ウラバンナ
本作はえきちー(@EkitaiT)の名前で、カクヨムにも掲載しております。
※今回は1話完結。ホラー内容ではありません。
ある日、煙羅亭。
神無市南区の東端に佇むアンティーク調の喫茶店で、黒いゴスロリ衣装を纏った夕川黒亜は大学のレポート課題に取り組んでいた。
黒亜の通う神無大学は既に夏休みに入っているが、必修科目である『文化人類学論Ⅱ』を担当する例の女教授は、ここぞとばかりに課題を出して学生たちを憂鬱にさせていた。
提出期限は休み明けの初日。今回も手書き必須である。
店の奥にあるいつものテーブル席に座り、数冊の参考文献をアイスコーヒーの傍らに置きながら、黒亜は黙々とペンを走らせていた。
ふと、集中力が切れ視線をレポート用紙から上げる。
視界に入る店内に他の客はおらず、カウンターの奥で店主の金村が静かに何かの作業をおこなっている。
店内に流れる、店の雰囲気には全然マッチしていないいつもの陽気なジャズも、良い作業用BGMとして機能している。
黒亜はアイスコーヒーのストローに口を付けると、レポートの続きに取り組むべく再びペンを手に取った。
瞬間。
からんからんからん
「金村さんちーっす! あっ、ココちゃん! もう来てたんだ! ちすちーっす!」
入り口の扉のベルが鳴り、この店のバイト店員である襟崎芽衣が現れた。
彼女の通う神無高校も夏休みに入っているはずだが、いつもと変わらない制服姿である。
芽衣は雑な挨拶もそこそこに、カウンター奥の扉からバックヤードに入ると、制服の上からエプロンだけ着けてすぐにホール戻ってきた。
そしてそのまま黒亜の座るテーブル席にやって来ると、当たり前のように正面に座った。
「なになに? 大学の宿題やってるの? 夏休みでしょ? 大変だねー」
テーブルの上に広げられたレポート用紙や参考文献を一瞥し、芽衣は他人事のように話しかけてきた。
開店直後の煙羅亭なら芽衣も居らず、暫くは静かに作業できると思っていたが、時計を見る限り1時間ももたなかったようだ。
多分、今日はもうここで作業は出来ないだろう。
黒亜は諦めの溜息を吐きながら芽衣に応えた。
「はぁ……メイちゃんだって宿題あるでしょ?」
「あったかなぁ〜? そう言われてみればあったかも? まぁあんなのは私にかかれば夏休み終了3日前にやっても余裕よゆー……あっ、金村さん私にもアイスコーヒー1つ!」
ダメだこの娘。
バイトとはいえ何故店員が客のように注文しているのか。もはや口に出してツッコミなどしないが、傍若無人にも程がある。
やがて、カウンターの方から、かたっ、とグラスが置かれる音が聞こえ、芽衣が「おっ」と言いながらが受け取りに行く。
金村さんも何で素直に作るのかなぁ……
トレイにアイスコーヒーとミルクポッドを乗せた芽衣が戻ってきたため、黒亜はレポート用紙と参考文献を片付けてスペースを作る。
「あれ、もう宿題終わったの?」
「うん、まぁ、そんな感じかな……」
メイちゃんが来てもう作業にならないから……
と率直に言わないのは黒亜の優しさである。
そんな黒亜の心情なぞ慮る様子もなく、芽衣はずぞぞぞぞ、とアイスコーヒーをぐびぐびと飲んでいる。
「うまー! ほんと外暑くてイヤになるよね」
「だってもう8月も半ば、お盆時期の夏真っ盛りだからね」
それでも今年はここ数年の同じ時期に比べたら、まだ暑さはマシな方と言えるだろう。
「お盆……お盆かぁ……」
アイスコーヒーを半分ほど飲みきった芽衣が、ふと神妙な顔つきになった。
「? お盆がどうかしたの?」
その様子に、何かあったのだろうかと思わず問いかける。
すると、芽衣は黒亜の目を見て言った。
「ココちゃん。お盆って……何で『お盆』って言うの…?」
「えっ?」
まさかの問いかけに黒亜が虚を突かれる。
「そもそもお盆って何? みんな当たり前のように言ってるけど謎すぎない!?」
