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ルーキスの太陽 ~異世界の境界線、その手を離さない~  作者: 如月菫
第三部 それでも恋は、終わらない
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第75話 狂気と絶望の狭間で、再生の朝

 ある夜……。


 沙弥は仕事から戻り、くつろいでいた。

 そこにドアを叩く音。


(誰だろう? オーブリーさんかな?)


 ドアを開けると、レオンが立っていた。訓練場での光景を思い出し、一瞬ひるむ。

 だが、笑顔で取り繕う。


「レオンさん、お久しぶりです」


 レオンは、何かに迷っているように見えた。


「どうされました?」

「サーヤ」

「はい?」


 そう答えた瞬間、レオンは苦しげな表情で沙弥に手をかざした。すると、沙弥はその場に崩れ落ちた。レオンがそれを受け止める。


「サーヤ、すまない……。こうするより他に、思いつかなかった」


 レオンが沙弥にかけたのは睡眠魔法だった。眠った沙弥を抱きかかえ、レオンは戻ってゆく。

 廊下で、同じフロアのエミリアとすれ違った。


「レオンさん、こんばんは」

「ああ」

「サーヤさん、どうされたんですか?」

「問題ない」


 レオンはそう言って立ち去った。

 エミリアは一旦部屋に戻ったが、どうにも気になって仕方がなかった。


 レオンが抱いている沙弥は意識がなかった。沙弥の具合が悪いのなら、レオンがあんなに落ち着いているはずがない。

 それに、レオンはもう護衛ではないし、二人の仲は終わったはず……。


 嫌な予感がした。


(どうしよう……)


 そうだ。騎士団の詰所なら、この時間でも誰かいるだろう。

 そう思って詰所まで走る。そこにレオンはいなかった。


 レオンが意識のない沙弥を抱いてどこかへ行った。そう告げると、詰所にいた騎士たちがざわめいた。


「そのへんを探してみろ」

「オーブリーを呼んでこい」


 やがて、レオンが沙弥を抱えたまま、馬車でどこかへ行ったということだけわかった。


「どこへ行ったと思う?」


 団長がオーブリーに問う。


「二人で行ったことがあるところでしょうか。レルナか、ヴルカリスか、アズラークか……」

「それじゃ、各地の警備隊に捜索を要請しよう」

「俺はアズラークに行ってみます。レオンは、初めて見た海にとても感銘を受けていたようなので」


 海の広大さを、夕日の美しさを、普段は何かに関心を持つことの少ないレオンが熱心に語っていた。


                ◇◇◇◇◇


 夜明け前、レオンは海岸に立っていた。沙弥を抱いたまま。


 馬車はそのまま王都に帰した。もう自分は戻ることがない王都に……。


 御者は異変に気づいていた。あの騎士は、意識のない娘を抱いて、ずっと話しかけていた。すまない、すまない、と謝っていたように思う。

 明らかに、何かがおかしかった。


(何とかして王都に知らせなければ)


 警備隊の基地に向かおうとしたところ、馬に乗った騎士に出会った。オーブリーだった。御者は自分が目にしたことを伝え、二人を降ろした場所を教えた。オーブリーは馬を走らせた。


                ◇◇◇◇◇


 レオンは膝まで水に浸かっていた。時折、波しぶきが顔にかかる。


「サーヤ、そろそろ起きろ」


 沙弥の瞼がわずかに揺れた。だが、目は覚さない。


「空が綺麗だぞ。君は綺麗なものが好きだろう?」


 レオンはそうして、変わりゆく空の色を見つめていた。

 やがて、沙弥が目を覚ます。


「レオンさん?」

「目が覚めたか」

「ここは……?」

「アズラークだ」


 確かに、波の音が聞こえる。すぐそこに。

 あたりを見回し、なぜかはわからないが、自分がレオンに抱かれて海の上にいることがわかった。


 昨夜、レオンが部屋に来た。ドアを開けて……その後の記憶がない。


(何をされたの?)


