森と井戸と 4
本作はえきちー(@EkitaiT)の名前で、カクヨムにも掲載しております。
喫茶“煙羅亭”
その店内の奥にあるテーブル席に、2人の女性が座っていた。
一人は襟崎芽衣。
この煙羅亭でアルバイトをしている神無高校に通う女子高生。
普段は底抜けに明るい性格で、茶髪のポニーテールを揺らしながら喧しく喋る彼女だが、今は俯きながら、何かに怯えた様子で無言で座っている。
そしてもう一人は、いつものゴスロリ衣装に身を包んだ黒い女性、夕川黒亜……ではなく、白いワンピースを着た、腰まで届く長い金髪と碧眼の外国人女性――アリア・エルフィンド。
彼女は芽衣や黒亜と同じく、オカルト専門相談サイト【奇々怪々】のメンバーである。そして、黒亜と小学校時代からの幼馴染でもあった。
アリアも、何かを考えるように静かに目を閉じている。
重い雰囲気と沈黙が支配するテーブルには、芽衣の前にアイスコーヒーが、アリアの前にはアイスレモンティーが置かれている。
2種類の香りが漂う店内に、他の客の姿はない。いつもの年季の入ったレコードから流れる陽気なジャズ音楽は、今の2人の間に流れている空気に対してあまりにミスマッチしていた。
時折、カウンターの奥で作業をしている店長の金村が鳴らす作業音が聞こえてくる中、アリアは閉じていた目を開け、芽衣の様子を見ながら、ここに来るまでのことを思い出した。
およそ1ヶ月前から滞在していた、生まれ故郷であるイギリスから戻って来たアリアは、時差ぼけによる眠気を感じながら、大きなスーツケースを転がして煙羅亭に向かっていた。
その途中で、信号待ちをしていた見知った女子高生、芽衣を発見したアリアは、久しぶりに会う彼女に挨拶をしようと近付いた。
だが、近付くに連れ、芽衣の様子がおかしいこと気付く。
常にスマホを片手に持ち、暇があればその画面を覗いて情報収集している彼女が、まるで死人の様な顔で俯いて立っていた。
かと思いきや、ゆっくり顔を上げた芽衣は、焦点の合っていなさそうな目で正面を向き、のろのろと横断歩道を渡り始めたのである。
信号が赤なのに。
そのとき、ちょうどタイミング悪く、大型トラックが走って来た。
道幅が広い道路なので、大型車でもスピードが出しやすい。
一方、横断歩道をゆっくりと歩く芽衣はそのトラックに気付いていない様子であった。
このままではトラックが気付きブレーキを踏んだとしても、芽衣は確実にトラックに轢かれてしまう。持っていたスーツケースを放り出したアリアは全速力で走り、芽衣の腕を掴んで後ろへ引っ張った。
間一髪。
あと1秒でも遅れていたら、芽衣はトラックに跳ねられ、おそらく即死していただろう。
何故こんな大通りを軽率に信号無視しようとしたのか。
「ちょっとメイ! 一体何をしてるの!?」
普段は温厚なアリアだが、今回はさすがに怒った。
危うく死ぬところだったのだ。
「アリア…?」
呆然と呟き、仰向けに倒れたままアリアを見上げる芽衣に、彼女は手を差し出した。
アリアの手を取って立ち上がった芽衣の顔は、近くで見ると本当にあの芽衣なのか、と思うほどに印象が変わっていた。
窶れ、憔悴し、あらゆる気力の失われた目。
まるで自殺志願者のような、生への諦めが見える、希望を喪失した眼差し。
何故あんな行動をしたのか、と叱り、問い質そうとしていたアリアは、その芽衣のただならぬ様子に怒りの感情が急速に萎み、代わりに気遣わし気に何があったのか訊こうとした。
「メイ…? 何かあった――」
「うわあああああああああああああ!!!!!!!!」
だが、彼女が尋ねる前に、漫然とアリアを見ていた芽衣は、急に目から涙を溢れさせると、アリアの胸に飛び込み、大声を上げて号泣し始めたのである。
