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ルーキスの太陽 ~異世界の境界線、その手を離さない~  作者: 如月菫
第三部 それでも恋は、終わらない
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第71話 絶望する騎士へ、掟破りの招待状

 ……その日が、来た。


 今夜、沙弥と賢斗は日本へ帰る。

 時刻は午後十時。人目を避けるための配慮だった。


 沙弥は、朝から荷造りをしていた。来たときよりも、ずいぶん荷物が増えている。

 バッグも、ひとつでは足りなかった。それでも……


(思い出は、入りきらない)


 どれだけ詰め込んでも、足りない。

 レオンと過ごした日々は、どこにも収まらない。


 別れの挨拶は、昨日のうちに済ませた。

 ダニエラも、ヘンリクも、課の人たちも……

 皆、惜しんでくれた。その優しさが、かえって胸に重かった。


 手を止め、ふと口を開く。


「レオンさん」

「どうした」

「そのシャツ……いただいてもいいですか?」


 彼が部屋に来るたびに着ていた、あの部屋着。

 一緒に選んだもの。高価ではないけれど、大切なもの。


 レオンはわずかに視線を落とす。


「なら、洗浄魔法を……」

「かけないでください」


 遮る。


「そのままがいいんです……」


 一瞬、言葉に詰まる。


「……あなたの香りが、残っているほうが」


 言った瞬間、胸が軋んだ。


「できるだけ、ぎりぎりまで着ていてください」


 香りは、記憶を呼び覚ます。甘くウッディなレオンの香り。シャツに残った彼の名残が記憶を鮮明に蘇らせるだろう。

 その香りが消え去るまでは……。


                 +++++


「サーヤ……そろそろ行くか」

「……はい」


 その一言が、やけに重かった。

 部屋を出る前。何も言わずに唇を重ねる。長く、深く。

 何度触れたかわからない、レオンの唇。でも……


(これで最後かもしれない)


 そう思った瞬間、離れがたくなる。


                 +++++


 大広間に着くと、賢斗は既に来ていた。

 見送りの人たちも……。

 ダニエラ、ヘンリク、魔導具課の人たち、そして、魔法陣を起動する魔法陣課の課員たち。


 一人ひとりと言葉を交わす。

 賢斗もまた、騎士たちと別れを惜しんでいた。


 最後に、レオンの前に立ち、その手を取る。


「レオンさん」

「ああ」


 それだけで、言葉が詰まる。


「本当に、お世話になりました」


 震えないように、必死に言葉を繋ぐ。


「あなたが護衛だったから、私は今、生きています」


 彼が救ってくれた命……。


「……そんなこともあったな」


 かすかに笑う。

 けれど、その目は……。


「あなたと過ごした日々、絶対に忘れません」

「……俺もだ」


 視界が滲む。


「あなたと出会えて、本当によかった」


 声が、もう持たない。


「ありがとう……」


 最後まで言い切る前に、抱き寄せられた。周囲など、もう見えていない。

 長い口づけ。離れて、ようやく絞り出す。


「……さようなら」


 背を向け、一歩踏み出す。賢斗が待っている魔法陣の中へ。

 そのとき……手首を強く掴まれた。

 振り返ると、レオンだった。


「サーヤ……」


 声が震えている。


「見送れると思っていた」


 一語一語、噛みしめるように。


「思い出だけで……生きていけると」


 握る力が強くなる。


「でも、無理だ」


 その一言で、すべてが崩れた。


「離れられない」


 痛いくらいに、力が込められる。


「離れたくない……!」


 叫びが、大広間に響いた。


 涙に濡れた金の瞳。

 そこにあるのは、取り繕いようのない……絶望。


「私だって……」


 言葉がこぼれる。

 本当は、同じだ。離れたくない。

 でも……


 帰る場所がある。置いていけないものがある。

 この先ずっとルーキスで暮らす覚悟はできていない。


 それでも……

 この手を振りほどくことなど…………。


(できるわけがない)


 答えが出ない。ただ、手を離せない。


「レオンさん」


 そのとき、賢斗が口を開いた。


「姉さんは、俺にとっても大事な人なんです」

「……知っている」

「だから、置いていくことはできません」

「……ああ」


 レオンは、理解している。


「でも、だからこそ……」


 賢斗は続ける。


「レオンさんの気持ちもわかるんです」


 レオンが、顔を上げる。


「離れたくないなら……日本に来ませんか?」


 空気が止まった。


「……俺が?」

「はい」


 迷いのない声。


「騎士の仕事はありません。でも……それでもいいなら」


 常識で考えれば、あり得ない提案だった。

 だが……。


「『日本』に……俺の居場所はあるか?」


 一瞬の静寂。


「作ります」


 言い切った。


「俺が。……何を使ってでも」


 レオンの瞳が揺れる。ほんの一瞬。そして……

 決断する。


「ならば」


 手を、強く握る。


「行く」


 はっきりと言う。


「俺も……『日本』へ」


 沈黙が流れる。誰も、言葉を発しない。

 ただ……その選択の重さだけが、その場に深く落ちていった。


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