 不安になる。そして、レオンの顔を見る。

 恋人だった頃の柔らかな表情はどこにもない。出会った頃の仏頂面とも違う。

 完全に感情をなくした顔だ。


(怖い……)


 初めて、レオンを本気で怖いと思った。そして……。

 その瞳を見たとき……理解した。


(この人は、壊れているのかもしれない)


 もう一度、レオンの顔を見る。その瞳に宿っているのは……狂気なのか絶望なのか……。


(きっと、私のせいだ……)


 罪悪感がこみ上げた。

 あんなに好きだった人を、急に拒絶して、遠ざけて、心を壊してしまった。


「どうしてここに?」

「また、君と一緒に海が見たかった」


 そう言われた瞬間、レオンと一緒にアズラークに来たときのことを思い出した。

 夜の海に魔獣が潜んでいそうだと言っていたレオン。島で拗ねていたレオン。夕日の美しさに感動していたレオン。海の青さと君の笑顔を忘れないと約束してくれたレオン。どれも、大切な思い出。

 大好きだったこの人の手を、なぜ離してしまったのだろう。


 そこで、ふと気づいた。


(ああ、そうか。私も……壊れていたんだ……)


 帰れなかったショックで、すべてをレオンのせいにした。自分だって悪かったのに。

 すべてを捨てても日本に来ると言ってくれたのに……。彼がどんなに私を必要としているか、わかっていたはずなのに……。

 レオンとの思い出も、彼に守ってもらっていたことも、彼を大好きだったことも、すべてなかったことにして、彼を恨み、突き放した。

 そうすることでしか、心を保てなかった。


 そうして、彼を壊した……。


 それが、私のしたかったこと?


(違う……)


 こんなふうになったレオンを見たかったんじゃない。

 この人が好きだ。今でも……。


(彼が、ここに連れてきてくれたから、思い出すことができた。大切なことを)


「これからどうするんですか?」

「帰らない」


 レオンはそう言った。その声には迷いがなかった。


「どうして?」

「帰れば、君はいなくなるから」


 そのとき……。


「レオン!」


 オーブリーだ。


「戻ってこい!」


 レオンは振り返らない。


「君は、帰りたいか?」

「……はい」

「……ならば、オーブリーと一緒に行け。俺はこのまま……」

「いいえ。レオンさんと一緒に帰ります。帰ってからも、レオンさんと一緒にいます」

「だが、君はもう俺を嫌いだろう?」


 その言葉に、胸が締め付けられた。

 言われなければわからず、言葉を欲しがるこの人に、「許さない」と言い放った。

 どれだけ傷ついたのだろう。


「嫌いになんか、なれません。ただ、怖かっただけ」

「なぜ?」

「あなたが、日本に帰してくれそうになかったから」

「今度は、ちゃんと帰す」

「本当に? 片道の転移陣が完成したら帰りますよ?」

「そのときは俺も一緒に行く。今度こそ……」

「それはダメです。レオンさんは、往復転移陣が完成したら会いに来てください」

「それまでは離れるのか?」

「きっと、数ヶ月か、半年か、一年くらいです。それだけでも離れていられませんか? どうしても、帰りたくないですか?」

「……王都に戻る」

「……それがいいです」


 そう言って、レオンの頬に唇を寄せた。

 それでもレオンは何も言わない。微笑まない。海を見つめたままだ。

 ただ、沙弥を抱く手に力が込められた。強すぎるほどに……。


「おろしてください」

「ダメだ。濡れてしまう」


 オーブリーがいる砂浜に戻る。


「何やってるんだ! レオン! みんな心配してるぞ」

「すまない……」

「……正気に戻ったか」

「俺は正常だ……ただ、耐えられなかっただけだ」

「オーブリーさん、もう大丈夫です。王都に戻ります」

「そうか……」


(私が壊したなら、私が治す)


                 +++++


 夜通し駆けてきたオーブリーを休ませるため、騎士団に連絡を入れた後、その日はアズラークに泊まることにした。

 二人きりになると、沙弥はレオンを抱きしめ、何度も「大好きです」と伝えた。

 感情のなかったレオンの顔が、少しだけほどけた気がした。


 夕方、三人であの浅瀬の海岸に行き、夕日を眺めた。オーブリーも、その美しさに驚いていた。


 翌日、馬車を手配し、三人は王都に戻った。


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