驚いたアリアだが、まずは何も訊かず、とにかく芽衣の背中を摩り、頭を撫で、そして抱き締めた。
やがて、号泣は嗚咽へと変わり、多少なりとも芽衣が落ち着いたところで、アリアは彼女を連れて煙羅亭に来たのであった。
「メイ。少しは落ち着いたかしら?」
目を赤くしながら小さく頷く芽衣に、アリアが続けて問いかける。
「何があったのか、話してもらえる?」
黙り続ける芽衣を急かすことはせず、アリアは彼女が話し出すのを待った。
からん、と溶けたアイスコーヒーの氷がグラスに当たり、涼やかで静かな音が鳴る。
これが合図だったかのように、芽衣はぽつり、ぽつりと話し始めた。
2日前から今に至るまでの、彼女の身に起こっていることを。
その語り口は淡々としており、抑揚もない。内容は断片的な部分もあり、間の空くシーンもあった。アリアは時々、うん、という相槌を入れながら、ただ静かに芽衣の紡ぐ言葉を聞いていた。
やがて、事の経緯を語り終えた芽衣は、再び人の形をした置物の様に沈黙した。
からん、とアイスティーから音が響く。
話を聞き終えたアリアは、様々な思考を巡らせる。脳内に言いたいことが山の様に浮かんだが、まずは芽衣に一番かけなければならない言葉をアリアは口にした。
「よく一人でがんばったわね。もう大丈夫よ」
芽衣が顔を上げる。
てっきり怒られるものだと思っていたのだろうか。やや目を見開いてアリアを見るその表情には、意外そうな、少し驚いた様子が感じられた。
確かに、何故“怪異”を相手にそんな軽率な行動を取ったのか、黒亜や他のメンバーがいるときに動かなかったのか、と詰問し、叱責することもできた。
だが、今の芽衣の状態を見て、そんな言葉を彼女に投げられるほどアリアの性格は鬼ではないし、そういった台詞は全て終わってからでいい。
起こってしまったことはもう仕方がない。
今、アリアが芽衣に掛けるべきは、起こってしまった“怪異”の現象に対して2日間耐え、生き延びてくれこと、それに対する労いの言葉である。
優しく微笑むアリアは、芽衣に再度確認した。
「それで、ココに連絡したけど繋がらなかったのね?」
「うん……」
黒亜は所用で実家の山形に帰っているという。
なるほど、と事情を把握したアリアは、スマホを取り出しどこかへ電話を掛け始めた。
「……こんにちは、アリア・エルフィンドです。おばさまですか? お久しぶりです! ……はい……はい……ええ、元気にしておりますわ。今日ロンドンから戻ってきたばかりです――」
どこに電話しているのか不思議そうにしている芽衣を横目で見ながら、アリアは話を続ける。
「とこでおばさま、今そちらにココはいらっしゃいますか? ご実家に帰られているとお聞きしたのですが――」
アリアが電話を掛けた先、それは山形にある黒亜の実家であった。
黒亜の実家は山奥の辺鄙なところにあり、この令和の時代になっても未だにスマホの電波は届かない。
そのため、実家に戻っている黒亜に連絡を取るためには、彼女の実家の固定電話に掛けるしかないのである。
これは黒亜の幼馴染だからこそ知り得る事情であった。
「はい、緊急の用件で……お願いします……あ、ココ? 久しぶり! ……ええ、今日日本に戻ってきたの! そしたらココは実家に帰っているって……ええ、積もるお土産話はたくさんあるのだけど、それよりも今電話したのは緊急の用があるからよ。メイが危ないわ」
そしてアリアは芽衣から聞いたことを話した。
黒亜がいない時に神無山へ行ったこと、そこで不気味な“井戸”を見つけたこと、それから芽衣が不吉な夢を見たこと。そして。
