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ルーキスの太陽 ~異世界の境界線、その手を離さない~  作者: 如月菫
第二部 目を背けつつ、恋に溺れた
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第55.5話(補完話) 禁じられた願い、静かな執着

 サーヤが眠っている間、レオンは大抵少しだけ早く目を覚ます。

 それは習慣というより、癖に近かった。隣にいるはずの気配を確かめるように、視線を向ける。


(……いる)


 それだけで、胸の奥がわずかにほどける。

 同時に、冷たいものが残る。


(いつまでだ)


 その問いには、答えがない。


 だからレオンは、ただ見ている。触れない。起こさない。

 ただ、確かめる。生きていることを。ここにいることを。

 ……今だけは。


                 +++++


 騎士としては不適切だ。護衛対象の寝顔を見続けるなど、本来あってはならない。

 だが今は、剣を握るよりも、この時間のほうが重要だった。

 彼女が目を覚ますまでの、わずかな間。それが、最近はやけに短く感じる。


(時間が、減っている)


 そう意識した瞬間から、すべてが変わった。


                 +++++


 サーヤは、世界の見方が違う。朝焼けを見て笑い、海の匂いを喜び、石の模様にさえ意味を見出す。同じ景色を見ているはずなのに……


(どうして、そんなふうに見える)


 理解できない。だが……目を離せない。


                 +++++


 初めて夜の海を見たとき、レオンは本能的に「危険だ」と感じた。

 底の見えない黒。地鳴りのような音。境界のない闇。あれは、「踏み込んではいけないもの」だった。

 だがサーヤは言った。


「吸い込まれそうで」


 そう言いながら、そこに立っていた。


(怖くないのか)


 理解できない。だが……離れられなかった。


                 +++++


 翌朝……。


 同じ海は、まるで別のものだった。

 光を受けて揺れる水面。昨夜の闇が嘘のように消えている。


「朝の海は綺麗ですね」


 光に照らされたその横顔を見たとき、ようやく気づいた。


(景色が変わるんじゃない)


 違う。


(この人が、変えている)


 世界の意味を。


                 +++++


 島に二人きりで降りたとき、レオンは、一瞬だけ本気で考えた。


(ここで終わってもいい)


 王都も、任務も、討伐も。すべてが遠い。目の前にあるのは……彼女と、この海だけだ。


「ここに住んでしまうか?」


 軽く言ったはずの言葉が、自分の中で沈まない。冗談にならない。そのまま現実に変わりかける。

 だがサーヤは笑って言った。


「食糧がないです」


 あっさりと。何でもないことのように。


(……そうだな)


 現実に引き戻される。それでいい。それで終わるはずだった。……はずなのに。


                 +++++


「冷たいです!」


 目の前で裾を捲り上げ、無邪気に波と戯れる彼女の姿は無防備でしかなかった。


(……よせ、見すぎるな)


 彼女が信じているのは、高潔な騎士としてのレオンだろう。だが、その内側に疼いていたのは、そんな綺麗なものではなかった。


「……だから言っただろう」


 声を出すだけで、喉の奥が焼けるように乾いているのがわかった。

 楽しげに笑う彼女の無垢な瞳が、歪んだ自制心を静かに、だが確実に削り取っていく。


 もっとここにいたい。その感情が、消えない。だからレオンは、くだらないことを言う。結界の話を持ち出し、駄々をこねる。


(時間を引き延ばしたい)


 ただ、それだけだった。言葉にすれば子供じみている。それでも止められない。


                 +++++


 岬で、風の中で、サーヤは言った。


「言葉にできないくらい、大好きです」


 その一言は、軽くなかった。

 壊れやすい何かを、無理に言葉にしたような重さがあった。


(それでいい)


 本当は、それだけでいい。

 それ以上を望むのは……間違いだ。騎士としても。人としても。

 だが。


(足りない)


 そう思ってしまう。


                 +++++


 夕暮れの海で、サーヤの髪が風に揺れた。世界が金色に沈む中で、レオンは思う。


(もう一度見られる保証はない)


 この光も。この時間も。この距離も。すべて終わる。


                 +++++


 ふと、賢斗との約束を思い出す。


「俺に万が一のことがあっても……姉さんを、ちゃんと日本に帰してください」

「……ああ、約束する」


 あの一瞬の間は、「万が一」という不穏な言葉に胸が騒いだから……だけではない。


(帰したくない)


 その感情が、先にあった。

 約束を違えれば、騎士として終わる。誇りも、信頼も、すべて失う。それでも、


(失いたくないのは、どっちだ)


 答えは、わかっている。だからこそ……言えない。


                 +++++


「どんなに離れていても、忘れない」


 口にしたとき、自分でも驚いた。

 それは約束ではない。願いだ。祈りだ。


(忘れられるはずがない)


 むしろ問題は逆だ。


(忘れられないまま、生きることになる)


                 +++++


 夜、サーヤが眠るとき……

 レオンは、その髪に触れそうになって……止める。

 起こしてしまうからではない。


(これ以上、踏み込んだら戻れない)


 その感覚が、はっきりとある。


                 +++++


 強い男だと思われていた。肉体的にも精神的にも。

 自分でもそう思っていた。何事にも動じないと。

 だが、違った。知らなかっただけだ。失うことの怖さを……。


 選ぶのは彼女だ。自分ではない。だから言わない。


「俺を選んでくれ」


 その一言を飲み込む。喉の奥で焼けるように残して。

 奪うことはできない。ならば……


(残りたいと思わせるしかない)


 すべてを捨てても、ここにいたいと、そう思わせるしかない。

 それが無理なら…………見送るしかない……。


 残り時間は少ない。わかっている。それでも、彼女が隣にいる今だけは……呼吸が楽になる。

 剣を握らなくても。戦っていなくても。生きていると感じる。


 レオンは静かに目を閉じる。遠くで波の音が響いている。

 それはまるで……自分の心臓の音のようだった。


(もし叶うなら……約束を、破ってでも)


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