第56話 勝利の鐘と、全身を染める色
アズラークから戻って一週間ほどが過ぎた日の朝、何気ない調子でレオンが言った。
「今日、仮縫いに行けるか?」
あまりにもいつもどおりで、少しだけ拍子抜けする。
「はい。仕事が終わったら行きましょう」
それが、今日がどういう日になるのかを、まだ知らないまま。
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書類整理を始めると、廊下の向こうから慌ただしい足音が響いてきた。
次の瞬間、扉が勢いよく開く。
「サーヤさん! 討伐成功です! 勇者様がやりましたよ~!」
ダニエラの声が、部屋いっぱいに弾けた。
……一瞬、理解できない。言葉が遅れて胸に落ちる。
(……討伐、成功……?)
その途端、心臓が強く打った。熱が一気に込み上げる。
「……本当に?」
自分の声が、驚くほど頼りなかった。
返事を待つより先に、身体が動いていた。
隣にいたレオンの胸へ、ほとんどぶつかるように飛び込む。
受け止める腕は、いつもどおり強くて、揺るがない。
「ああ。賢斗も、君も、本当によくやった」
低く落ち着いた声が耳元に響く。それだけで、張り詰めていたものがほどけていく。
「オーブリーさんからです!」
ダニエラが息を切らしながらレオンに手紙を差し出した。
「ダニエラさん、急いで来てくれたんですね。ありがとうございます」
沙弥が手を取ると、ダニエラは照れたように笑う。
「はい、少しでも早くお知らせしたくて」
その頭に、レオンの手がそっと触れた。
「お前もよくやった」
短い一言。それだけで、ダニエラの表情がぱっと明るくなる。
レオンが人の頭を撫でることなど、滅多にない。
だからこそ、この知らせの重さが、はっきりと伝わってきた。
庁舎はすぐにざわめきに包まれた。祝福の言葉が飛び交う。
その中心にいるはずなのに、どこか遠く感じる。
「レオンさん、オーブリーさんは何て?」
「ケントはとても勇敢だったそうだ」
ほっと、胸の奥がほどける。
「……よかった。本当に」
トドメを刺すだけでも怖かっただろうと思う。本当に成長したんだな。
「王都には二週間ほどで戻るらしい」
「結構かかるんですね」
「帰りも魔獣を討伐しながら下る。狩り残すと被害が出るからな」
現実の話。それなのに、頭のどこかで別のことを考えている。
(あと、二週間)
それは……再会までの時間。そして、
(別れのカウントダウンが始まる時間)
「四人での遠出には賛成だそうだ。ケントは温泉に行きたいらしい」
「温泉ですか? いいですね、楽しそう!」
笑う。ちゃんと、嬉しい。なのに……胸の奥に、沈んだものがある。
それが何なのか、もうわかっているのに、気づかないふりをする。
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仕事を終え、馬車でクレアトリクスへ向かう。
「仮縫い、思ったより時間がかかりましたね」
「刺繍だろうな」
「え、手刺繍なんですか……?」
嫌な予感しかしない。
案内された部屋でドレスに袖を通し、……息を呑む。
漆黒のベルベット。身体に沿う、無駄のないシルエット。
胸元から流れる金の刺繍は、蔦のように絡みながら光を宿している。
軽やかなシルクのバタフライスリーブが、動くたびに揺れる。
そして、スリット。歩けば、確かに視線を奪う。
「おお、やっぱり似合うな!」
「脚、見えすぎじゃないですか……?」
「ドレスだからな」
(基準がわからない……)
あれだけ服装に厳しいのに、なぜここは緩いのか。
「少し、豪華すぎませんか……?」
「そんなことはない」
店主も頷く。
「とてもお似合いです」
「でも、前回の晩餐会では、皆さん膨らんだスカートでしたよね?」
「サーヤにああいうドレスは似合わない」
断定された。
(……そうですか)
少しだけ、納得してしまう自分がいる。
「レオンさんの色ですね」
黒と金。髪と瞳。それを纏っている。
「嬉しいです」
「気に入ったか?」
「はい。いただいた髪飾りやペンダントにも合いそうです」
そう言うと、レオンは小さな箱を差し出した。その指先は、いつもより少しだけ迷いがなかった。
「それから、これもだ」
嫌な予感しかしない。
(今回はドレスだけだと思っていたのに……)
開けると、細いバングルが入っていた。当然のように、いくつもの太陽石が埋め込まれている。
「……またですか」
「腕が寂しいだろう?」
確かに、否定できない。
前回のドレスにはグローブが付いていたが、今回はそれがないから。
「それと……」
ほんの少し、声が低くなる。
「誰の目にも、君が俺のものだとわかるように」
一瞬、言葉を失う。
「どれだけ染めるんですか」
「全身だ」
迷いのない答え。冗談には聞こえない。
全身にレオン色を身にまとった異世界人……目立つだろうな……。
でも、拒めない。その顔が、あまりにも嬉しそうだから。
(ずるい……)
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部屋に戻ると、今度は沙弥が小箱を差し出す。
「私からも」
「俺に?」
開けた瞬間、レオンが目を見開く。
スモーキークォーツを中心に据えた、クローククラスプ……マントの留め具だ。
光を統べるはずの太陽が、闇そのものに置き換えられたような意匠。
密かにエドモンドを呼んで作ってもらった。
「私がデザインしたんですよ」
「サーヤが……?」
「夜の太陽、です。レオンさんは『ルーキスの太陽』ですから」
少しだけ不安になる。
「素人ですけど……」
「そんなことない! すごく気に入った」
迷いなく身につける。それだけで、胸が軽くなる。
「レオンさんを私の色で染め上げるのは無理そうですけど……」
「十分だ」
胸元に触れながら言う。
「マントを羽織るたび、君を思い出す」
その言葉が、妙に重く響いた。
窓の外には、ルーキスの夜。静かな星空。変わらない光。なのに……。
(この時間は、ずっとは続かない)
わかっている。知っている。
それでも、今だけは……この奇跡を、信じていたい。
全身に纏った黒と金。彼の色。彼の証。
そして、胸の奥に残る感情。
それが何なのか、もう名前はついている。
ただ……まだ、口には出さないだけで。
やがて訪れる別れを知りながら、それでも二人は、同じ色を纏って笑っていた。
まるで……離れることなど、最初から決まっていなかったかのように。




