣の表情が強張る。


 これは夢だ。そのはずだ。なのに何故…?


 ……がり


 「…?」


 小さな音。

 それに気付き、再び周囲を見回す。


 何の音だろう。


 それは何かが擦れる――そう、例えば木と石のような素材同士が擦れる音。

 そこで芽衣は、はっ、として“井戸”を見た。

 

 ()()()()()()()()()()()


 ……がり……がり……

 

 木板の蓋が、まるで見えない誰かに引っ張られるかのように、徐々に横へと動いていた。

 完全に蓋をされていたはずのその“井戸”は、小さな()()を見せる。


 ……がり……がり……

 

 ゆっくりと、確実に大きくなる隙間。

 音を立てながら、手先が入るぐらいの大きさとなった隙間は、やがて、その中が覗ける程の広さの“穴”となった。

 絶対に覗いてはいけない穴。

 その“井戸”の穴を前に、芽衣は動くことができず、ただ身体を震わせながらその様子を眺めることしかできなかった。


 ここは夢の中。身体は動かないが“井戸”の中が見える距離じゃない。大丈夫。


 額に止まらない脂汗が浮かび、早鐘を打つ心臓の鼓動を感じながら、自身に言い聞かせる。目を覚まして、起きて、この場から、この夢から逃れるために。

 声も出せない中、必死に念じる。ここに居続けたら、あの中を()()()()()しまう。

 

 …………


 ふと、井戸の口が半分ほど開いたところで、木板の蓋はその動きを止めた。

 あの不穏な木と石の擦れる音が止み、再び静寂が戻る。

 半ばパニックに陥っていた芽衣だったが、動きのなくなった“井戸”の様子に、僅かに気が緩み安堵の息を漏らした。


 ――にゅぅ

 

 まるでその瞬間を狙ったかのように。


 ()()()()()()()()()()()()()()()()


 血の通わなくなった、死人の肌の様な腕。

 それがゆっくりと、()()()、古井戸の半分開いた穴の中から生え出てきた。

 関節のないその腕は不自然に長く伸びるが、途中で、ぐにゃり、と折れ曲がったものもある。

 それはまるで“井戸”を鉢に見立てた、死人の腕の生け花の様で――

 

 あれは、何だ?


 安堵したのも束の間、穴を埋めるように満ち満ちに伸び生えた無数の青白い腕を前に、芽衣は恐怖感と、生理的な嫌悪感が吐き気となって込み上げそうになるのを感じた。その目には涙が浮かぶが、目を閉じることも、拭くこともできず、ただ“腕”の動向を見守るしかなった。

 醜悪な腕の生け花は、動きを止めた。

 ただ止まったのではなく、()()を探すような気配。

 嫌な予感がよぎり、背筋を汗が伝う。

 息を殺していた芽衣が、無意識に口の中に溜まった唾を、ごくり、と飲み込んだ。

 瞬間。


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 「…っ!?」


 芽衣という“獲物”を見つけたかのように。

 ゆっくりと、青白い無数の腕が、動くことのできない芽衣の下へ。

 煽られる恐怖から、遂に目尻から涙が溢れる。

 

 嫌……来ないで…!


 幾ら拒絶を望もうと“腕”たちはゆっくりと、確実に、芽衣を掴もうとする。

 あれに掴まれたら《《おしまい》》だと本能で理解していても、身体は金縛りに遭っているかの如く、ぴくりとも動かない。

 死人の指先が、あと数センチで芽衣に触れる。


 嫌……嫌……嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌!!!


 ぱちん


「いやああああああああああ!!!!!!」

 

 芽衣が絶叫と共に()()()()()()


 薄暗い、しかしはっきりとわかる見慣れた部屋。

 ベッドの上で、目を見開き、呼吸を荒げ、涙と汗で顔や寝間着をぐしょぐしょにしながら、芽衣は現実に戻った。


 「はぁ……はぁ……」

 

 夢の中で見た、目の前に迫った無数の“死人の腕”の映像が未だに脳内にこびりついている。

 ややもして、意識が現実に追いついた芽衣は、身体を起こした。

 枕元に置いたスマホに触れると、淡い光が芽衣を照らす。まだ就寝から3時間程度しか経っていない。

 彼女は力尽きたかの様に、起こした上体をまた仰向けに倒し、腕で目元を覆った。


 ◆◆◆◆◆


 ピピピピピピピ


 スマホにセットしていたアラームが朝6時半を告げた。

 あの夢の後、一睡もできなかった芽衣はのろのろと身体を起こす。

 寝汗でびっしょりとなった寝間着を洗濯機に放り込んでシャワーを浴びた芽衣は、制服に着替えて登校の準備を整える。

 寝不足で頭がぼんやりとする中、長い髪を束ね、いつものアップポニーテールに結わえようと、寝室のミニテーブルに置いてあるヘアゴムを取りに行った。


 「あれ…?」

 