「いや、そんなことはないかと……」
ぐい、と身を乗り出して言ってくる芽衣に、黒亜はその身をやや仰け反らせながら返す。
「いやぁ、私もさすがにある程度は知ってるよ? 年に1回、たくさんの幽霊が現れる時期で、その幽霊たちとどんちゃん騒ぎするってイベントだっていうのはね」
「うーん……」
なかなか厳しい認識だと言わざるを得ない。
今の若い世代がこういう認識だと、昔からの文化や風習が廃れていくというのも頷ける。
「コホン……メイちゃん、そのお盆の認識、10点」
「10点満点中?」
「1000点満点中」
「低っ!?」
自信があったのか、黒亜の超辛口評点に芽衣がショックの表情を浮かべた。
「あえて言うなら『たくさんの幽霊』ぐらいしか合ってないよ……」
「じゃ、じゃあお盆って何なのさ!? まさかこれのことじゃないでしょ!?」
芽衣はテーブルに置いた、自分がアイスコーヒーを乗せて持ってきたトレイを指さして言う。
「『覆水盆に返らず』の意味でのお盆なら、そのトレイで間違ってないけどね」
ふぅ、と一息置いた黒亜は続けて話した。
「毎年日本でおこなわれる有名な風習だから、メイちゃんにもちゃんと知っておいてもらおうかな」
「ココちゃん先生、よろしくお願いします…! あっ、ちょっと待って!」
そう言うと、芽衣は半分残ったアイスコーヒーにミルクを注ぎ、ストローでぐるぐると掻き混ぜてアイスミルクコーヒーを作り始めた。
「…………」
本当に出鼻を挫くのが上手い娘だ。
「よし……ではよろしくお願いします!」
「……よろしい」
ずずず、とアイスミルクコーヒーを啜る芽衣への講義が始まった。
「まず『お盆』っていう言葉は日本語じゃなくてサンスクリット語の『ウラバンナ』が語源なの」
「サンスクリット……語…?」
「ヒンドゥー教や仏教で使われている言葉だね。『ウラバンナ』は『逆さ吊り』って意味だけど、これが音写されて当てられた漢字を略して『お盆』って言われてるの」
「そうだったんだ……でも逆さ吊りって何を逆さ吊りにしたの?」
「それは仏教のエピソードから来てるんだけど……掻い摘んで話すと、お釈迦様のお弟子さんのお母さんが、死後、地獄で逆さ吊りにされていたの。そしてお弟子さんがお釈迦様にお母さんを助けたいと言ったら『お前の母が生前にやらなかった他者への施しをお前がやったら助かるだろう』って言ったんだって。お弟子さんはその言葉通り、貧しい人たちに食べ物の施しをしたら、その功徳でお母さんは助かったんだ」
「ふむふむ」
「それで今のお盆っていうのは、この施しをするエピソードに日本で昔からおこなわれていた祖霊信仰……ご先祖様を祀るっていう風習が融合して生まれた、って言われてるんだよ」
「そうだったんだ……」
「『お盆』という名前はエピソードからきて、内容は祖霊信仰が強く出ているって感じかな」
そこまで話すと、黒亜はアイスコーヒーを一口飲んだ。
「メイちゃんはうちとかご実家に仏壇ってある?」
「ないない」
「そっか。お盆は風習だから地域によって色があるんだけど、ご先祖様の霊をお迎えするから仏壇は必須アイテムなの」
「なるほど……でも今ってあんまり見ないよね、仏壇。買うにも高そうだし」
「そうだね。うちは実家には仏壇があるから、お盆の時期はお母さんに言われて五供を置いてたなぁ」
「ごく?」
「仏壇のお供え物だよ。お水、食べ物、蝋燭、お花、お香の5つが五供って呼ばれるんだ」
「あー、何か仏壇のイメージによくあるやつだ」
「あとはお盆と言えば精霊馬だね」
「しょうりょううま…?」
「見たことないかな? ナスとキュウリで作る乗り物なんだけど……」
「あっ! もしかしてあれ!?」
首を捻っていた芽衣は何かを思い出したのか、スマホを取りだして何かを調べると、画面を黒亜に向けた。
