第68話 漆黒の宣戦布告、騎士の色を纏う夜
今日は、討伐隊の解散式……そして晩餐会だ。
鏡の中に立っているのは、自分ではないように見えた。
レオンの髪と同じ、漆黒のドレス。深い黒が、静かに身体を包んでいる。
そこに落ちる金のきらめきは、夜に差し込む陽の名残のようだった。
今回もアンナが髪を整えてくれた。
落ち着いた夜会巻きに挿された太陽石の髪飾り。首元のペンダント、手首の腕輪。
黒と金。
指先に触れれば、すべてがひとつの意志で選ばれたものだとわかる。
(……全部、レオンさんの色)
逃げ場のない事実だった。
「これ、どう思われるでしょうか」
問いは、ほとんど独り言に近かった。
「……愛されているのだと」
背後から返る声は、あまりに迷いがなかった。
その言葉は、飾りの一部のように、静かに身に沈んだ。
+++++
会場に足を踏み入れた瞬間、空気がわずかに揺れた。
視線が集まる。
ひとつ、ふたつではない。無数の目が、触れるように寄ってくる。
黒と金。
華やかな色があふれる中で、その色が異質だったのかもしれない。
あるいは……意味が明白すぎたのか。
隣を歩くレオンは、まるでそれを意に介さない。
その歩みは揺るがず、ただ前へと進む。
(……強い)
そう思った。強すぎる、とも。
+++++
「サーヤさん!」
ダニエラが駆け寄ってくる。
軽やかな声が、その張りつめた空気にひびを入れる。
「そのドレス……レオン様からですか?」
「はい」
(やっぱり、ひと目でわかるんだ……)
「どちらのお店で?」
「クレアトリクスというお店です」
「えっ! あそこは、女の子の憧れですよ。すごい……!」
「私は詳しくなくて、全部お任せで」
「デザインも?」
「はい」
「レオン様、センスいいですね!」
「当たり前だ」
レオンがぼそり、と言う。
「でも、私……浮いていませんか?」
「とても目立ってはいますけど、『浮いている』のとは違います」
(やっぱり目立ってはいるんだ……)
ため息を飲み込む。
「ダニエラさんも素敵ですよ。とっても可愛いドレスですね。よくお似合いです」
ピンクのドレスは柔らかく広がり、彼女の雰囲気によく合っている。
淡い色は、この場の空気に溶けている。それが、正しいのだろう。
そこへ賢斗がやってきた。
「……すごいな。それ」
「やっぱり?」
「完全に『自分の色に染めました』って感じ」
(やっぱりそう見えるよね……)
アクセサリーと違って、遠目でも隠しようがない。
できるだけ端っこで目立たないようにしていよう……そう思った、そのとき。
「そのドレスも、レオン様に『ご用意させた』のですか?」
聞き覚えのある冷たい声。振り向くと、アデリーナが立っていた。
開口一番、それだった。レオン色のドレスを見て、何か言わずにはいられなかったのだろう。
「やめろ」
低く、短い声。次の瞬間には、視界の前に背中があった。
完全に遮られる。
「俺が望んだ」
それだけだった。
だが、その一言に含まれる意味は、あまりに明確だった。
黒は、選ばされたものではない。望まれて、与えられたものだと。
「お嬢様、姉さんには近づかないでって言いましたよね?」
賢斗も横に立ち、沙弥をアデリーナの視界から完全に隠した。
「勇者様はなぜお姉様を連れていらしたのですか?」
「そっちが呼んだんだろう」
「ルーキスが迷惑をかけたというのに、何を言っている」
レオンの声が冷える。
「どちらでもよろしいですわ」
アデリーナは微笑んだ。
「どうせ、もうすぐお帰りになるのでしょう? お淋しくなりますわね、レオン様」
「お前……」
沙弥には見えていないが、レオンがアデリーナに憎悪の目を向ける。
そのとき……
「アデリーナ」
ヴィスカルディ侯爵が現れた。
「こちらへ」
「侯爵様、討伐が終わったら約束は反故ですか? 姉に近づけないと……」
「ああ、わかっている。すまなかった」
