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ルーキスの太陽 ~異世界の境界線、その手を離さない~  作者: 如月菫
第二部 目を背けつつ、恋に溺れた
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第55話 天使の梯子と、黄金の水鏡

「急いで帰らないと夕日に間に合わないぞ」

「そうですね。でも、せっかくだから別の場所で見ませんか? 地元の人に聞いたら、夕日が綺麗に見える場所を知っているかも」

「そうか。それなら、近くの町で聞いてみよう」


 近くの町のティーハウスに入り、店主に夕日のスポットがないか聞いてみる。


「それなら、この先の海岸で見るのがいいと思うよ。このへんの恋人たちがよくデートしている場所だ。騎士様たちも恋人同士かい?」

「そうだ」

「それなら行ってみるといいよ。遠浅で、潮が引くと鏡のように空が映るんだ。今日はちょうど日没頃が干潮だから、とても綺麗に見えると思うよ」


 店主に詳しい場所を聞いておいた。


「楽しみですね」

「ああ」

「昨日は快晴でしたけど、今日は少し雲がありますから、また違った見え方をするかもしれません」


 店主に聞いた海岸はすぐにわかった。

 浜にあった流木に腰を掛け、空を見守る。聞いていたとおり、見渡すかぎり浅瀬になっていて、空が映り込んでいる。


(ウユニ塩湖みたいだ……)


 実際に行ったことはないけれど、写真や映像は何度も見たことがある。


「レオンさん、天使の梯子が見えますよ!」

「なんだ、それは?」

「雲の隙間から光が降り注いでいるでしょう? あれを天使の梯子って言うんです」

「おお、確かに綺麗だ!」


 太陽が水平線に近づくと、空も海も、ひとつの金色の鏡のように溶け合っていく。

 地平線に、太陽の最後の欠片が沈もうとしている。

 空を埋め尽くしていた巨大な積乱雲が鮮烈なオレンジと赤銅色に輝き、鏡のような水面にそっくりそのまま映し出されていた。

 そして、眼の前のすべてが燃えるような金色の光に包まれた。


「……綺麗だな、サーヤ」


 レオンの声が、凪いだ海に溶けるように響く。


「世界がレオンさんの瞳の色に染まりました」

「俺の瞳は、こんなに燃えるような色なのか?」

「レオンさんの瞳は色々と変化するので、いつもではないです。これはさしずめ、欲望に燃えているときの色ですね」

「そうなのか? それじゃ、サーヤしか見たことがない色だな」


 太陽が完全に地平線の下に姿を隠したその瞬間、世界が一変した。

 残照が最後の力を振り絞り、空の高みに残る雲を染めている。

 夜の帳が降りるその境界線で、鮮烈なローズレッド、朱色、そして金色の雲が渦を巻いている。


(なんて贅沢な時間……。この赤い光のグラデーション、ガーネットやルビーを散りばめたみたい……)


 巨大な水鏡と化した水面は、空のこの劇的な変化を静かに映し出していた。足元には燃えるような夕焼けが広がり、見上げればその続きがある。


「こんな空の色、初めて見ました」

「俺もだ。空がこんな赤や濃いピンク色に染まることがあるんだな」

「水面への映り込みもすごいですね」

「ああ、巨大な鏡になっているな」


 遠く、水平線の近くに、一人の人影が浅瀬を歩いているのが見える。海藻か、貝でも採っているのだろうか、ときどき腰をかがめる、

 その小さなシルエットが、完璧なシンメトリーの一部として収まっていた。


 やがて太陽の熱狂は去り、燃えるような空が次第に深い藍色の夜へと沈んでいく。その贅沢な時間の移ろいを、二人は言葉もなく、ただ見つめ続けていた。


 あたりが徐々に暗さを増してゆく中、レオンが沙弥の肩を抱く。


「昨日の夕日も綺麗だと思ったが、今日の空は想像を絶するほどだったな」

「少し雲が出ているほうがドラマティックな空になりますね。それにやはり、この遠浅の海ですよね。空を映す鏡のようで」

「ああ、この地に来てから、自然の美しさには驚かされることばかりだ。本当に来てよかった」

「そう言ってもらえると、来た甲斐がありました」

「俺は、正直に言うと、帰るのが惜しい」


 レオンの肩に頭を預けると、彼の体温が服越しに伝わってくる。その温もりだけが、今の沙弥にとって唯一の現実だった。


 宿に戻ったときは、空はもう真っ暗になっていた。


「このまま夕食に行きますか?」

「ああ、そうしよう」


 宿のダイニングルームで夕食をとった。


 メインのムニエルを口に運びながら、沙弥はふと窓の外を見た。

 夕日の後の、深い藍色の世界。


「来るときに食べたお魚より、ずっと繊細な味がしますね。……レオンさん、この旅で、レオンさんの新しい一面をたくさん見られた気がします」

「俺もだ。君は、俺が知らなかった世界の美しさをいくつも教えてくれたな。……サーヤ、ひとつだけ約束するよ。どんなに離れていても、俺はこの海の青さと、君の笑顔を忘れないと」


 重みのある言葉。沙弥は返事の代わりに、レオンの皿へ自分の魚を少しだけ分けた。そんな些細な、だが愛に満ちた日常を、少しでも長く繋ぎ止めたかった。


 明日は早朝に発つので、朝食ボックスを作ってもらうことにした。

 このダイニングで食べるのはこれで最後だ。


「遠出も今回が最後でしょうか?」

「そうなるかな……」

「賢斗やオーブリーさんとも一緒にどこかに行きたかったけど、時間がないですかね……」

「どうだろう。討伐から戻っても、すぐに帰るわけではないだろう? 晩餐会などもあるし、数週間はいるんじゃないか?」

「そうですね。」

「今度、オーブリーに手紙で聞いてみるよ」

「お願いします。賢斗は行きたいって言いそうですけど」


 その夜も、沙弥はレオンの腕の中で波の音を聞きながら眠りについた。


                ◇◇◇◇◇


 早朝、慌ただしく出発の用意を整え、最後にもう一度バルコニーから海を眺める。


「これで見納めですね」

「ああ……名残惜しいな」

「本当に……」

「いつかまた、君と海が見られるといいな……」

「…………」


 後ろ髪を引かれながらも帰途につく。王都に着く頃には宵も深まっていた。

 いつものように、レオンが沙弥の部屋まで送ってくれる。歩きながら、他愛のない会話をする。


「明日からまた仕事ですね」

「そうだな」

「レオンさんは、毎日仕事でしたけど」

「もう、サーヤの護衛は仕事という気がしないな」

「仕事中に駄々をこねたり、ふてくされたりしていましたしね」

「ははは、そう言えばそうだ」

「でも、駄々をこねるレオンさんは可愛いから許します」

「サーヤは全然駄々をこねないな」

「駄々をこねなくても、レオンさんが何でも望みをかなえてくれるからですよ」

「サーヤの望みなら、何でもかなえてやりたいからな」


 そう言って、優しい眼差しを沙弥に向ける。


(レオンさんに守られているのが当たり前になってしまった。この先、この人のいない世界でやっていくことができるんだろうか……)


 沙弥を部屋に送り届けた後、レオンは荷物の整理があるからと言って自分の部屋へ戻って行った。


 レオンがそばにいないだけで、世界の音が少し遠くなった気がした。


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