七匹の子山羊 5
本作はえきちー(@EkitaiT)の名前で、カクヨムにも掲載しております。
「反転」
ぱん
神無病院を“儀式の場”に取り込み、多くの無害な『霊』を成仏させた雨宮は、その一言と共に手を打った。
「あっ……」
黒亜を苛んでいた頭痛と吐き気が治まった。
先ほどまでとは打って変わった、黒亜にとっては心地の良い空間。
神聖な神社のように清められた“儀式の場”の雰囲気は一転し、纏わり付くような粘性すら感じる昏く、冷たい、悪霊悪鬼の好む穢れた“場”へと変貌する。
雨宮だからこそ出来る“清”から“穢”へ、“陽”から“陰”への性質変化。
こん、こん
キーン
カンッ
ざざっ
音が増える。
陽の“場”では鳴りを潜めていた『悪霊』たちが、陰の“場”に変化したことで活性化した合図。
しかしこの状況をして、雨宮は、
「うーん……やっぱり昼間だからか、ちょっと少ないわねぇ……」
と頬に手を当て、少し不満げな表情を浮かべている。
黒亜はその隣で首を巡らせて宙を視た。『悪霊』が5体、『悪鬼』が3体。並みの霊能力者なら普通に逃げることを最優先する数と質だ。
それでも《《足りない》》らしい雨宮は、バッグからペンと何も書かれていない白い形代を取り出す。
キャップを開けると出てきたのは、細い毛筆の先端。いわゆる筆ペンである。
雨宮はその筆ペンで形代に文字を書く。記されたのは“丑三之夜”
「丑三之夜 急急如律令」
呟くと、雨宮の指に挟まれた形代に書かれた文字が、じわ、と滲み判別出来なくなる。さらに、その滲みは止まることなく形代全体へと広がっていく。やがて形代は真っ黒に染まり、雨宮の指先でぼろぼろと形を崩し、空へ溶け消えた。
陽の“場”から陰の“場”へ変化したことで薄暗くなった無人の病院内。
そこは完全に夜となった。
“薄暗い”から“暗闇”に。
ロビーから続く通路の先は見通せなくなり、代わりに通路の床の壁際にある小さな非常灯が、ぽつ、ぽつ、と一定間隔で弱く照らしているのが見える。
何か明かりが点いているのか、受付カウンターの奥がぼんやりと明るいため、黒亜の立つロビーはまだ視界が利くが、この場から動いたらあの非常灯の明かりぐらいしか頼れる光源はないだろう。
誰もが寝静まった、真夜中の病院。
雨宮は自身が作り出した“儀式の場”を意図的に穢した上で、“丑三つ時”という夜の時間の性質までも付け加えた。
丑三つ時。すなわち午前2時過ぎ。
魔物たちが最も活発化する“魔の黄金時間”
本来、“儀式の場”とはそれを作り出した術者が地の利を得るための空間になるが、雨宮の作り出した“場”は悪霊悪鬼に有利な場と化し、むしろ雨宮は自ら不利な状況に陥ったように思われる。
事実、魔物たちの気配は増えた。
数にしておよそ30体。先に姿を現わしていた悪霊悪鬼の3倍以上。黒亜であっても一旦は身を引く数。何百という呪物に視線を向けられる邪骨堂に比べればまだましな方ではあるが、それでも多いことに変わりはない。
そして、その大半が生きた人間である雨宮と黒亜の存在に気付いていた。
「雨宮さん…!」
複数の気配が黒亜たちの方へ移動し始める。
当然、この“場”の主である雨宮も気付いているはずだが、
「これでこの病院にいる悪い子たちは大体出てきたと思うけど……黒亜ちゃん、例の殺人事件に関係しそうな子はいそうかしら?」
やや焦る黒亜に対し、雨宮はマイペースに問いかける。
「いや、さすがにわからないですけど……」
如何せん、数が多すぎる。
それに黒亜は直接的に事件に関する“オカルト的な何か”を見たわけでもない。せいぜい事件の状況的に『狼と七匹の子山羊』になぞらえているのではないか、と推測した程度だ。それにオカルトが絡んでいるとしても、この件は“呪い”だろうと踏んでいるが、それがどのような形で可視化されるのかもわからない。
「ふふふ、まぁそうよねぇ。これじゃわからないわよねぇ」
どうしましょ、と小首を傾げて考え始めた雨宮。
そんな悠長にしている場合ではないと、再び黒亜が声をかけようとした矢先。
どん、と大きく、低い音が響き渡った。
1回だけではない、断続的に響く重い音。空気が大きく揺れ、まるで病院全体が揺れているかのような錯覚さえ覚えてしまう程の、何かを強打する音。
黒亜が「何!?」と周囲を見渡す一方で、雨宮はやや遠くを視る。
「外に元気な子がいるわね。私の“結界”をこんなに叩いて……ここから出たいのかしら?」
病院内ではなく外。
雨宮は病院の敷地を囲むように“場”を作り出した。
魔物たちがいるのは病院内だけとは限らない。
しかし、
「あの子だけね、“場”から出ようとしているのは。これがどういうことかわかる?」
30体以上いる悪霊悪鬼たちは、そのほとんどが雨宮と黒亜を狙っている。その中で2人を無視して“場”から出ようとしている1体。
私たちから逃げようとしている?
