第8話 秘密の浄化、騎士の胸のざわめき
騎士棟では、深夜になってもレオンと沙弥が戻らないことで、ちょっとした騒ぎが起きていた。
「ケントには知らせるなよ。今から探しに行くと言い出しかねない」
「なんでわざわざ魔の山なんか見に行ったんだ……?」
「とりあえず朝まで待つしかないな」
朝になり、いよいよ捜索隊を出すべきかと話し合っているところに二人が戻ってきた。
「何があったんだ?」
「少々トラブルがあった。後ほど報告するが、まずはサーヤを寮に送る」
それ以上は語らず、レオンは沙弥を連れてその場を離れた。部屋の前で沙弥に言う。
「昼までは部屋で休んでいろ。俺は報告に行く。午後は診療所だ」
「承知しました。……あの、本当にありがとうございました」
深く頭を下げる沙弥に、レオンは一瞬だけ言葉を詰まらせた。
「……礼など要らない。君の体質を見誤った。すまなかった」
「そんなの、わかるわけないです。気にしないでください」
まっすぐに返され、レオンはわずかに視線を逸らした。
「……ありがとう。では、昼に」
踵を返し、そのまま去っていった。
(……「ありがとう」って、初めて言われたかも)
部屋に戻り、ベッドに身を沈めながら沙弥は思う。無愛想で、ぶっきらぼうで、最初は印象がよくなかった。
でも……
(ちゃんと話せば、ちゃんと応えてくれる人なんだ)
呼び方も直してくれたし、無理強いもしてこない。
(冷たい人じゃない)
そう思ったところで、急激な眠気に襲われ、そのまま眠りに落ちた。
◇◇◇◇◇
「……というわけで、魔の山の麓には瘴気が下り始めています」
レオンは大臣と騎士団長たちを前に報告をしていた。
「観測所の数値は?」
「軽度の上昇にとどまっています。通常なら健康被害は出ないレベルです」
「では、勇者の姉が特異体質か」
「その可能性が高いかと。……ただ、あの程度で命に関わるとは想定していませんでした」
レオンがわずかに眉を寄せる。
「王都にも流入する可能性はある。対策は必要かもしれんな」
「診療所と相談します。午後には連れて行く予定です」
「同行がレオンで助かったな。浄化魔法を使える者は少ない」
「……恐縮です」
短く答えながらも、内心では別の思考が巡る。
(……間に合わなければ、危なかった)
その事実だけが、胸の奥に重く残っていた。
◇◇◇◇◇
目が覚めると、すでに日が高くなっていた。急いで支度を整えていると、レオンが迎えに来た。
昼食を済ませたあと、庁舎内の診療所に連れて行かれた。
「やぁ、君が噂の異世界のお姫様かい?」
白いもじゃもじゃ頭に黒縁メガネをかけた初老の男が、値踏みするような視線を向けてくる。アーロン・カルリオンという名でこの診療所の所長だが、レオンの事前情報によると、かなりの変人らしい。
「……サーヤです」
「ふむ。今は問題なさそうだね。レオンの処置がよかったんだろう」
さらさらとカルテに何かを書き込む。
「呼吸器までやられていたと?」
「ああ」
「ほう……それはそれは」
楽しそうに笑うその様子に、沙弥はほんの少しだけ身構えた。
「呼吸器に入った瘴気は厄介でね。同じ経路から魔力を流さないと、完全には抜けない」
「それで、今後はどうすれば?」
「予防だね。瘴気に弱いなら、定期的に浄化をかけるのがいい」
そう言って、にやりと口元を歪める。
「レオンがやるかい? 私も浄化魔法使えるけど、どうかな?」
どうかな? と聞かれても判断できない。問うようにレオンを見上げる。
「……こいつに任せると、余計なことをしそうだ」
「そんなことは……しないよ。たぶん」
(「絶対」じゃなくて、「たぶん」……?)
