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ルーキスの太陽 ~異世界の境界線、その手を離さない~  作者: 如月菫
第二部 目を背けつつ、恋に溺れた
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第56話 勝利の鐘と、全身を染める色

 アズラークから戻って一週間ほどが過ぎた日の朝、何気ない調子でレオンが言った。


「今日、仮縫いに行けるか?」


 あまりにもいつもどおりで、少しだけ拍子抜けする。


「はい。仕事が終わったら行きましょう」


 それが、今日がどういう日になるのかを、まだ知らないまま。


                 +++++


 書類整理を始めると、廊下の向こうから慌ただしい足音が響いてきた。

 次の瞬間、扉が勢いよく開く。


「サーヤさん! 討伐成功です! 勇者様がやりましたよ~!」


 ダニエラの声が、部屋いっぱいに弾けた。


 ……一瞬、理解できない。言葉が遅れて胸に落ちる。


(……討伐、成功……?)


 その途端、心臓が強く打った。熱が一気に込み上げる。


「……本当に?」


 自分の声が、驚くほど頼りなかった。

 返事を待つより先に、身体が動いていた。

 隣にいたレオンの胸へ、ほとんどぶつかるように飛び込む。

 受け止める腕は、いつもどおり強くて、揺るがない。


「ああ。賢斗も、君も、本当によくやった」


 低く落ち着いた声が耳元に響く。それだけで、張り詰めていたものがほどけていく。


「オーブリーさんからです!」


 ダニエラが息を切らしながらレオンに手紙を差し出した。


「ダニエラさん、急いで来てくれたんですね。ありがとうございます」


 沙弥が手を取ると、ダニエラは照れたように笑う。


「はい、少しでも早くお知らせしたくて」


 その頭に、レオンの手がそっと触れた。


「お前もよくやった」


 短い一言。それだけで、ダニエラの表情がぱっと明るくなる。

 レオンが人の頭を撫でることなど、滅多にない。

 だからこそ、この知らせの重さが、はっきりと伝わってきた。



 庁舎はすぐにざわめきに包まれた。祝福の言葉が飛び交う。

 その中心にいるはずなのに、どこか遠く感じる。


「レオンさん、オーブリーさんは何て?」

「ケントはとても勇敢だったそうだ」


 ほっと、胸の奥がほどける。


「……よかった。本当に」


 トドメを刺すだけでも怖かっただろうと思う。本当に成長したんだな。


「王都には二週間ほどで戻るらしい」

「結構かかるんですね」

「帰りも魔獣を討伐しながら下る。狩り残すと被害が出るからな」


 現実の話。それなのに、頭のどこかで別のことを考えている。


(あと、二週間)


 それは……再会までの時間。そして、


(別れのカウントダウンが始まる時間)


「四人での遠出には賛成だそうだ。ケントは温泉に行きたいらしい」

「温泉ですか? いいですね、楽しそう!」


 笑う。ちゃんと、嬉しい。なのに……胸の奥に、沈んだものがある。

 それが何なのか、もうわかっているのに、気づかないふりをする。


                 +++++


 仕事を終え、馬車でクレアトリクスへ向かう。


「仮縫い、思ったより時間がかかりましたね」

「刺繍だろうな」

「え、手刺繍なんですか……?」


 嫌な予感しかしない。


 案内された部屋でドレスに袖を通し、……息を呑む。

 漆黒のベルベット。身体に沿う、無駄のないシルエット。

 胸元から流れる金の刺繍は、蔦のように絡みながら光を宿している。

 軽やかなシルクのバタフライスリーブが、動くたびに揺れる。

 そして、スリット。歩けば、確かに視線を奪う。


「おお、やっぱり似合うな!」


「脚、見えすぎじゃないですか……?」

「ドレスだからな」


(基準がわからない……)


 あれだけ服装に厳しいのに、なぜここは緩いのか。


「少し、豪華すぎませんか……?」

「そんなことはない」


 店主も頷く。


「とてもお似合いです」

「でも、前回の晩餐会では、皆さん膨らんだスカートでしたよね?」

「サーヤにああいうドレスは似合わない」


 断定された。


(……そうですか)


 少しだけ、納得してしまう自分がいる。


「レオンさんの色ですね」


 黒と金。髪と瞳。それを纏っている。


「嬉しいです」

「気に入ったか?」

「はい。いただいた髪飾りやペンダントにも合いそうです」


 そう言うと、レオンは小さな箱を差し出した。その指先は、いつもより少しだけ迷いがなかった。


「それから、これもだ」


 嫌な予感しかしない。


(今回はドレスだけだと思っていたのに……)


 開けると、細いバングルが入っていた。当然のように、いくつもの太陽石が埋め込まれている。


「……またですか」

「腕が寂しいだろう?」


 確かに、否定できない。

 前回のドレスにはグローブが付いていたが、今回はそれがないから。


「それと……」


 ほんの少し、声が低くなる。


「誰の目にも、君が俺のものだとわかるように」


 一瞬、言葉を失う。


「どれだけ染めるんですか」

「全身だ」


 迷いのない答え。冗談には聞こえない。

 全身にレオン色を身にまとった異世界人……目立つだろうな……。

 でも、拒めない。その顔が、あまりにも嬉しそうだから。


(ずるい……)


                 +++++


 部屋に戻ると、今度は沙弥が小箱を差し出す。


「私からも」

「俺に?」


 開けた瞬間、レオンが目を見開く。

 スモーキークォーツを中心に据えた、クローククラスプ……マントの留め具だ。

 光を統べるはずの太陽が、闇そのものに置き換えられたような意匠。

 密かにエドモンドを呼んで作ってもらった。


「私がデザインしたんですよ」

「サーヤが……?」

「夜の太陽、です。レオンさんは『ルーキスの太陽』ですから」


 少しだけ不安になる。


「素人ですけど……」

「そんなことない! すごく気に入った」


 迷いなく身につける。それだけで、胸が軽くなる。


「レオンさんを私の色で染め上げるのは無理そうですけど……」

「十分だ」


 胸元に触れながら言う。


「マントを羽織るたび、君を思い出す」


 その言葉が、妙に重く響いた。


 窓の外には、ルーキスの夜。静かな星空。変わらない光。なのに……。


(この時間は、ずっとは続かない)


 わかっている。知っている。

 それでも、今だけは……この奇跡を、信じていたい。


 全身に纏った黒と金。彼の色。彼の証。

 そして、胸の奥に残る感情。

 それが何なのか、もう名前はついている。

 ただ……まだ、口には出さないだけで。


 やがて訪れる別れを知りながら、それでも二人は、同じ色を纏って笑っていた。

 まるで……離れることなど、最初から決まっていなかったかのように。


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