違う。
私たちはまだ敵意すら向けていない。私たちがどんな人間かなんてわからないはずだ。
外に出たい理由がある。私たちよりも狙いたい対象が外にいる。
「……あれが連続殺人事件の、犯人…?」
「正解」
雨宮は黒亜の回答を肯定した。
「じゃあこの病院にいた魔物が、外に出てわざわざ被害者たちを殺しに行っていたってことですか?」
「んー、それは半分ハズレ、かしら。あれはたぶん“呪い”と『悪魔』が合体したものね」
「“呪い”と『悪魔』が合体!?」
初めて聞いた話に黒亜が驚愕の声をあげた。
「たまにあるのよ。説明は後でするとして、まずは病院内の関係なさそうな……あの子たちを始末しましょう」
雨宮の視線の先に現れたのは、2体の『悪霊』と1体の『悪鬼』
2体の『悪霊』は人型で、その服装から生前は病院の看護師あるいは医師だったのだろうとわかる。その顔は白目を剥いており、きひ、きひ、と顔を歪ませて嗤っていた。そして『悪鬼』の方は、6本の腕が生えた上体を4本の脚が支えている異形だった。頭部らしき部分には目が1つだけ付いており、鼻や口はない。全長が2m以上ありそうな大型である。
そのいずれもが、雨宮と黒亜という人間の獲物を見つけ、にじり寄ろうとしていた。
それらを前にして雨宮がバッグから取り出したのは、紫色の布に包まれた、長さ30cm程の棒の様な物。包みを解くと現れたのは、一振りの短刀。
鍔もなければ模様もない、木地を黒く塗っただけの簡素な拵。
しかしよく見れば、その黒色には鏡面のような深い艶があり、黒呂色漆を用いて丹念に仕上げられた一級品であることが窺える。
雨宮はその拵を手に持ち、鞘に秘された刃を解いた。
鈍色で反りがほぼない片刃の刀身は約18cmの刃渡り。何より印象的なのは、このような短刀でまず見られない、重花丁子の乱刃紋。
華やかさが売りとなる刃紋だが、この短刀に限っては、黒亜の目には壁を滴る血を連想させるような酷く不気味な模様に見えてしまう。
雨宮は抜き放った短刀を眼前に掲げた。
「お出でませ、『悪喰』様」
建物内にも関わらず、ひゅう、と生温い、湿気帯びた弱い風が吹いた。
――べた、べた、べた
それは邪骨堂で雨宮と話をしている間、絶えず黒亜の周囲で聞こえていた足音。
視えない何かが徘徊する足音が、再びこの場に現れた。
同時に、黒亜たちに近付こうとしていた3体の悪霊悪鬼の動きが止まる。
「この建物内の、私と彼女以外の“喰”を許可します。お召し上がりください」
――おお
低い、唸り声ともとれる声が聞こえ、足音が止む。
黒亜には視えない何か――雨宮が『悪喰』と呼ぶそれの気配が消えた。
しん、とした一時の静寂。
そして、口が現れた。
雨宮と黒亜の前にいる3体の悪霊悪鬼の、それぞれのすぐ傍に出現した巨大な口。
人間のものでも、動物のものでもない。
歯を――鋭利な白い牙を覗かせた禍々しいその口は、何百年も前から人が想像する“鬼”と呼ばれる存在を彷彿させる。
そんな“鬼の口”が大きく開き、傍にいた悪霊悪鬼を喰った。
――ぎゃあああああ!!!!!!