「……レオンさんに、お願いしてもいいですか?」
「ああ、構わない」
「残念。それじゃあ任せたよ」
◇◇◇◇◇
翌日……。
「浄化魔法をかける。準備はいいか」
「はい」
沙弥は迷わず頷いた。とはいえ……
「服を脱いでもらってもいいかな?」
「……はい?」
「下着はそのままでよい」
そういえば、魔の山でも服を脱がされていた。
(……いや、落ち着け。医療行為、医療行為)
軽く息を吸って、気を取り直す。
「……わかりました」
素直に従うと、レオンは少しだけ視線を逸らした。
「手だけを使う方法と、全身で行う方法がある」
「違いは?」
「魔力は接触面積が広いほど効率よく流れる。全身のほうが短時間で済む」
「じゃあ、そちらで」
そう答えるとレオンは一瞬だけ動きを止め、服を脱ぎ始めた。
(……これが最善だ)
そう自分に言い聞かせるように、静かに息を吐いた。
ベッドに横たわると、レオンが身体を重ねるように覆いかぶさる。
距離が近い。体温も、呼吸も、はっきりと感じる。
(……近いな)
思わずそう感じるが、同時に理解する。
(これは治療。仕方ない)
そう、病院でも似たようなことはあるんだろう……たぶん。
病気になったことがないから知らないだけで……。
レオンの手が触れるたび、わずかに身体が反応する。くすぐったいような、不思議な感覚。手だけではなく身体からも、魔力が流れてくるのがはっきりとわかった。
やがて、裏返され、背中側も同様に処置される。そして……再び仰向けにされた瞬間。
「……動くな」
低く命じる声はわずかに硬かった。
(……これが最短だ)
唇が重なった。
(……必要な処置だ)
レオンが自分にそう言い聞かせるのに、わずかな時間を要した。
(……え?)
一瞬だけ沙弥の思考が止まる。だがすぐに、口内に流れ込んでくる熱を感じた。
(……これ、か)
昨日の診療所での会話がよぎる。
(呼吸器の浄化……)
――同じ経路から魔力を流さないと、完全には抜けない。
理解した途端、力が抜けた。
(……なるほど。合理的)
妙に納得してしまう。
(レオンさんに任せておけば、間違いないんだろうし)
三十分ほどで処置は終わった。
レオンはわずかに息を乱している。立ち上がろうとしたその腕を、沙弥はそっと掴んだ。
「少し、休んでいってください」
そのまま軽く引く。レオンは一瞬だけ身体を強張らせたが、抵抗はしなかった。
汗ばんだ身体からレオンの香りが立ち上る。甘さのあるウッディな香りで、沙弥には好ましく感じられた。
「……顔に出てますよ」
「そうか」
「魔法って疲れるんですね」
「浄化は、特にな」
短く答える声が、少しだけかすれている。
「すみません。護衛の仕事でもないのに」
「いや、護衛対象の安全確保は護衛の仕事だ。それより……君の方が、不快だろう」
「驚きましたけど、不快ではないです」
迷いのない声だった。
「必要なことなら、気にしません」
レオンは何も言わない。ただ、視線をわずかに伏せた。
(……やっぱり優しい人だ)
あの医者に任せればどうなるか、わからない。だから引き受けてくれたのだろう。
(気を遣ってくれてるんだ)
そう思うと、少しだけ安心した。
「あの……ひとつ聞いてもいいですか?」
「なんだ」
「呼吸器の浄化って、あの方法じゃないとダメなんですか?」
「……あれが、一番効率がいい。嫌なら別の方法もあるが」
「いえ、大丈夫です」
これ以上我儘を言うつもりはない。
「ただ……」
一瞬だけ言葉を選ぶ。
「このこと、賢斗には内緒でお願いします」
「……ああ」
レオンが短く、しかしはっきりと頷いた。
「間違いなく騒ぐ」
「ですよね……」
小さく笑う、その表情を見て、レオンはほんのわずかに目を細めた。




