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ルーキスの太陽 ~異世界の境界線、その手を離さない~  作者: 如月菫
第三部 それでも恋は、終わらない
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第66話 大理石の迷宮、揺るぎなき騎士の保証

 翌日……。


 約束どおり、オーブリーの実家である侯爵家を訪れることになった。


 少し緊張している。

 貴族の邸宅とは、どんな場所なのだろうか。


 昼食に招かれているため、出発は昼前。馬車で三十分ほどの距離だという。


「これは賢斗から渡すといいわ」


 出発前、沙弥は花束を差し出した。


「お花、用意してくれてたんだ」

「手ぶらはさすがにね」


「そんな、気を遣わなくてよかったのに」


 オーブリーは苦笑するが、日本人としてはそういうわけにもいかない。むしろこれで足りているのかすら不安だ。


 やがて馬車は屋敷に到着した。

 ……いや、屋敷ではない。


 延々と続く並木道の先に現れたそれは、どう見ても「城」だった。


「……ねえ」

「うん」


 二人同時に口を開き、そして黙る。


 門から玄関までの距離がおかしい。

 そもそもスケールが違う。


 ようやく辿り着いた玄関で、沙弥は小さく息を呑んだ。

 一歩踏み入れた瞬間、思わず足が止まる。


 視界いっぱいに広がるのは、見上げても果ての見えない天井。

 磨き上げられた大理石の床。

 そして壁一面に並ぶ、歴代当主たちの肖像画。


 静かで、重い。


(……ここ、入ってよいところ?)


 ……間違えた場所に来た気がする。ここは、私が踏み込んでいい世界じゃない。

 隣を見れば、賢斗も完全に固まっていた。


 沙弥は着てきたワンピースをそっとつまんだ。ディナー用のそれでも、この空間の前では頼りない。

 隣を見れば、賢斗は完全に普段着だ。

 騎士二人だけが、この場に自然に溶け込んでいる。

 案内するオーブリーの背中が、いつにも増して大きく見えた。


 小声で囁く。


「ねえ、私たち……帰ったほうがよくない?」

「俺も、ちょっと思った」


 その会話を拾ったレオンが穏やかに言った。


「問題ない。顔を上げろ。ここにいることは、誰にも咎めさせない」


 落ち着いた声音だった。それでも、緊張は消えない。


 執事に案内され、応接間へと通される。

 扉が開いた瞬間、空気が変わった。

 暖炉の火が静かにはぜ、柔らかな熱が肌を包む。


 壁には精緻なモールディング。

 頭上には巨大なシャンデリアが光を放っている。


 その中央に立つ二人……。


 オーブリーと同じ髪色の青年と、気品を纏った夫人。

 ただそこに立っているだけで、この屋敷の主であるとわかる。


「ケント、サーヤ、兄のジョスランとその妻のヴァランティーヌだ」

「はじめまして。本日はお招きいただき、ありがとうございます」


 二人で挨拶をし、賢斗が花束を差し出す。

 夫人はそれを受け取り、柔らかく微笑んだ。


「ありがとう。とても素敵だわ」


 花と同じくらい、いやそれ以上に美しい笑みだった。


(だめだ、緊張する)


 これまで貴族と顔を合わせても、緊張などしなかった。

 だが「この城の主」だと意識した瞬間、まるで別物になる。


 作法もわからない。

 何が正解かもわからない。


(こんな場所に、自分がいていいのだろうか)


 ふと、レオンのことが頭をよぎる。

 彼は公爵家の子息だ。つまり、これ以上の世界の人間。そんな彼と恋仲になっていたとは、なんて無謀だったのだろう。

 令嬢たちに詰め寄られた理由を、今さらのように理解する。


 そんな内心など知る由もなく、ジョスランが穏やかに口を開いた。


「本日はお越しいただきありがとうございます。オーブリーから話を聞いて、一度お会いしたいと思っていたのです。勇者様、この国を救っていただき、感謝いたします。そしてお姉様まで巻き込んでしまったこと、この国に属する者としてお詫び申し上げます」


「いえ、俺はほとんど何もしていません。オーブリーさんをはじめとする騎士たちのおかげです」

「私も、弟と一緒に来られてよかったと思っていますので」


 言葉を返すと、ジョスランはわずかに表情を緩めた。


「そう言っていただけると気が楽になります。本日は食事をご用意しておりますので、ぜひご一緒に」


 その後、ダイニングへと案内された。

 そして……


「えっ」


 思わず声が漏れる。


 並べられていたのは、想像していた「コース料理」ではなかった。

 広いサイドボードいっぱいに、色とりどりの料理が並んでいる。


 肉料理、魚料理、色鮮やかな野菜。

 整えられたテリーヌや、見たこともない品々。


 そして何より……量が多い。


(六人分じゃない……)


 どれから取るべきか。

 どれくらい盛ればいいのか。


(間違えたら、失礼になる? 笑われる? それとも、無言で距離を置かれる?)


 何ひとつわからない。

 賢斗と視線が合う。……同じ顔をしていた。


 そのとき……横から、皿が差し出される。


「サーヤはこれが好きだろう?」


 レオンが、迷いのない動きで料理を選び、皿に整えていく。

 その様子に、少しだけ肩の力が抜けた。


(……いつもどおり)


 そういえば、いつもそうだった。選ぶのも、頼むのも。

 彼は当然のように覚えている。

 護衛の仕事ではないはずなのに。


 気づけば、賢斗もそれを真似て料理を取り始めていた。


(助かった……)


 やがて全員が席につき、食事が始まる。


「ヴルカリスはいかがですか?」

「とても素晴らしいところですね。私は二回も来てしまいました。温泉には何度入ったかわかりません」

「昨日と一昨日は四人で温泉に入ったんですよ」


 オーブリーの一言で、空気がわずかに止まる。


「……サーヤさんもですか?」


 夫婦の視線がこちらに向く。


「ええ、布を巻いて入りましたので」


 なるべく自然に答える。


「サーヤの国は、ルーキスとはだいぶ基準が違うようです」


 レオンが補足した。


「でも最初、レオンさんは嫌がってましたよね」


 賢斗が笑う。


「俺だけ外されそうだったよな」

「オーブリーは事故を起こしただろう」

「事故は仕方ない」

「大丈夫ですよ。私には見えませんでしたから」


 ほんの一瞬。だが、確かに空気が止まる。

 誰も、すぐには言葉を返さなかった。

 食器の触れる音だけが、不自然に響く。


(やってしまったかもしれない)


 視線が集まる。

 ジョスランとヴァランティーヌは、顔を見合わせた。

 呆れ半分、諦め半分、といった表情だ。


(……やっぱり、この国では非常識なんだ)


 胸の奥が、少しだけ冷える。

 視線を落としかけた、そのとき、


「問題ない」


 隣からの低い声。


「この場にいる以上、彼女の振る舞いはすべて俺が保証する」


 はっきりとした、迷いのない声音。


「彼女に非があるとするなら、それは俺の責任だ」


 沙弥は思わず顔を上げる。

 レオンはただ、前を見据えていた。


 ……揺るがない。

 その姿に、胸の奥の冷えが、ゆっくりと溶けていく。


 場違いかもしれない。

 それでも……ここにいていいと、そう思えた。

 ここにいていいと、初めて思えた。


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