突如出現した得たいの知れない“鬼の口”に捕食され、黒亜の耳に響く『悪霊』たちの悲鳴。
牙が刺さり、咀嚼され、千切れる四肢。
何度も、何度も、何度も、何度も噛まれ、砕かれ、擦り潰され、喰われていく2体の『悪霊』
同様に『悪鬼』も、6本の腕と4本の脚があろうが、体躯が大きかろうが、お構い無しに、成す術無く、ただ喰い潰されていく。
そんな『悪霊』の虐殺が病院内の随所で起こった。
30体以上の『悪霊』と『悪鬼』が、一斉に、同時に、喰われていた。
目の前からだけではない。館内のそこら中から魔物たちの悲鳴が谺した。
雨宮は言った。これからこの場所は地獄になる、と。
大量の悪霊悪鬼を呼び込んだことも、ある意味では地獄を作り出したと言える。
だがそれ以上に、集めた悪霊悪鬼たちがたった1体の“化け物”の餌となり、瞬く間に喰い散らかされるこの状況こそが真に“地獄”と言えよう。
あまりに一方的な食事。
魔物たちの阿鼻叫喚。
白目を剥いて嗤っていた『悪霊』は“鬼の口”の隙間から頭と片腕のみを見せ、その表情は苦悶に歪み、助けを乞うてるようにも見える。
無論、同情などない。
黒亜がこの捕食行為を前にして感じるのは、純粋な“恐怖”だった。
上位の者が下位の者を“喰らう”という光景は、それを見る者に動物としての原始的な、本能的な恐怖を植え付ける。
もし雨宮が「私と彼女以外の」という一言を付け加えなければ、黒亜たちも餌として喰われていたのだろう。
何体もの魔物たちを“黒い水”で溶かし、3年前に“悪魔殺し”を成した黒亜をして、まともに相手にしてはいけないと本能が警鐘を鳴らす真正の化け物。
つくづく、こんな神は相手にしたくないと心の底から思った。
同時に。
何故雨宮はこの凄惨極まりない状況を前にして、黒亜と接するとき変わらない穏やかな表情でいられるのだろうか? 慣れた、と言われればそれまでかもしれないが。
雨宮刻子。
実は今この場において一番“怖い”のは、彼女なのかもしれない――
「終わったわね」
黒亜が雨宮を横目で窺っていると、彼女は胸の前で両手を合わせながら朗らかな表情で言った。
3体の悪霊悪鬼はそれぞれ3つの口に喰われ、その口も溶けるように消えた。
遠くから聞こえていた無数の悲鳴もいつの間にか消えており、黒亜がこの建物内で知覚できる存在はいなくなった。
いや、1体だけになった。
――べた、べた、べた
黒亜たちの周囲を歩き回る足音。
5分にも満たない時間で30体以上の魔物たちをその腹に収めた『悪喰』だった。
「じゃあ外に出ましょうか。どれだけ叩いても、私が作った“場”の壁を破ることなんてできないでしょうに。こういう機械的なところは“呪い”らしいわよねぇ」
『悪喰』が食事をしている間にも、変わらずに一定間隔で響き続ける打擲音。外にいる『悪魔』が雨宮の“結界”を破ろうと叩き続けている。
「場所は奥の方……中庭かしら? 確かこの通路の先から出られるはずよ。行きましょう」
抜き身の短刀を手にしたまま、視えない化け物を引き連れて雨宮はゆったりと歩き出した。
◆◆◆◆◆
雨宮家の歴史は平安時代にまで遡る。
かつて日本の律令制において、中務省に属していた機関の一つである陰陽寮を安倍晴明という陰陽頭が統括していた。
この時、彼を補佐する陰陽助と呼ばれる位に就いていたのが、現代日本における京都の名門・雨宮家である。
すなわち、雨宮家は陰陽師の家系であった。
陰陽師とは当時の皇室に関連した職――現代で言うところの国家公務員という立場となる。
陰陽師の仕事は天体観測、漏剋を用いた時刻測定、暦作りなど多岐に渡るが、その中には五穀豊穣のための祈祷や、宮中行事での厄祓いというものもあった。
昨今のドラマや映画にある“式神や摩訶不思議な術を用いて悪霊怨霊を退治する”という陰陽師のイメージは、この祈祷や厄祓いなどを脚色した結果として生まれたものである。
