第55.5話(補完話) 禁じられた願い、静かな執着
サーヤが眠っている間、レオンは大抵少しだけ早く目を覚ます。
それは習慣というより、癖に近かった。隣にいるはずの気配を確かめるように、視線を向ける。
(……いる)
それだけで、胸の奥がわずかにほどける。
同時に、冷たいものが残る。
(いつまでだ)
その問いには、答えがない。
だからレオンは、ただ見ている。触れない。起こさない。
ただ、確かめる。生きていることを。ここにいることを。
……今だけは。
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騎士としては不適切だ。護衛対象の寝顔を見続けるなど、本来あってはならない。
だが今は、剣を握るよりも、この時間のほうが重要だった。
彼女が目を覚ますまでの、わずかな間。それが、最近はやけに短く感じる。
(時間が、減っている)
そう意識した瞬間から、すべてが変わった。
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サーヤは、世界の見方が違う。朝焼けを見て笑い、海の匂いを喜び、石の模様にさえ意味を見出す。同じ景色を見ているはずなのに……
(どうして、そんなふうに見える)
理解できない。だが……目を離せない。
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初めて夜の海を見たとき、レオンは本能的に「危険だ」と感じた。
底の見えない黒。地鳴りのような音。境界のない闇。あれは、「踏み込んではいけないもの」だった。
だがサーヤは言った。
「吸い込まれそうで」
そう言いながら、そこに立っていた。
(怖くないのか)
理解できない。だが……離れられなかった。
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翌朝……。
同じ海は、まるで別のものだった。
光を受けて揺れる水面。昨夜の闇が嘘のように消えている。
「朝の海は綺麗ですね」
光に照らされたその横顔を見たとき、ようやく気づいた。
(景色が変わるんじゃない)
違う。
(この人が、変えている)
世界の意味を。
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島に二人きりで降りたとき、レオンは、一瞬だけ本気で考えた。
(ここで終わってもいい)
王都も、任務も、討伐も。すべてが遠い。目の前にあるのは……彼女と、この海だけだ。
「ここに住んでしまうか?」
軽く言ったはずの言葉が、自分の中で沈まない。冗談にならない。そのまま現実に変わりかける。
だがサーヤは笑って言った。
「食糧がないです」
あっさりと。何でもないことのように。
(……そうだな)
現実に引き戻される。それでいい。それで終わるはずだった。……はずなのに。
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「冷たいです!」
目の前で裾を捲り上げ、無邪気に波と戯れる彼女の姿は無防備でしかなかった。
(……よせ、見すぎるな)
彼女が信じているのは、高潔な騎士としてのレオンだろう。だが、その内側に疼いていたのは、そんな綺麗なものではなかった。
「……だから言っただろう」
声を出すだけで、喉の奥が焼けるように乾いているのがわかった。
楽しげに笑う彼女の無垢な瞳が、歪んだ自制心を静かに、だが確実に削り取っていく。
もっとここにいたい。その感情が、消えない。だからレオンは、くだらないことを言う。結界の話を持ち出し、駄々をこねる。
(時間を引き延ばしたい)
ただ、それだけだった。言葉にすれば子供じみている。それでも止められない。
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岬で、風の中で、サーヤは言った。
「言葉にできないくらい、大好きです」
その一言は、軽くなかった。
壊れやすい何かを、無理に言葉にしたような重さがあった。
(それでいい)
本当は、それだけでいい。
それ以上を望むのは……間違いだ。騎士としても。人としても。
だが。
(足りない)
そう思ってしまう。
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夕暮れの海で、サーヤの髪が風に揺れた。世界が金色に沈む中で、レオンは思う。
(もう一度見られる保証はない)
この光も。この時間も。この距離も。すべて終わる。
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ふと、賢斗との約束を思い出す。
「俺に万が一のことがあっても……姉さんを、ちゃんと日本に帰してください」
「……ああ、約束する」
あの一瞬の間は、「万が一」という不穏な言葉に胸が騒いだから……だけではない。
(帰したくない)
その感情が、先にあった。
約束を違えれば、騎士として終わる。誇りも、信頼も、すべて失う。それでも、
(失いたくないのは、どっちだ)
答えは、わかっている。だからこそ……言えない。
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「どんなに離れていても、忘れない」
口にしたとき、自分でも驚いた。
それは約束ではない。願いだ。祈りだ。
(忘れられるはずがない)
むしろ問題は逆だ。
(忘れられないまま、生きることになる)
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夜、サーヤが眠るとき……
レオンは、その髪に触れそうになって……止める。
起こしてしまうからではない。
(これ以上、踏み込んだら戻れない)
その感覚が、はっきりとある。
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強い男だと思われていた。肉体的にも精神的にも。
自分でもそう思っていた。何事にも動じないと。
だが、違った。知らなかっただけだ。失うことの怖さを……。
選ぶのは彼女だ。自分ではない。だから言わない。
「俺を選んでくれ」
その一言を飲み込む。喉の奥で焼けるように残して。
奪うことはできない。ならば……
(残りたいと思わせるしかない)
すべてを捨てても、ここにいたいと、そう思わせるしかない。
それが無理なら…………見送るしかない……。
残り時間は少ない。わかっている。それでも、彼女が隣にいる今だけは……呼吸が楽になる。
剣を握らなくても。戦っていなくても。生きていると感じる。
レオンは静かに目を閉じる。遠くで波の音が響いている。
それはまるで……自分の心臓の音のようだった。
(もし叶うなら……約束を、破ってでも)