そこにはナスやキュウリで作られた飛行機やロケット、果てはガンダムのようなロボット、ナスとキュウリを両方使ったライオンのような動物まで映っている。
「これでしょ! 最近SNSでよく見るよ。精霊馬っていうだこれ。へー」
「いや、まぁ、うーん…?」
ナスとキュウリを使っているという点を除けば、黒亜が幼い頃に実家で作っていた精霊馬とはだいぶイメージが違っている。
「精霊馬っていうのはご先祖様の霊の乗り物で、キュウリが馬、ナスが牛を表しているの。来る時は早く来れるようにキュウリに、帰る時はのんびり帰れるようにナスの精霊馬に乗るんだって。こんな凝ったものじゃなくても、こんな感じで割り箸やおがらがあれば作れるんだけどなぁ」
言いながら黒亜はレポート用紙に、短く切った割り箸を足に見立ててナスとキュウリに刺したイラストをさっ、と描いた。
「あっ、これも見たことある!」
「むしろこれがオリジナルだよ」
「てことはさ、さっきのココちゃんの説明だと、ナスでロケット作るのは間違ってる?」
「うん……なんというか『秒で帰って早くいなくなって欲しい』って意味にも捉えられそうだよね」
「それご先祖様にめっちゃ失礼じゃん!」
芽衣がケラケラと笑い声を上げる。
「やっぱ精霊馬ってお盆が終わったら食べるの?」
「ううん。捨てるよ」
「捨てるの!?」
日本人は食べ物を無駄にしないというイメージでもあったのか、芽衣は意外そうな様子である。
「うん。正確には海や川に流したり、土に埋めたり……あとは塩でお清めして白紙に包んで捨てたり……基本的に神様や霊にお供えしたものは人が食べちゃダメなんだよ」
「そうだったんだ……フードロスじゃん」
言われてみればその通りだ。
ただ、お盆はここ数年で始まった風習ではないので、現代基準で語られても仕方ないわけだが。
「あ、もしかしてメイちゃんって誰も見てなかったらお供え物は躊躇なく食べちゃう感じ…?」
「しないよ! そんな食いしん坊キャラじゃないから!」
さすがに自由人の芽衣もそこまで残念なことはしないらしい。よかった。
「他にもこういうことしないと、みたいなことってあるの?」
「そうだね……迎え火とか送り火とかかな」
「へぇ?」
「ご先祖様の霊が迷わずうちに来れるようにって、庭や玄関に火を焚くのが迎え火で、大体は毎年8月13日の夕方にやるのが習わしだね。逆に送り火はご先祖様の霊を見送るために焚く火で、8月16日の夕方にやることが多いかな。おがらっていう麻の茎を乾燥させたものを使うんだけどね」
「みんなそんなことしてるんだ……でもそれ、アパートやマンションとかだとできなくない?」
「そうだね。でも風習だから気持ちの問題って側面も強いし、最近だと室内で電球式の提灯を点けて代替することも多いみたいだよ? 確かに集合住宅だと危ないし気も使うもんね」
むしろ今の時代、そういう方が主流なのかもしれない。
形式に拘った結果、その風習自体が時代に合わずに消えてしまうよりは、その時代に合わせてやり方を変化させて、次代へ受け継がせていく方が良いだろう。これはお盆に限らず、様々な伝統行事や祭りなどでも言えることだ。
「お盆って馴染みがなかったから全然ピンと来なかったけど、けっこう奥が深いんだね」
黒亜の説明を一通り聞いた芽衣がしみじみと言った。
そしてアイスミルクコーヒーを飲みながら窓の外、路地の方を見ながら続ける。
「てことは今、たくさんの家にたくさんのご先祖様の霊がいるのかなぁ……」
「うん、いるよ」
ぼやくように呟いた芽衣の言葉に、黒亜は確信を持って答える。
不意打ちの如く放たれた言葉に、芽衣の身体が、びくり、と震えた。
芽衣の顔が再び黒亜の方を向く。
「やっぱり…?」
「昨日の夜からすごい増えたよね。今は朝だからそこまででもないけど、そこの通りにも見慣れない『霊』が多いもん」