つい先ほど、彼女が死にかけたこと。
芽衣の視線を肌に感じながら、アリアは黒亜に事情を説明した。
それからアリアはスマホを耳元から離すと、画面をタップしてテーブルの真ん中に置いた。
『メイちゃん、聞こえる?』
スピーカー越しに聞こえる、黒亜の声。
「ココ、ちゃん?」
変化のなかった芽衣の表情が、今にも泣き出しそうに歪み出す。
『…………』
通話越しの沈黙。そして息が吐かれる音。
芽衣が身体を震わせる。
次に、黒亜に何を言われるのか、身構えているのだろう。
『……無事で良かったぁ』
「え…?」
今度こそ叱られると思っていたのか、スマホから流れた黒亜の気が抜けるような安堵の声に、芽衣がきょとん、とした顔になる。
『もちろん、言いたいことはたくさんあるよ? それはアリアもだろうけど。でも何より、生きててくれて良かったよ……』
本気で芽衣を心配する黒亜の声色に、芽衣が再び顔を俯かせる。
「ごめん、なさい……」
消え入りそうな声に乗る、芽衣の謝罪。
その暗い声を聞いた黒亜は、電話越しに謝罪を返した。
『私も謝らないと。電話の件、こっちに来るとスマホには繋がらなくなるってちゃんと伝えておくべきだった。ごめんなさい。これは完全に私のミス』
でも、と。
『それはそれとして。そっちに戻ったら、ちゃんとお説教はするからね』
「う……はい……」
「ふふっ」
そんな2人のやりとりを見聞きしながら、アリアが笑いをこぼす。
黒亜が芽衣を叱るなら、自分が怒る分も彼女にお願いしておこう。そうすればもう、そのことについて自分が何か言うことはない。
怒った黒亜はその辺の“怪異”などよりよほど怖いのだ。アリアはそれをよく知っている。
『でもまずは、私がちゃんとメイちゃんにお説教できるように、その“怪異”を何とかしないとね』
こうして3人の作戦会議が始まった。
【奇々怪々】の掲示板で話題になっている“神無山の井戸”については、以前にも芽衣から話を聞いていたらしく、黒亜も大まかには内容を把握していた。
それに加えて、芽衣が実際に受けたその“怪異”からの被害の内容を足し合わせて考えた黒亜は、こう結論付けた。
『それは“呪い”だね。呪いの“怪異”だよ』
“怪異”には大きく分けると2つの種類がある。
一つは『悪鬼』や『悪魔』などのわかりやすい“霊的な存在”がいて、それらが『縄張り』などを生み出し、人間に危害を及ぼすタイプ。
そしてもう一つは、物や場所などに残った強い“念”が時間を経て“呪い”へと変貌したタイプ。
このタイプは『縄張り』を生み出したりはしないが、代わりに“見る”や“聞く”あるいは“触れる”などといった、その個々の“呪い”特有の発動条件を満たすことで実害を被ってしまう。
黒亜の考えとしては、芽衣に害を成す“神無山の井戸”は『その“井戸”を見る』あるいは『その“井戸”が存在する場所に行く』が“呪い”の発動条件だったのだろう、とのことだった。
アリアも経験がある。このタイプの“怪異”は厄介なものが多い。
その“呪い”の元凶は何なのか、何が引き金となって牙を剥いたのか、何をすれば止めることができるのか。
“呪い”とは人間を殺すための“システム”だ。
あるいは“プログラム”と言い換えてもいい。
一度発動したら、対象を殺すまで機械的に動き続ける、あるいは動かし続けなければいけない“仕組み”
そこには何の感情もなく、ただ淡々と、対象が死ぬまで同じことを繰り返す自動的な反復性が存在するだけ。
芽衣は今、そのシステムの中に“殺されなければならない対象”として組み込まれてしまっているのであった。
では、芽衣を襲っているこのシステムを止めるためにはどうすればいいのか?
