第57話 勇者の血脈、時を越えた寄せ書き
一月いっぱいで庁舎の仕事を辞めた。すると、突然時間を持て余すようになってしまった。討伐隊の帰還にはまだ数日かかりそうだ。
「もう、この近辺で見るところはないですよね?」
「そうだなぁ……。博物館には行ってなかったよな?」
「博物館があるんですか?」
「ああ、城下町にあるぞ。前代の勇者の資料なんかもあったと思う」
「それは見てみたいです」
前代の勇者はどんな人だったんだろう? 召喚されたきり、自分の国に帰れなかった気の毒な人……。やはり地球人だったんだろうか?
その小さな博物館は閑散としていた。受付を済ませて中に入ると、博物館の薄暗い回廊を進む。
最初は「ルーキスの歴史」コーナーだった。初代の王様から現在の王様までの系譜や、建国の歴史、遺物などが展示されている。
「俺たち騎士も、一度はここへ見学に来るんだ」
「ルーキスの歴史も長いですね」
「ああ……そうだな」
レオンの説明を聴きながら、沙弥は古びた魔導具や武具に目をやる。
(どれほど高い技術で作られても、形あるものはいつか風化する。……でも、誰かを想う気持ちだけは、形を変えて残るのかもしれない)
次のコーナーは、「ルーキスの名産品」だ。農業国だけあって、農作物が多い。
鉱石は輸入だと聞いていたが、金や銀は採れるようだ。それで金銀が安価だったのだな。
さらに進むと、「勇者」のコーナーがあった。勇者召喚の歴史は書いてあるが、勇者の遺品などの展示品は前代の勇者のものしかないらしい。
正確には、前勇者は一九四四年に召喚されたと書いてある。
「これが、前勇者が召喚されたときに着ていた服だそうだ」
レオンが指し示した先を見て、はっとした。
(これって……)
桜に錨。海上自衛隊……いや、一九四四年なら帝国海軍のシンボルだ。
前の勇者も日本人だった……その確信は、見間違いではなかった。
「レオンさん、前の勇者も日本人だったみたいです」
「そうなのか?」
「おそらく、戦争中に召喚されたのではないかと……」
戦争を経験した人なら、魔獣王の討伐なんて恐ろしいと感じなかったのかもしれないな……。
「これは……日本の、国旗……?」
ここにあるということは、肌身離さず持っていたのだろう。
その白い布は、八十年の歳月を経てなお、かろうじて形を保っていた。
中心の赤は、色ではなく「記憶」のようにそこにあった。
震える手でガラスケースに触れる。そこには、びっしりと名前が書かれていた。
「武運長久……。みんな、彼が無事に帰ることを願っていたんだ」
そして、その端に見つけた、一際丁寧な字で書かれた名。
――光束賢一郎君
その文字を見た瞬間、視界が、わずかに歪んだ。
(……うそ)
ありふれた名字ではない。見間違えるはずがない。
それでも、すぐには意味を結びつけることができなかった。
指先が、ガラス越しに触れたまま動かない。
(違う……こんなの、偶然……)
けれど。
脳裏に浮かぶのは、幼いころに聞かされた話だった。
戦地で行方不明になった曾祖父。帰らなかった人。
そして……
「……レオンさん」
ようやく絞り出した声は、自分のものではないようにかすれていた。
「私の……」
一度、言葉が途切れる。
「……私と賢斗の、曽祖父です」
そのとき沙弥の祖父はまだ二歳で、曾祖母が女手ひとつで苦労して育てたらしい。
沙弥の母はその祖父の一人娘だ。曽祖父の子孫は他に沙弥と賢斗しかいない。
「それじゃ、俺たちが、この国が……奪ったせいで、サーヤの曾祖母は大変な苦労をしたのだな。すまない……」
レオンの声もまた、絞り出したように低かった。
「でも、召喚されなくても戦死していた可能性もありますから。本当にひどい戦争だったので……」
「そうだとしても……」
「魔獣王を討伐した後、曽祖父はどのような暮らしをしていたのでしょうか?」
「爵位を与えられたが、市井で暮らしていたそうだ。誰も娶ることがなかったらしい」
「そうなんですね」
(残してきた家族が忘れられなかったのかな。淋しい暮らしでなければよかったのだけれど……)
「勇者は必ずうちの家系から出るのでしょうか?」
「わからない……。だがその可能性は高いな」
「私も賢斗も子どもを作らなかったら、勇者の家系は途絶えるのですね」
「そうしたら、ルーキスは滅びるかもしれないな」
「それじゃ、賢斗にはがんばってもらわないと」
今の沙弥には、日本に戻って誰かと結婚して子を産むことなど考えられない。
「それにしても、衝撃の事実でした。ここに来てよかったです」
「ああ、博物館のことを思い出さなければ、知らないままだったかもしれないしな」
知ったからと言って、今さらどうすることもできないのだが……。
日本に帰って、祖父に「おじいちゃんのお父さんは戦死してなかったよ」と教えるのがいいことかどうかもわからない。
確実なのは、沙弥か賢斗の子孫がいつかルーキスに召喚される可能性が高いということだ。
「次の勇者召喚までに、転移陣が進化しているといいですね。また巻き込まれた家族が護衛騎士と恋に落ちる可能性があるので」
「ああ、そうだな」
なぜか博物館の空気だけが、やけに冷たく感じられた。
沙弥もレオンも複雑な思いを抱えたまま、博物館を後にした。




