第60話 静かな廊下の独り言、微笑みに溶ける棘
ケントとオーブリーと別れ、寮の廊下を歩く。隣には、いつものようにサーヤがいる。
たった数時間前と同じ光景のはずなのに、どこか世界の輪郭が変わったように感じられた。
(……サーヤも、勇者だったかもしれない、か)
あの瞬間を思い出す。
剣が、あまりにも自然に抜けた。まるで、最初からその手に収まることを知っていたかのように。
もし……あの場にケントがいなかったら。
もし……サーヤが一人で召喚されていたら。
(……考えるまでもないな)
喉の奥が、わずかにひりつく。
あの山に、彼女がいた可能性。血の匂いと、死の気配に満ちた場所に。
笑顔の代わりに、怯えた表情を浮かべていたかもしれない。
……そんなことは、絶対に許さない。たとえ、この国がそう望んだとしても。
歩きながら、無意識に拳に力が入る。
だが同時に、もうひとつの感情があった。
(……ケントがいて、よかった)
あの少年がいたから、サーヤはそこに立たずに済んだ。
あの少年がいたから、自分は彼女を守ることができた。
胸の奥で、静かに息を吐く。
それは、安堵に近いものだった。
ふと、先ほどの光景がよみがえる。
「賢斗、大好きよ」
あの言葉。何度も聞いている。自分にも、何度も向けられてきた。それでも……
(……やはり、違うものだな)
弟に向けられるそれは、まっすぐで疑いようがない。
言葉にされなくても伝わると、ケントは言った。
(俺は、言われなければわからないがな)
自嘲気味に、わずかに息を吐く。
何度も言われている。それでも足りないと思ってしまう。そのたびに、自分でも呆れる。
だが……。
サーヤが他の誰かに「好き」と言うのを聞くと、胸の奥に小さな棘が残るのも事実だった。
(子どもだな、俺は)
苦笑する。
「どうかしましたか?」
隣を歩くサーヤが、不思議そうにこちらを見る。
何でもない顔で首を振った。
「いや」
短く答える。
本当は、聞きたいことはいくらでもある。
あのとき、聖剣を抜いたとき、何を思ったのか。
ケントに「大好き」と言ったとき、どんな気持ちだったのか。
そして……自分に向けるそれと、何が違うのか。
だが、それを口にすることはできなかった。
(……聞く必要はないな)
答えは、もうわかっている。
サーヤは自分を受け入れてくれた。何度も、言葉で、態度で。繰り返し示してくれている。
それでもなお、不安になるのは……
(俺の問題だ)
はっきりと自覚している。
騎士としてではなく、一人の男としての弱さだ。
+++++
部屋の前に着く。いつものように、彼女を見送る位置に立つ。
「今日は、ゆっくり休め」
「はい。レオンさんも」
穏やかなやり取り。扉が閉まる直前、サーヤがふとこちらを見た。
「……レオンさん」
「なんだ?」
「今日も、ありがとうございました」
それだけ言って、微笑む。
その表情を見た瞬間……胸の奥にあったわずかな棘が、音もなく溶けていく。
(……ああ)
わかっている。言葉がなくても、言葉があっても、どちらでも。彼女が自分を想っていることくらい。ちゃんと、わかっている。
それでも……
(それでも、やっぱり)
小さく息を吐く。
「……好きだと言われると、嬉しいんだがな」
誰もいない廊下で、ぽつりと呟く。
それは騎士としてではなく、ただの一人の男の本音だった。