これには黒亜もアリアも、すでに見当がついていた。
「大元を“祓う”しかないわね」
『うん、私もそう思う』
この“呪い”はとても単純だ。
その“井戸”を見た者、あるいはその“井戸”のある場所に行った者を殺害対象として選び、その人物にしか見えない“井戸”の分身を事あるごとに晒し、対象を精神的に弱らせる。同時に“井戸”の蓋を徐々に開けて、半分以上開いたところで、弱らせた人間を捕食する。おそらく、そんなところだろう。
なので、止めるためには神無山にある“井戸”の本体を祓えばよい。
「でも、かなり強力な“呪い”よね、この“神無山の井戸”って。何で今まで見つからなかったのかしら?」
アリアが素朴な疑問を口にする。
本来“呪い”とは、強力な負の念を用いて何週間、何ヶ月、あるいは何年という時間をかけて対象を死に至らしめるものだ。
それを、この“神無山の井戸”はたった1日2日で成し遂げてしまう。
“怪異”にしても異常な早さであり、それだけ“井戸”に溜まった負の念が凄まじいということを示している。
『掲示板には、その“井戸”のある場所に行くための道が見つからないとか、道はあっても“井戸”なんてなかった、って話も書き込みがあったみたい。メイちゃんには話したけど、ほんとに遠野物語拾遺の『淵と沼と』の話みたいだよね』
なるほど、とアリアは頷いた。
『神無山の登山道はよく散歩しているが、そんな獣道はない』
『途中で正規ルートとは違う荒れた道があったが、その先はただの行き止まりだった』
つまり、この“怪異”は巧妙に姿を隠しているということだ。
あるいは、何かしらの波長が合った人間しか襲わないのか。
いずれにせよ、人々は以前から少しずつ、この“怪異”の被害に遭っていたようだ。
「ところでメイ、今もまだその“井戸”は見えるかしら?」
2人が話している間、ずっと黙っていた芽衣にアリアが問いかけた。
芽衣は視線だけを動かし、店内と、窓から見える外の路上を確認する。
「……ううん、いない」
「そう、それはよかったわ」
答えた芽衣の首には、アリアが首から下げていた大きな十字架が掛けられていた。
2人が煙羅亭に来る途中、只事ではない何かが芽衣の身に起こっていると直感したアリアは、自身が身に着けていた十字架を芽衣の首に掛けていたのであった。
どうやら効果はあったようだ。
「どうする? 今から神無山に行った方がいいかしら?」
善は急げ、という言葉もある。
アリアは黒亜に訊いてみた。
『うーん……早く“怪異”をどうにかしたい気持ちはわかるけど、まずはメイちゃんの体力と気力の回復を優先した方がいいかな。うん、メイちゃんには今夜一晩、ぐっすり眠ってもらおう。そして明日、神無山を案内してもらう方がいいかも』
確かに。
“井戸”の本体を探しに行くなら芽衣の案内は必要だが、さすがに今の状態の彼女を連れていくのは酷な話だ。話を聞く限り、もう二晩はまともに寝ていないのだろう。
「え……」
だが、この提案に芽衣が難色を示す。
眠れば“井戸”に殺される。
すでに殺される一歩手前までの体験を夢の中でしているのだ。当然の反応と言えよう。
そんな不安げな芽衣の呟きが聞こえたのか、黒亜がなんてことはないという調子で芽衣に話しかけた。
『メイちゃんもよく知ってるでしょ? そこにいるのは私が信頼する幼馴染で大親友。そして【奇々怪々】最強の“祓魔師” アリア・エルフィンドだよ?』
その芝居がかった台詞に、アリアからくすくすと笑いがこぼれる。
『というわけでアリア、メイちゃんのことお願いできるかな? 私、あと数日はそっちに戻れないから』
「ええ、もちろんよ。任せて! メイ、今夜は爆睡させるから、覚悟しなさい」
黒亜のお願いを快く引き受けたアリアは、自信あり気に芽衣へウィンクを飛ばしたのであった。
<続>