窓の外を視る黒亜の目には、普段この通りでは見ない老若男女の様々な『霊』が映っていた。
お盆が始まった昨晩などは、一軒家や集合住宅を問わず、多くの『霊』たちが家屋に入っていく姿を視ている。
嬉しそうな表情を浮かべて家屋に入る者、無表情で外から家を眺める者、あるいは俯きながら玄関前をうろうろしていたが、迎え火が焚かれたことで踏ん切りが着いて中へ入った者など。
一方で、家の前まで来たが結局入ることなくどこかへ去っていく者、苦しそうな表情で墓石の横に立つ者、寂しそうな笑みを浮かべて道路に座り込んで家を見上げるだけの者もいる。
祖霊とは何も百年、二百年前の見ず知らずの霊だけを指すものではない。一代、二代前でも祖霊なのだ。
それはすなわち、生前に言葉を交わした父母や祖父母が『霊』として帰ってくるということ。
全てが円満ではなく、確執のある相手だったかもしれない。
言いたいことを最期まで言えないまま、蟠りを残して死に別れた相手かもしれない。
しかしこのお盆という3日間ぐらいは、生者は何も言わず祖霊を迎え入れ、祖霊は静かに生者を、子孫を静かに見守って欲しい。
黒亜は切にそう願う。
「うわぁ、やっぱ多くいるんだぁ……」
芽衣の嫌そうな感情の乗った声に、黒亜の意識が引き戻される。
「もう、この仕事始めて1年以上経つし、そもそもやろうって誘ったのメイちゃんでしょ。いい加減慣れてよ」
「それはそうだけど……やっぱ目に見えない幽霊が襲ってくるって怖いじゃん…? この前だって“呪い”で殺されかけたし……」
「それはわからなくもないけど。前にも言った通り、あの“井戸の呪い”は軽率だったメイちゃんが悪いよ」
「ぶー」
バツが悪そうに、しかし少し不満気な空気も出す器用な芽衣。
そんな彼女に黒亜はさらりと言った。
「でもメイちゃん、人気あるよね」
「え? 何が?」
「今日は5体も連れて来てるし」
「……へ?」
固まる芽衣に続けて言う。
「5体。今メイちゃんに憑いてる『霊』の数」
「はぁ!? ウソでしょ!?」
芽衣が驚愕と共に思わず席を立つ。
「嘘じゃないよ。やっぱりお盆だからかな? みんなメイちゃんに道を訊いてるよ」
「何でぇ!? 迷わないようにするための迎え火じゃないの!?」
「それは昨晩のことだから……遅刻しちゃったのかな…?」
「何じゃそりゃあ!? ちゃんとキュウリに乗れよ!」
大声を出しながら、まるでハエでも払う様に体の周囲を手でパタパタさせている。しかしその程度で『霊』が祓えたら黒亜の出番はないのである。
「別に『悪霊』じゃないから平気だよ」
「じゃあわざわざ言わないでよ! 気になっちゃうでしょが!」
そこで芽衣はピタリと動きを止めた。
「ねぇ、さっき『今日は』って言った?」
「うん」
「もしかして普段も…?」
気付いちゃったか。
「普段は1、2体だから」
「!?」
特に何かあるわけでない、ただの無害な『霊』なのでいちいち指摘などしないが、芽衣は割と『霊』に好かれる体質らしく、煙羅亭に来る時は大抵、何かしらを連れてきている。
「そういうのは言って! てか今着いてるのどうにかしてよ!」
「放っておいたら勝手にいなくなるから大丈夫だよ。……あ、もうこんな時間」
テーブルに置いていたスマホの時計を見た黒亜は、席から立ち足元のトートバッグを手に取った。
「じゃあ、今日はこの後予定あるから。またね」
「このタイミングで帰るの!?」
「金村さん、お代はここに置いておきますね」
テーブルにお金を置くと、芽衣の叫びを無視して、黒亜はスタスタと店の出口へ向かった。
「気にしすぎはよくないよ。じゃあね」
にこりと微笑み軽く手を振ると、黒亜は店を後にした。
「じゃあね、じゃないよおおおお!!!」
この後しばらくしてアリアが煙羅亭にやって来たが、この日の芽衣はいつもより大人しかったらしい。
<ウラバンナ、終>