 普段は知り合いからもらった、ヴィンテージ柄のボタン飾りがついた白いヘアゴムを使っているが、それが見当たらない。

 代わりに、ミニテーブルの上には同じ飾りの付いた、()()()()()()()()()()が置いてあった。

 この飾りの付いたヘアゴムは一つしかなかったはずだと思いつつ、思考がまとまらない芽衣は違うヘアゴムを手に取った。

 準備を終えて家を出た芽衣は、いつもの通学路を歩き出す。

 南区から北区にある神無高校へ行くには、バスを利用する生徒も多い。

 しかし芽衣はバスの混み合いを嫌っており、また健康のためと歩いて通学するのが常であった。

 それは、あんな夢を見て一睡もできなかった翌日でも変わらない。

 寝不足由来の軽い頭痛を感じながら歩き、神無駅を越えて北区に入る。

 学校近くの、多くの学生が歩く通学路。

 友人への挨拶や、昨日の学内外での話題で賑わうその道を、対照的にいつもより覇気のない様子で歩く芽衣。

 昨日の曇天模様とは打って変わり、雲一つない快晴を見せる空。

 初夏を感じさせる熱を持った日差しが、そんな芽衣や、他の生徒や、アスファルトの路面を照り付ける。


 ――そして、()()()()()()()()()()()()()()

 

 気付いた途端、芽衣の表情が強張り、足が止まる。

 こんな人の往来のある路上にあるはずのない異常。

 朝の登校風景の中に混じり込む違和感。

 高校へ向かって歩く学生たちはまるで気に留めず、談笑しながらその“井戸”の横を通り過ぎる。


「なんで……」


 ばん


「っ!?」


 不意に衝撃を背中に感じ、芽衣の心臓が跳ね上がる。

 振り返ると、クラスメイトの友人が片手を挙げて立っていた。


「おっはよー……ってどうしたん? ちょっと強く叩きすぎた…?」


 芽衣の過度な反応と驚きの表情に、彼女の背を叩いて挨拶してきた友人が逆に不安そうな表情を浮かべる。


「え、あ……そ、そうだよ! いきなりあんな強く叩かれたらビックリするでしょ! あー、これ絶対背中に赤い手形の跡ついたわー」

「そこまで強く叩いてないわ」


 笑顔を作り、大げさなリアクションで返す芽衣に、その友人も笑いながら返す。


「じゃ、今日日直だし先行くわ」

「うん」


 駆け出す彼女に手を挙げて返した芽衣は、表情を消すと再び前方に視線を向けた。

 しかし、そこには当然のように何もなく、ただ学生たちが歩いているだけだった。

 だが。

 あれは間違いなく、芽衣が神無山で、そして昨晩の夢の中で見た、あの“井戸”だった。

 そして。


 その“井戸”に蓋をしていた木板が、()()()()()()()()


 それに気付いた瞬間、芽衣の背筋に怖気が走る。

 まさか。

 やや俯き、ぎりっ、と奥歯を噛んだ芽衣は早足で学校へ向かった。


 それから。

 朝の出来事を皮切りに、あの“井戸”は芽衣の行く先々に幾度となく姿を現わした。


 教室に。

 廊下に。

 階段に。

 トイレに。理科室に。体育館に。図書室に。用具倉庫に。職員室に。校庭に。購買部に。路上に。コンビニに。駐車場に。玄関前に。リビングに。浴室に。寝室に。


 “井戸”はただ静かに視界に現れ、何をするでもなく、姿を消す。

 だが、変化もあった。


 徐々に、()()()()()()()


 芽衣の前に姿を見せる度に、その“井戸”の口は大きくなっていき、すでに3分の1ほどが開いている状態だった。

 夢の中では半分ほど開いたところで無数の“腕”が“井戸”の中から伸び、芽衣を襲ってきた。

 もし現実でも同じよう、蓋が半分まで開いてしまったら。

 

 しかし、芽衣には成す(すべ)がなかった。


 <続>

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