第73話 取り残された姉、拒絶のあとに残る静寂
光が、消えた。
それまでそこに確かにあった存在が、音もなく、跡形もなく消え去る……ただそれだけのことが、どうしてこんなにも世界を歪めるのか。
誰も、すぐには動けない。誰も、言葉を発せない。
……勇者は、帰った。
その事実だけが、遅れて場に沈んでいく。
沙弥の視界は、ひどく曖昧だった。
音も遠い。ただひとつ、確かなものがある。
背を抱く腕の重さ。それだけが、やけに鮮明だった。
「……賢斗」
名を呼んでも、もう応えはない。
置いていかれたのだと、遅れて理解する。
すすり泣く沙弥の耳元でレオンが囁く。
「すまない、サーヤ」
それは謝罪であり、同時に告白でもあった。
「どうしても……手放せなかった」
「許さない……」
「サーヤ?」
「帰りたいと言ったのに……離してくれなかった」
「すまない。どうしても、離れたくなくて」
伸ばされたレオンの手から逃げる。
「あなたと一緒にいたら、私は一生帰れない」
「サーヤ、そんなことを言わないでくれ」
「もう、あなたとは、いられません」
オーブリーの背中に隠れる。
レオンは呆然とした表情をしている。
「オーブリーさん、私はどうすれば……?」
「とりあえず、大臣と話をしよう」
大臣のところに連れて行かれる。
「帰れませんでした。帰りたかったのに……。御子息が離してくれなかったせいで」
「申し訳なかった」
「また、同じ部屋に戻っていいですか?」
「ああ、鍵を持ってこさせよう」
大臣が従者に指示を出す。
「仕事もしたいです」
「それは、こちらも助かる」
「片道の転移陣が完成したら、帰りたいです」
「承知した」
「それと、護衛はもう要りません」
「そうだな。今後は、オーブリー君が力になってくれるか?」
「承知しました」
「サーヤ……。何を言っている?」
「レオンさん、今まで、本当にお世話になりました」
「サーヤ……?」
「……ありがとうございました」
深々と頭を下げた。
そこに、部屋の鍵が届いた。
「部屋まで送るよ」
オーブリーが荷物を持ってくれる。
歩き出した二人の背中を、レオンが呆然と見つめていた。
◇◇◇◇◇
「お茶を飲んでいかれませんか?」
「ああ、もらうよ」
オーブリーを部屋に招き入れる。
誰かに話を聞いてほしかった。
「レオンのこと、許せないのか?」
「少なくとも、今は……」
「でも、好きだったんだろ?」
「もちろん。でも、最初からわかっていたことですから」
「終わりが来ると?」
「はい。レオンさんも、わかっているとばかり……」
帰るなと言われたのは、酔いつぶれていたときだけ。
だから、本心では帰ってほしくないのだろうとは思っていた。
それでも、はっきりと口に出したことは一度もなかった。
「土壇場になって、失いかけて、怖くなったのかもしれないな」
「二人とも、目を背けていたのが悪いんですね。ちゃんと、別れの日について話したことがなかったので」
「そうか……」
「離れたくないと言ったのも、日本に来ると言い出したのも、転移陣が二年で完成するというのも、全部最後の土壇場だったじゃないですか。考える時間なんかなくて……。どれも、もっと前に話し合っていれば、最善の道を見いだせたかもしれないのに……」
(私が賢斗と一緒に帰って、二年後にレオンさんに日本に来てもらうことだって可能だったのに。そんなことを検討する時間すらなかった)
「そうだな……」
「賢斗も悪いんです。私が残る方を選ぶと思うなんて」
「ケントがサーヤの気持ちを読み違えるなんて、珍しいな」
「ですよね……二年は長すぎるのに」
「これからどうするつもりだ?」
「人事に行って、仕事を紹介してもらいます。帰れる日まではこちらで生活しないといけないので」
「レオンに頼る気はないんだな?」
「はい……あの人とは、もう無理です。一緒にいたら、帰れない気がして……」
「……そうか」
帰り際、オーブリーが沙弥に言う。
「……俺にできることがあれば、言ってくれ」
レオンに頼れない今、その言葉がとても心強かった。