侯爵はそう言うと、無理やりアデリーナを引っ張っていった。
強引に連れて行かれる。
去り際、侯爵の低い声が聞こえた。
「もう関わるのはやめなさい」
「ですが……あのように全身をレオン様の色で飾るなど……非常識ですわ」
「レオン君が望んだのだろう。お前が口を出すことではない」
それでも、アデリーナは悔しさを隠そうとしなかった。
+++++
「サーヤさん、大丈夫ですか?」
ダニエラが心配そうに戻ってくる。
「はい。何もされていませんから」
「アデリーナ様、かなり執着してますからね……」
「ご存知なんですか?」
「お付き合いはありませんけど、噂は色々と」
声を潜める。
「でも、正直……みんなちょっとスッキリしてるんですよ」
「え?」
「前は『レオン様と結婚する』って言ってましたから」
「……そうなんですね」
「でもサーヤさん、いい人ですし」
屈託のない笑顔。
(それで通る世界じゃないけど……)
観劇のときのことを思い出す。貴族社会は、そんなに甘くない。
「それはそうと、『ディスる』ってどういう意味ですか?」
「『悪く言う』っていう意味です」
「えっ……」
ダニエラが目を見開く。
「サーヤさんがレオン様をディスったって……」
「そうだ、ひどいだろう?」
即座にレオンが乗る。
「俺は生まれて初めて、容姿を否定された」
「否定してません! ダニエラさん、私は『好みのタイプではない』って言っただけなんです」
「えええっ! レオン様が!?」
「そうだ」
どうして、何度もこの話題が蒸し返されるのだろう……。
ルーキスでは、どうやらレオンの容姿が好みでない人間に人権はないらしい。
「姉さん、それ普通に失礼だと思う」
「ケントもそう思うだろ?」
レオンが勢いづく。
(まずい、流れが悪い)
「……今まで言ったことは全部嘘です」
「はっ?」
「レオンさんは、本当は好みのタイプなんです」
「サーヤ……」
呆れた顔……。
「面倒になったからといって、嘘を言うな」
一瞬でバレた!
「……すみません」
余計に悪化した気がする。
「じゃあこうです!」
半ばやけになって言う。
「たとえ不細工でも……」
「俺は不細工か?」
被せ気味に言う。
「違います! 最後まで聞いてください!」
修正しないと……。
「もう見慣れたし……」
言った直後、完全に、間違えたとわかった。
「見慣れた?」
低い声。
(終わった)
「姉さんは失言が多すぎるし、気持ちを伝えるのが絶望的に下手だな」
「ソウデスカ……」
「レオンさん、姉さんが言いたいのは……」
賢斗が落ち着いた声で言う。
「今の見た目じゃなかったとしても好きになっていたし、もし顔に傷がついても気持ちは変わらない。中身が好きだ、ってことだと思います」
完璧な翻訳だった。
「そうなのか?」
「そうです」
「なら最初からそう言え」
「レオンさんが話を最後まで聞かないからです」
「そうか?」
「それに、レオンさんは察しが悪いです」
「はっ!? そんなことを言われたことないぞ!」
「普通、言わなくてもわかりませんか?」
「わからん!」
「姉さん、それ日本人的な感覚だから、この国だと通じないと思う」
(そうかもしれない……)
「私が……言葉が足りないのが悪いんですね」
小さく呟く。
「そうだな。俺も言葉が足りないと言われるが、サーヤほどではないな」
「そのとおりです。私は『変な女』ですから」
(あなたも大概ですけど)
「俺はサーヤの変なところも好きだがな」
「それなら……よかったです」
どうしてこんなところで、こんな会話をしているのか。
しかも、弟に仲裁されながら。
(やっぱり……)
視線を感じる。好奇のものも、値踏みするものも。
(隅にいよう)
そう思って、そっと身を縮める。
だが、隣にはレオンの気配がある。
離れない距離で、守るように、そこにいる。そして肩を抱き寄せる。
それが、少しだけ、安心できて。同時に、少しだけ、怖かった。