しかし。
陰陽師は歴史の裏舞台で、確かに魑魅魍魎、悪鬼羅刹を祓っていた。
陰陽五行思想、八卦、九星気学、四神……
大陸から伝わった数々の思想や学術、技術は日本の治世のために発展を遂げ、悪霊を退治するための技術にまで応用されていた。
だが、宗家である安倍家とその嫡流である土御門家、その分家の倉橋家は男系筋が断絶しており、多くの技が失われた。また、安倍晴明の師である賀茂家とその嫡流である勘解由小路家も、歴史の中で断絶した。
その他の直系、庶流の家系も断絶、あるいは行方不明となり、現代では正統な陰陽道による魔祓いの術は失われてしまった、とされていた。
が。
平安から続く1000年以上の歴史の中で、雨宮家だけは絶えることなく、粛々と陰陽道の技術を子孫に伝えていた。
中でも、雨宮家が長けていたのが“式神”の技であった。
かの有名な安倍晴明が『占事略决』にも記した『十二天将』で数多の魑魅魍魎を相手取ったように、雨宮家もまた独自に作り出した式神で悪鬼羅刹と対峙した。
悪霊を喰らう式神――『悪喰』
喰らうことで祓う、雨宮家の切り札。
平安の世に雨宮の祖によって作り出されたこの式神は、長くこの家の者に使役され、他の陰陽道の技と共に受け継がれていったのである。
また、雨宮家はこの式神を代々受け継ぎながら、同時に研究と改良も重ね続けた。
ただ術者に呼び出され使役されるだけの人工的に作られた鬼神は、歴代の雨宮家の当主に何度も手を加えられ“究極の式神”とも呼べる代物へと成った。
より簡便に使役でき、より効率的に霊を喰らい、さらには霊だけでなく人までも喰うことができるようになった『悪喰』は雨宮家の力の象徴となり、周囲に畏敬の念を抱かせた。
だが『悪喰』は堕ちてしまった。
天下の統一を目指し多くの武将が名乗りを上げ、数々の戦乱で数多の人々が地に死に伏した戦国時代。
戦場に渦巻く無念、悲哀の念、憎悪の念は無数の怨霊を生み出し、その怨霊たちは蟲毒さながらに互いを喰い合い、強大な『鬼』が何体も生まれた。
人々は雨宮家に助けを求め、時の当主もこれに応え、何体もの『鬼』を『悪喰』に喰わせた。
その結果、『悪喰』は消化しきれない程の“負の念”を溜め込み、耐え切れずに呑まれてしまった。
“式神”は“祟り神”へと変貌した。
『悪喰』は守るはずの無辜の人々に対しその牙を剥いた。
雨宮の制御を外れて暴走した『悪喰』は村を襲った。
村を守る男衆も、男衆を支える女衆も、病に伏して動けない老人も、泣くことしかできない赤子も、“祟り神”は等しく喰った。
遺体は残らない。残るのは地に広がる大量の血溜まりのみ。
『鬼』など可愛く思えてしまう真の“化け物”を前に――助けを求め泣き喚く村人たちを前に、雨宮の当主は成す術なく、ただ命が喰われる凄惨な光景を視ることしか出来なかった。
あれはもはや、雨宮が自在に使役できる“神”ではない。
そして使役できない“神”に対して人間ができるのは祈念と懇願のみ。
故に、雨宮の当主は暴走する“祟り神”に祈念し、懇願し、さらにはこの場を収めるべく契約を申し出た。
この契約がどのような内容なのかはわからない。だが当主の申し出に『悪喰』は同意した。
以降、『悪喰』は命を受けない限り人間を襲わなくなり、以前とは異なる形にはなるが、再び雨宮家の制御下に戻ったのである。
しかし、契約とは厳密かつ絶対的なものであり、それが神と結ばれたものであるならなおさら、その中身を違うことは許されない。
『悪喰』との契約は雨宮家の当主が結ぶこととなっており、この当主が亡くなると次期当主へ移譲され、契約は履行され続ける。
そして現在、この“祟り神”と契約を結んでいるのが、陰陽師の名家・雨宮家の現当主、雨宮刻子であった。
<続>




